
400年以上の歴史を誇る国宝・松江城の石垣(1984年5月、池田先生撮影。松江市内)。さまざまな形の石が支え合うからこそ、石垣は盤石となる。それは、創価の友の「異体同心の姿」のごとく
光り輝く天地
<中国地方の西側、日本海に面する島根県。池田先生が初めてこの地を訪れたのは、1961年(昭和36年)4月23日、松江支部の結成大会に出席するためである。大会後、先生は初代支部長に「声佛事」と揮毫して贈った。
その後も同県をたびたび訪問。ひときわ深く同志の心に刻まれているのは、84年(同59年)5月の来県である。先生は、鳥取での諸行事を終えて帰京する予定だった。しかし、あえて日程を変更し、島根へ。3日間にわたった訪問の初日、旧・島根文化会館で開かれた県各部代表者会議でのスピーチは、後に“山光提言”と呼ばれ、友の希望の指針となっている>
本来、仏法は、最も苦難の地域、最も苦労している人に光を当て、その人々のために貢献していくことが第一義の問題であると思う。
山陰地方というが、私は、昔からこの言葉には大変抵抗があった。
かつて山陰地方を訪れ「山陰」という言葉を聞いたとき、「それよりも『山光』地方と呼んだほうがよい」と言ったこともあるし、そのように考えたものだ。
山陰地方は、東京より、初夏の日没は約三十分遅い。また冬は寒く、雪も降るが、山の頂上からふもとまで雪で終日銀色に輝いている。さらに山の幸、海の幸も、都会より新鮮に味わうことができる。こうした意味からも、光り輝く地、つまり「山光」と申し上げたいのである。

池田先生は1972年9月17日、2カ月前の豪雨で甚大な被害を受けた島根を訪問。約4200人との記念撮影に臨んだ。撮影の合間には、青年たちと宍道湖畔で語らいのひとときも。この訪問が9・17「島根県の日」の淵源になった(松江市内で)
一日一日が主戦場
<後に池田先生は随筆で、この84年の訪問を振り返り、次のように述べた>
十一年ぶりの島根は、希望の前進の渦であった。苦闘を突き抜けた歓喜の笑みの波であった。
滞在三日間。連日、島根文化会館では、代表者会議や広布二十五周年の記念幹部会などが有意義に開催された。
「山陰」に代えて、「山光」という愛称を、声高く提唱したのは、この時である。
私は、「日蓮仏法は冥益が根本である」等と、強く語った。
地味で単調と思える、日々の生活、一日一日の活動こそが、人間革命と広宣流布の主戦場だ。
そこで、地道に信心を貫き、朝晩の勤行、座談会、折伏、対話と、仏道修行をたゆみなく繰り返す。
そのなかでのみ、わが生命の功徳の年輪は重なり、嵐に揺るがぬ、仏の境涯と等しき大樹の汝自身となる。
組織も個人も、慢心になってしまえば、もはや伸びない。慢心は毒薬である。
大切なことは、何があっても、広宣流布を目標に戦い抜くことだ! それは、崇高な仏意と仏勅のままに戦う創価学会とともに、生き抜くことだ!

