全国、全世界で奮闘する創価教育の同窓生を励ますため、池田先生は各地を訪れる度に、同窓の集いを開き、人生勝利のエールを送ってきた。
1999年2月26日、池田先生は九州・宮崎を8年ぶりに訪問。同28日には、宮崎をはじめ九州各地から集った同窓の友と記念撮影を行い、スピーチを贈った。
●1999年2月 九州・宮崎創価教育同窓の集い
〈先生はスピーチの冒頭、72年5月のトインビー博士との初会見を振り返り、母校愛とは何かを語った〉
真の優等生とは、「母校を愛し続ける人」である。「同窓の友を、一生涯大切にし続ける人」である。
ご存じのように、トインビー博士は、最晩年に、仏法の若き実践者である私との対談を強く望まれた。
本来であれば、日本にご招待して、誕生して間もない創価大学に、ぜひ来ていただきたかったが、高齢の博士ご夫妻の体調が、もはや、それを許さなかった。そこで、若い私のほうから、ロンドンの博士のご自宅にお邪魔して、対談が始まったのである。

1973年5月、歴史家のトインビー博士と対談する池田先生。その様子をベロニカ夫人(左から2人目)と香峯子夫人が見守る(ロンドンの博士の自宅で)。先生と博士の語らいは、前年の訪問(72年5月)と合わせて、のべ40時間に及び、対談集として発刊された。これまで30言語で出版されている
ご夫妻は、親愛の情を込めて、家の中のすみずみまで案内してくださった。
博士の書斎には、オックスフォード大学の同窓生で、第一次世界大戦で亡くなった友人たちの写真があった。二十枚ほど、大切に飾ってあった。深く、私の心に焼きついている。
また、博士との対談が続くなか、私はケンブリッジ大学を訪問した。
すると、その翌日の対談の際、ベロニカ夫人から、開口一番、丁重なごあいさつをいただいた。
「私の母校ケンブリッジ大学を訪問してくださったことを、心より感謝申し上げます」と。
夫人は、つねに、私の妻と二人で、対話を穏やかに微笑みながら見守っておられた。ティータイムになると、紅茶を入れ、手作りのクッキーを出してくださった。
その夫人も、「わが母校への誇りと愛情」を生涯、清々しく輝かせておられたのである。
トインビー博士との対談集は、世界中で読まれている。
博士は「世界の知性との対話」「文明と文明を結ぶ対話」を私に託された。遺言のごとく――。その通りに私は、対話の波を、深く広く世界に起こしてきた。
あとに続くのは、創価同窓の諸君である。
誰人とも堂々と
〈続いて、「遠くから、私のつくった学園、創大に、本当によく来てくださった」との真情を語った池田先生は、九州ゆかりの国木田独歩の小説『日の出』を通して、生涯母校の誇りを忘れない、一流の人物たれと呼び掛ける〉
ところで、小説『武蔵野』の作者として有名な国木田独歩は、九州の大分で教鞭を執ったことがある。独歩の作品に『日の出』という忘れ得ぬ短編小説がある。(以下、『日の出』〈『日本現代文学全集』18所収、講談社〉から引用・参照)
それは、明治の青年たちの懇談の場面から始まる。
欧米に留学したエリートたちが、意気揚々と“オックスフォード大学出身”とか“ハーバード大学出身”と誇る。
そのなかに、世間の注目を集める新進気鋭の青年がいた。彼は、こう聞かれた。
「貴殿は何処の御出身ですか」「三田(=慶応)ですか、早稲田ですか」
「違います」
青年は微笑した。
「大島学校です」「故郷の小学校です、私立小学です」
彼は、小学校しか出ていなかったのである。人々は笑い出した。嘲りの色を浮かべる者もいた。
しかし、彼は毅然と続ける。
「僕はオックスフォードにもハーバードにも帝国大学にも早稲田にも三田にも高等商業学校にも居たことは無いのです」
「斯う申すと、諸君は妙にお取になるかも知れませんが、僕はこれでも窃かに大島小学校出身ということを誇って居るのです。又た心から感謝して居るので御座います」
彼は、愛する母校の創立者が、無名でありながら、どれほどすばらしい人物であるかを、なみいるエリートたちに、堂々と語っていった。
その小学校の校訓は、ただ一言、「日の出を見よ」であった。
すなわち、“朝日が波を躍り出るような元気”をもて! 堂々たる勢いと、あくまでも気高い心で、一日一日を、全力を尽くして働こう! という指針である。
この創立の教えを胸に、青年は、同窓生とともに友情も固く生きぬいてきたのである。
その話を聞き、最後には皆、深く感銘し、ぜひ、その創立者に会ってみたい、と口々に語る――そういう物語である。

九州各地から集った創価教育同窓の友にエールを送る池田先生(1999年2月、宮崎市内で)。「勇敢であれ! すべては後からついてくる」――先生はスピーチの冒頭、インドのネルー初代首相の箴言を紹介し、社会で奮闘する同窓生を励ました
ともあれ、相手が誰人であろうとも、怯んではならない。臆してもならない。いわんや、嫉妬など絶対にする必要はない。「妬まない」ということが「一流の人格」の証である。
仏法では「本有無作」と説く。要するに“はたらかさず、つくろわず、もとのまま”である。本然のわが生命を「最高最善」に輝かせていく生き方である。
すましたり、気取ったり、いばったりしないで、ありのままの姿で、「人間らしく」いくのである。
「私は、こういう人間ですが、一生懸命、頑張ります。どうか、なんでも遠慮なく言ってください。一緒に前進しましょう!」
日南の大海原のような、こういう広々とした境涯になったら、勝ちである。
自由自在である。小さな、狭いエゴに固まったり、つまらない意地を張っても、損をするだけである。
「智慧」で道を開く
〈池田先生は未来を見すえ、激動の時代は「価値創造」の新世紀であると強調。同窓生こそ、新世紀を照らす太陽であるとたたえた〉
「言葉一つ」「言い方一つ」、そして「心一つ」で、人生は、どのようにでも悠々と開いていける。これが「智慧」である。
「知識」それ自体は、幸福ではない。「幸福」をつくるのは「智慧」である。
「知識」だけでは行き詰まりがある。「智慧」は行き詰まりがない。
「智慧」の水は、わが心の泉から限りなく汲み出していけるのである。
これからの激動の時代は、いよいよ「智慧」のある人が勝つ時代である。それが、「創価」すなわち「価値創造」の新世紀である。
トインビー博士も、名著『試練に立つ文明』のなかで、次のように論じておられた。
“生命であれ、社会であれ、新たなものを創造しようとする努力が、はじめから成功することなど、まったくありません。創造というのは、そんなに、なまやさしい仕事ではないのです。試行錯誤の過程を通して、はじめて究極の成功に達するのです。「悩みを通して、得られる智慧」によって、成功のチャンスがもたらされるのです。われわれ自身の努力を通じて、何らかの新しい「前例のない変化を歴史に与える道」が、われわれには開かれているのです”(深瀬基寛訳、『トインビー著作集』5所収、社会思想社、参照)と。
諸君こそ、「新しい世紀を照らす太陽」である。社会の中で光り、社会の中で、厳然と勝っていただきたい。
何があっても戦う。何があっても負けない。これが、創価魂である。
結びに、アメリカのロングフェローの詩を贈りたい。
「おお、このような世の中で恐れるな、
そうすればやがて君はかならず知るだろう、
苦しみに耐えて強くあることが
どんなに崇高なことであるかを」(「星の光」大和資雄訳、『世界名詩集大成』11所収、平凡社)
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