宇都宮市にある栃木平和会館から、緑豊かな風景を望む(1986年9月15日、池田先生撮影)
初の地方闘争
〈栃木広布の原点は、戸田先生が出獄からわずか1年後に行った、栃木指導にある。2003年(平成15年)の随筆には、その様子がつづられている〉
民衆の多くが戦災に疲れ果て、心身共に苦しめられていた一九四六年(昭和二十一年)の九月、わが師・戸田先生は、買い出し客で満員の列車に揺られながら、戦後初の地方指導に向かわれた。
広布史に輝くその第一歩の天地こそ、栃木であった。
あの時、先生を動かしたのは、女子部員の一途な声であったのだ。
疎開先である、父の故郷の村で折伏を始めたが、信心する人は誰もいない。悩み、思いあまって八月に上京し、戸田先生に指導を受けた。
「わかった、よくわかった。行ってあげよう!」
健気な女子部員は、勇んで栃木に帰るや、家族と小躍りしながら、折伏の炎を燃やし、師の来訪を待った。
時代が時代である。彼女たち一家は、先生が来られるのは来年か再来年だと思っていた。ところが、ほどなくして、戸田先生を総大将に総勢七人で訪問するとの手紙が届いて驚いた。
“こんなに早く!”
何事にも、時がある。今、何をするか。今、何ができるか。その時を逃さぬ迅速な行動こそが広布を開く力であることを、師は身をもって教えてくれたのだ。
また、先生は、世間から嘲笑され、悪口を言われながら、懸命に折伏に奮闘している、わが弟子たちを、一時も早く、応援し、励ましたかったのだ。
「まず幹部が、自ら先頭に立つことだ!」「一番、苦労している最前線の同志を励ませ!」――それが、戸田先生のご精神であった。
はるかに山々に囲まれた那須地方の村で、先生は、まことに地味で、小さな庶民の集いに飛び込んでいった。
一粒種の一家が村中を奔走して開いた法華経講演会のあと、そのお宅で、ささやかな座談会となった。顔と顔を向き合った、この真摯な対話のなかで、入会希望者が生まれたのである。

広布拡大の情熱みなぎる栃木の友(2019年10月18日、栃木平和会館で)
〈那須にある栃木研修道場には、この歴史をとどめる「座談会の碑」が立つ。栃木の友は、“座談会の栃木”との誇りも高く、座談会運動を活発に繰り広げている。
戸田先生の地方指導から5年後、くしくも、池田先生も地方闘争の初陣を、栃木の小山に飾る。1999年(平成11年)の随筆で、当時を振り返っている〉
一九五一年(昭和二十六年)の五月、わが師が、第二代会長に就任された三週間後、私も満を持して、初めての地方折伏に飛び出した。
緑光る山河を思い、胸の躍る感慨のゆえか、私は、出発の前夜には、日記にこう書いている。
「……吾人の、地方闘争への初陣である。嬉しき哉」
それが栃木方面であった。私も、恩師と同じく、民衆の大地・栃木から、新しき広宣の火蓋を切ったのである。
広布源流の誉れ
〈栃木には“日本最古の学校”と称される足利学校がある。広布の舞台においても、御書を拝し、『新・人間革命』などを教材に信心を磨く「人材大学校」の取り組みを、全国に先駆けて行ったのが、栃木だった。
1975年(昭和50年)12月、関東総合研修所(現・栃木研修道場)の落成記念勤行会の席上、池田先生が「栃木人材学校」の設置を発表。現在も、「栃木池田大学校」として、新たなリーダー育成の場となっている。
88年(同63年)の長編詩でも、人材光る栃木をたたえた〉
栃木はまた 学問の風土あり
かつて 四方より
かの足利学校に
向学の士は集いたる
その学徒三千人――
戦乱の世にあっても
読書の声は絶えることなく
共に研学に打ち励む
広布の人材学校は
この地より始まる
世界の目は栃木を
瞠目しゆくに違いない
使命と情熱の豊かなる水脈は
新たなるうねりとなって
必ずや 必ずや
人間と人間の曠野を
創り 潤す
その誉れの名は
地涌の栃木城

池田先生は足利会館(現・足利文化会館)を訪問した際、自ら餅をつき、同志を鼓舞した(1978年12月26日)
〈広布源流の天地・栃木は、先駆が使命である。89年(平成元年)9月、池田先生は栃木研修道場で呼び掛けた〉
広宣流布は言論戦だ。戸田先生は日本中、世界中の人に聖教新聞を読ませたいと言われていた。私も同じです。
聖教新聞の拡大は、折伏に通じ、大きな功徳がある。
「聖教先駆の栃木」でいきましょう。リーダー自らやろう。私もやります!
〈以来、栃木は「聖教先駆」を合言葉に前進。この指導から30周年となる昨年は、関東、全国をけん引する聖教拡大を成し遂げた〉
諸天を動かす
〈“栃木は日本一人柄が良い”――池田先生は折に触れて、語ってきた。
89年9月の指導の際、「人柄の良さの上に、あらゆる意味で『強さ』を備えていくことが、今後の大いなる発展につながる」と強調。栃木の同志が生命に刻む指針となった〉
幸福には「強さ」が必要である。勝利には「強さ」が不可欠である。個人も家庭も、団体や国家も、強くまた強くあってこそ、堂々と胸を張って、幸福と繁栄の道を進める。弱ければみじめである。
強い人のみが、人々を守ることができる。自分も楽しい。皆も安心である。弱さは後退と敗北に通じる。頼りないリーダーには人もつかない。仏子を守りゆく使命も果たせない。
「道理」の上に立っての透徹した「強さ」。そこに信心の現れもある。真実の信仰者の姿がある。学会も経文と御書の仰せのままに、何ものも恐れず、「強く」「賢明に」戦ったからこそ“奇跡”ともいわれる発展を実現できたのである。

栃木県記念勤行会で池田先生が励ましを送る(1989年9月18日、那須町の栃木研修道場で)
〈99年(同11年)2月の本部幹部会は、栃木県総会の意義も込められた。冒頭、池田先生は、悔いのない人生をどう生きるかについて語った〉
御聖訓に「一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」(御書970ページ)と。
不滅の御言葉である。
人生の目的にまっすぐに向かい、本源的幸福の追求を完璧になしゆく人間、すなわち「広宣流布に邁進する勇者」には、悔いはない。
悔いのない人生――それを教えてくださったのが日蓮大聖人である。その「最高の人生」を教えているのが創価学会である。
この「喜び」と「確信」と「勇気」をもって進みましょう!
仏法には、一つもむだがない。仕事も、生活も、全部の歩みが仏法である。信心根本ならば、すべて功徳となる。
お集まりの皆さまのなかにも、多忙な方や、さまざまな状況をかかえた方もおられるにちがいない。
しかし、こうして仏法の集いに来られたのだから、功徳は大きい。「最高の法」の軌道に乗っている。
広宣流布の労苦は、むだのように見えても、大変であっても、苦労した分だけ、すべてを生かしながら、「善」の方向へ、自分が向かっていく。それが信心の力である。
私どもは、「大聖人に直結」して生きる。自分自身に生ききってゆく。
人がどうとか、世間がどうとか、評判がどうとか、小さなことである。
人が同情してくれない、理解してくれない――あまりにも、ちっぽけなことである。
正々堂々と、汝自身に生きぬき、決然たる祈りと行動で、この人生を飾っていただきたい!
諸天善神を堂々と揺り動かしていく自分自身になっていただきたい!
|