「栄光の島根であれ」。“山光提言”の翌日、池田先生は島根広布25周年記念幹部会で友の奮闘を心からたたえた(1984年5月22日、旧・島根文化会館で)
<池田先生は91年(平成3年)9月9日、安来会館を初訪問。恩師・戸田先生との思い出を交え、喜びを語った>
生まれて初めての訪問である。皆さまとお会いできて、本当にうれしい。
ここへ来る途中、落日に映える雲が素晴らしかった。感動した。雲わき、雲流れる「出雲の国」。その名の通り、天を彩る雲の連なりが、悠久の輝きを放っていた。まさに“世界一”の雲だった。
島根、鳥取――この山陰地方を“山光”と呼んではどうかと提案したのは七年前である。
今回の訪問は、天も地も希望の光に満ちあふれた、素晴らしい一日一日であった。朝も昼も輝いている。夕暮れも美しい。気温もさわやかである。きょうは大山も“こんにちは!”と言わんばかりに、秀麗な姿を現していた。
皆さまの真心と、信心のけなげさを、そのまま映しだしたような美しさであった。ここへの車中、歌を詠んだ。
山光と
たれがつけたか
この光彩
日日の輝き
山陰消えたり
数々の苦労を乗り越え、広宣流布の行動に徹しておられる“山光”の皆さまに、最大の尊敬と感謝を込めて贈らせていただく。
安来といえば、戸田先生も、年末になると、よく皆の前で「安来節」を踊っておられた。私も、一緒にやれと言われて、やったものである。
気さくで人間味あふれる、独特の節まわし。そのあたたかい響きとともに、うれしそうに踊られていた恩師の姿が、忘れられない。
戸田先生は「安来に、いっぺん行ってみたいな」ともおっしゃっていた。その思いが、きょうかなったようで、感激でいっぱいである。
幸福の道を開く
<先生は“山光提言”の中で、「人生の精髄」について言及し、仏法にこそ、生きがいに満ちた人生と、人間の真の幸福を開く力があると強調した>
人生には、それぞれの人によって、さまざまな道がある。芸術の道、学問の道、さらに剣の道、書の道、華道等々である。それらを通し、それなりに人生の精髄を追究しようとしているに違いない。しかし、それらの“道”では、それぞれの分野での奥義を極めていけるかもしれないが、汝自身の人生の精髄を極めることはできない。いわんや現在では、その道の奥義を極めようとするよりも、経済の打算に走ってしまう場合が多い。
これに対して仏道は、だれ人もまず根本的に仏界を開き、自身の人生の精髄を会得できる法理なのである。その信心のうえから、現実の社会的立場へ、仕事へ、家庭へ、生活へと開花させ、価値ある人間としての生きがいの花を思いきり咲かせていけるのである。
人生の精髄は、自分の与えられた立場、境遇で、どれだけ人生の意義をかみしめ、自身の使命を感じ取るかにある。
他の場所に幸せを求めようとする心には、いずこにいっても幸せはない。それぞれの職場、家庭、生活を大切にし、その中から幸福の道を開いていけるのが、妙法であり、信心の力用なのである。その力を持った人こそ、いかなる名声の高き人よりも、財産を蓄積した人よりも、人間的に幸福な人なのである。その強い喜びを感じ取っていけるのが、信心である。

心に太陽を!――晴れやかに前進する島根の友(昨年9月、松江市の島根文化講堂で)
<「山光」の友の前進・勝利を祈り、期待を寄せてきた池田先生。島根の友への随筆に、こうつづっている>
「山陰」から「山光」へ――。
名前が変わっただけと思う人もいるかもしれない。
しかし、決して、そうではない。皆の意識が変わり、自信がわき、元気になることこそ、根本の目的である。
この「意識の変革」「心の変革」から、人生も、家庭も、地域も、変わっていく。
また、「名は必ず体にいたる徳あり」(御書1274ページ)である。
住む人の心によって、必ずや、その名にふさわしい、平和と幸福の郷土へと発展していくに違いない。
島根の友は、希望の歌を響かせて立ち上がった。遠くまで聞こゆる、大きな笛を吹きながら、讃美を惜しまぬ同志が集まる、その姿は頼もしい。
勝利の行進をしてきた、わが島根の同志、万歳!
わが鳥取の同志、万歳!
不幸という痛みを残さぬ、唯一最高の信仰者の勝利の集まりの「山光」、万歳!
さあ、また、宿命打破のために戦え!
広宣流布のために、莞爾と進め!
一家の和楽と、同志のスクラムで、大きな門を開きながら、陽光を燦々と浴びながら、素晴らしき前進を――と、私は祈り続けていきたい。
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