インド・ネルー初代首相の信念に学ぶ
勇敢であれば必ず道は開ける!
23年03月25日


「獅子として走り、獅子として吼え、獅子として戦い、21世紀へ、絶対に勝ち進んでいくことを、ともどもに固く約束し合いたい」――創価同窓の友に呼びかける池田先生(東京・八王子市の創大池田記念講堂で)

●2000年10月 創価教育同窓の集い
〈2000年10月に行われた「創価教育同窓の集い」の席上、創立者・池田先生に対して、インド・ブンデルカンド大学のラメーシュ・チャンドラ副総長一行から、同大学の「名誉文学博士」の学位記と、社会科学部「終身名誉教授」称号が贈られた。先生は、謝辞の冒頭、日本中・世界中から母校に集った同窓生をねぎらい、インドの偉人の言葉を通して、人生を勝ちゆく要諦を語った〉

創価同窓の皆さん、ようこそ!
日本中から、そして世界からは22カ国・170人の方が、わが母校に帰ってきてくださいました。
私は本当にうれしい。遠いところ、よく来られました。
「光陰矢のごとし」といいます。人生、早く年をとるものだ。後悔のない人生を、充実して生きなければいけない。
「原点」である母校に、皆さんは馳せ参じてこられました。その心が尊い。
原点を忘れた人生は、迷い、さすらう旅のようなものです。いくら、自由のようであっても、はかない自由です。
原点を忘れ、原点を軽んじる人間は、増上慢の人間であり、最後は大敗北の人生となってしまう。
つねに原点に!――その人が強い。その人が人生を勝ちぬいていけるのであります。
また、人生さまざまな悩みがある。その時に、教職員の皆さまは、心から励ましを送ってあげていただきたい。一度面倒を見た学生は、自分が死ぬまで面倒を見ていくのだ――それが本当の教育です。その恩師を、学生も生涯忘れないものであります。
タゴールの言葉に、「勝利というのは、何もしなくてはやってこない。戦わなければならない」(『ゴーラ』我妻和男訳、『タゴール著作集』3所収、第三文明社)とあります。戦って戦って戦いぬいて、はじめて勝利がある。私が、若き日より、心に刻んできた言葉であります。
また、インドの初代首相ネルーが娘に贈った有名な言葉があります。
「勇敢でありなさい。そうすればほかのことは、それにつれて自然に道がひらけてくるものだ」(『父が子に語る世界歴史』1、大山聡訳、みすず書房)
父ネルーが牢獄に入り、娘のインディラも苦難に直面していたなかでの父子の対話です。
「勇敢」であれば、必ず道は開ける。行き詰まるのは、「臆病」だからです。正義に生きぬく人間の崇高な姿を見る思いであります。“創価の婦人”“創価の女性”も、そうあってください。

インドの初代首相ネルーと娘のインディラ・ガンジー(写真:AP/アフロ)

勝つことは楽しい!
〈先生は、インドが「IT(情報技術)大国」として成長を続ける背景に、数学・哲学・英語など「教育の力」があると考察し、学問に臨む姿勢について述べた〉


この会場には、わが学園生、ならびに未来部の代表も出席しております。どうか、皆さん方も、インドの秀才たちに負けないで、努力していただきたい。大事なのは、「忍耐」と「努力」です。努力しない人間は敗北者です。
創価教育は「文武両道」であります。頭脳も、体力も、人格も一流。これが伝統であります。その伝統を輝かせていかなければいけない。ふつうの大学と変わらないなら、創価大学の存在価値はない。ゆえに、学生は教員に、どんどんぶつかっていってもらいたい。
私も青春時代、戸田先生のもとで、毎朝、勉強また勉強の日々でした。積極的に自分の思索をぶつけていきました。それを先生は喜んでくださった。
学生が教員の言うことを一方的に聞いて、うのみにするのが勉強ではない。むしろ教員に立ち向かっていく――そのくらいの気概が学生にあっていい。本当の学問は、火花を散らすような打ち合いのなかで深まっていくのであります。

池田先生は授与式で“卒業生と一緒に歴史的な儀式を迎えることができて、これほどの喜びはない”と(東京・八王子市の創大池田記念講堂で)

〈次に、17度目のリーグ優勝を果たした創大硬式野球部、秋季高校野球・大阪府予選で初優勝した関西創価高校硬式野球部の活躍を紹介し、「勝つこと」の喜びに言及。また、ブンデルカンド大学におけるチャンドラ副総長の功績に触れ“発展の要因”を語った〉


