“草の根”の戦いが一番尊い

日本最大のカルスト台地・秋吉台。緑の稜線に黄金色のススキが映える(1984年10月、池田先生撮影)
臆病に打ち勝て
広布史に輝く「山口開拓指導」は、1956年(昭和31年)10月から翌年1月まで行われた。池田先生の訪問は3回、合計22日間である。
この闘争の意義について、先生は繰り返し言及し、世界中の同志がその精神を学んできた。2005年(平成17年)の随筆では、自身の臆病の心に打ち勝つ大切さがつづられている。
あの明治維新の火ぶたを切った山口県。
歴代の日本の総理が多く出た山口県。
ゆえに今後も、日本の重要な地位を占めていくであろう山口県――。その山口から、地涌の菩薩たる広宣流布の闘士が陸続と躍り出ないはずは絶対にない!
つぶさに現状を把握されると、戸田先生は断を下された。
「中国が一番遅れている。大作、お前が行って、指導・折伏の旋風を起こせ!」
「はい。やらせていただきます!」
一瞬の呼吸であった。
日蓮仏法は「下種仏法」であり、学会は「折伏」の尊き団体である。
勇敢にして、誠実に語り抜いた分だけ、自他の生命に満足と幸福の花が咲き薫っていくのだ。
いかに悪口を浴びようが、中傷されようが、折伏を実践する人が最も偉いのだ。これは、大聖人が断言されている。
「とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし、信ぜん人は仏になるべし謗ぜん者は毒鼓の縁となって仏になるべきなり」(御書552ページ)
強いて、仏法の正義を訴えていくのである。相手の反応がどうあれ、妙法に縁させることが大事なのだ。
そして、「強いて」語るためには、何よりもまず、自分の臆病な心、弱い心を打ち破らねばならない。そうであってこそ、勇気をもって、悠然と楽しく対話ができる。
その結実は、真心と執念で決まる。
折伏が実らず旅館に戻った同志を励まし、私は言った。
「もう一度、その人の所へ、明るい顔をして、師子の心をもって、行ってきなさい!」
またも肩を落として戻った同志に、再び私は言った。

「では、もう一度、行ってき給え! これが、本当の仏道修行だ」
決定の一念で、再び対話に臨んだ同志の顔は、あまりにも尊く、喜び勇んでいた。三度目に、頑強に反対していた相手が、「信心します」と叫んだのである。
試されているのは、常に自分の心だ。相手を絶対に救うのだという、広い慈愛、忍耐強き勇気という、本気の決意があれば、いかなる人でも心を動かしていけるのだ。
「会う」ことから
山口開拓指導では、あまたの人材が躍り出た。その「人材育成の要諦」について、先生は随筆で「会う」ことを強調した。
私は決断していた。断じて山口県を蘇生させてみせる!
歴史に残る、広宣流布の人脈を作ってみせる! と。
会って、語る。
会って、悩みを聞く。
会って、励ます。
会って、指導する。
会って、共に祈り、御書を拝する。
直接会えなくとも、手紙等で、会ったと同じだけの誠実を尽くし切っていく。
私は、喜び勇んで、体当たりで毎日毎日を走りながら、飛びながら、勝利のために、建設のために、乱舞していった。
そして、「縁した方々を、皆、偉大な広宣流布の大闘士に育成していくのだ!」と、歓喜踊躍して、苦しみを楽しみに変えながらの人生を、自分の身で創っていった。
1994年(平成6年)11月26日、山口文化会館で行われた総会では、山口開拓指導が、“草の根の民衆運動”であったことを力説した。
「草の根の戦い」は、現実に根を張っているゆえに地味である。たいへんである。つらいことや、ときには、つまらなく思うこともあるかもしれない。
しかし、「草の根」の戦いがいちばん強く、いちばん尊いのである。これをやりぬいているから、学会は強い。学会は負けない。
「民衆に根ざす」「民衆を大事にする」――ここにしか永遠の勝利はないことを、きょうは強く語っておきたい。
あの昭和三十一年(一九五六年)の山口開拓指導の勝利も、まさにその点にあった。

当時、私は二十八歳。この会場にも二十八歳の方がおられると思う。
すぐさま第一線の友の中に飛び込んでいった。まだ学会員もわずかであり、家族の反対の中で信心されている方も少なくなかった。
私は皆さまと一緒に勤行した。一緒に御書を学び、一緒に弘教に励み、一緒に歴史を刻んでいった。
皆、仏子である。上下などない。あってはならない。
社会でも、立場が上になると、人間まで偉くなったように錯覚し、人を見くだす人がいる。とくに日本に、そうした封建的な傾向が強いようだ。
しかし学会は、そうではない。人間と人間、同志と同志の、美しき共和の世界なのである。
師弟不二の闘争
1999年(平成11年)10月24日、東京牧口記念会館で開催された第7回「山口総県記念幹部会」。席上、先生は山口の同志に「人間革命」の闘争を呼び掛けた。
自分の小さな「エゴ」を中心とするのでなく、宇宙の根本の「法則」にのっとって、命を燃やし、人々のため、社会のために行動していくとき、わが「生命の鏡」は磨かれ、光っていきます。
妙法という「鏡」には、大宇宙の森羅万象の不思議さが映り、それぞれの本然の実相が、ありのままに映っていく。また過去も、現在も、未来も、瞬間瞬間、如々としてきたり、律動しゆく「因果の理法」も、ありありと映る。
さらに、万物が語る言葉が、その声なき声までが絶妙に映し出されていく――仏法の真髄は、そう説いております。ゆえに、妙法を根本に、みずからの「生命の明鏡」を、心を、日々、おこたらず磨きあげていく「人間革命」こそが不可欠になってくるのであります。
私は、二十八歳の若き日に、愛する山口県の大地で同志とともに「開拓闘争」の歴史をつづりました。なぜ、あれほどの歴史を残せたのか?
それも、「この瞬間は二度とない」という決心で戦ったからであります。
山口の基盤は、私が「師弟不二の闘争」でつくったのであります。
私は勝った。だれの追随も許さない歴史をつくりました。いずこにおいても。
皆さんも、何でもいい、「さすがだ!」と言われる歴史をつくっていただきたい。
勝てば爽快である。楽しい。胸を張れる。負ければ悲しい。ばかにされる。
「勝つ」ための信心であり、人生であります。

先生はかつて、山口の友に「あまりにも 縁もふかき 山口の 三世に残る 栄冠 待つらむ」と詠み贈った。師が青春時代を駆けた思い出の天地・山口。先生は、万感の期待を寄せている。
激戦、また激戦の日々であった。中傷批判の嵐の真っ只中を、私は一段と決意深く、前進の指揮を執った。
先生に喜んでもらいたい。勝利を報告したい。これのみが、弟子の道であるからだ。
ああ、懐かしき山口闘争!
私は勝った。この舞台にあっても、師弟は不二として勝った。
わが弟子よ! 君も、断じて何ものにも負けるな!
「正義の拡大」のために、勝って、勝って、勝ちまくってくれ給え!
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