勝つことは楽しい。胸を張れる。誇りにできる。負ければ、悲しい。人生も勝負です。勝たなくてはいけない。皆が、すべてに勝利していきましょう!
さらに、貴国の「IT革命」の大きな原動力となっているのは、若々しき「智慧の力」であります。たとえば、インドの青年実業家たちは、「アメリカと昼夜が逆になる」時差を活用しながら、アメリカの企業と提携することによって、新しいビジネスの道を開拓しております。非常に聡明であります。
貴大学でも、副総長が「インドで最も若い副総長」として就任されるや、ただちにめざましい躍進が始まりました。
透徹した責任感に立つ副総長は、新鮮な智慧を発揮し、力強いリーダーシップによって、わずか一年ほどの間に、新たに126の学問のコースを開設されました。そして9つもの校舎を増設したのであります。学生数の増加も著しい。
「責任感」です。責任感があれば、力が出る。智慧がわく。発展の道が開かれる。「自分中心」ではなく、「皆のために」という責任感に立つことです。
創価大学も、いよいよ、本格的に発展させていきたい。
人生は、どこまでいっても戦いであります。闘争であります。戦わなければ、滅びるしかない。
ゆえに、一つ一つ、一歩一歩、丁寧に積み重ねながら、強くまた強く、賢くまた賢く、正義を貫き、勝ちぬいて、自分自身の悔いなき歴史を残していくことです。そこにしか、人生の勝利はない。幸福はないのであります。人ではない。社会でもない。すべて、自分自身で決まるのであります。

「人と会うこと」から
〈続いて先生は、19世紀にイギリスの植民地支配への抵抗運動を指揮した指導者ラクシュミー・バーイー王妃の生涯を通して、最前線を駆け、民衆を鼓舞する「女性の力」を賛嘆。また、インドでの釈尊の実践を通して、人と会うことの大切さを強調した〉


勇気ある女性は偉大であります。また、富もあり、位もあり、名誉もある――最も恵まれた立場にいるからこそ、先頭を切る。最前線に行く。最も大切な民衆を守りぬく。これが、人間の真髄であります。私は先頭を切っている。自分が先頭を行けば、「本物」と「にせもの」が、全部見えてくるものであります。
王妃のあまりにも誇り高き生涯は、インドの民衆の魂に、世紀を超えて、劇的に謳い継がれました。そして独立運動への大いなる奔流となっていったのであります。
「一人」です。「一人の人間革命」から、歴史は始まるのです。
人生には、暴風雨もある。暗い吹雪の夜もある。
しかし、深い悲しみを耐えぬいた人こそが、深遠なる哲学を体得することができるのです。
順風しか知らない人間に、どうして人の苦しみが分かるでしょうか。偉ぶっている人間に、なんで庶民の心が分かるでしょうか。
言いしれぬ圧迫を耐えながら、正義のため、民衆のために、勇敢に戦いぬいていく人は、何ものにも負けず、究極の歓喜に包まれていくのであります。その強き生命は、たとえ地獄のような世界にあっても、そこを「寂光の都」へと変えて生きていける。そう仏法では説くのであります。
ここに、貴国の釈尊が示した、無限の「希望の哲学」「幸福の哲学」そして「平和の哲学」があると、私は訴えたいのであります。
貴大学のある州(ウッタル・プラデーシュ州)は、人口約1億6000万人の、インド最大の州であります。仏教有縁の地も多く、釈尊が初めて仏法を説いた「初転法輪」の地サールナート(鹿野苑)も、この州にあります。
ブッダガヤの悟りの地から、約250キロもの道のりを歩きに歩いて、釈尊は、ガンジス川の中流のこの地で、まず5人の友との語らいを開始したのであります。
世界の聖者・釈尊が、まず最初に語り始めたのは、大勢ではなかった。地位ある人でもなかった。たった5人の友人だったのです。
それは「法華経」に「我が如く等しくして異なること無からしめん」(法華経130ページ)と説かれるごとく、一切の差別を排して、全人類に開かれた、平等なる「人間教育」の対話であり、限りなき「生命啓発」への第一歩でありました。
「人間革命」運動は「人と会うこと」からであります。人と会う苦労を避けて、「一人」でいてはできない。そして、釈尊がみずからの行動をもって体現したように、「広宣流布」とは、「人と対話すること」なのであります。ある意味で、一番、簡単なことなのです。
皆さん方も、21世紀の開幕へ、創価の民衆連帯の核となり、大推進力となって、すばらしい青春時代の第一歩を、再び踏み出し始めていただきたい。