勇気の旗高く 池田先生と佐賀
2019年09月23日

変毒為薬の功徳舞

佐賀文化会館に再現された、吉野ケ里遺跡のミニチュアを池田先生が見学。佐賀の未来に万感の期待を寄せた(1990年9月24日)

「仏の使い」の陣列
今年、9・15「佐賀の日」制定から45周年の佳節を迎えた。淵源は1967年(昭和42年)、池田先生の佐賀初訪問。99年(平成11年)の随筆で、当時の模様がつづられている。

この佐賀県に広宣流布の支部の旗が翻ったのは、一九六〇年、すなわち昭和三十五年の五月三日である。
私が、第三代会長に就任した、その日であった。
その七年後の九月、私は初めて、佐賀の天地に、わが同志と握手するために伺った。
広宣流布の第一線で戦ってくださる、全県の中堅幹部の方々との記念撮影であった。
当時、九州第一の折伏を敢行した、佐賀の「地涌の菩薩」の誇らしげな笑顔また笑顔。
本当に人生を「価値ある道」に生き抜いた方々の姿。
そして、本当に人生の真髄を勝ち抜いた方々の崇高なる「仏の使い」の陣列は、あまりにも神々しく、私の目には映った。

今年の8月下旬、佐賀県をはじめ、九州北部を記録的な大雨が襲った。今なお、生活への影響が残っている地域が多くある。創価の同志も、男子部有志の清掃ボランティア「かたし隊」を結成するなど、復旧作業に尽力した。
被害が特に大きかった地域の一つ、武雄市は、76年(昭和51年)10月10日に、「佐賀文化祭」が行われた地。その前月、台風17号の影響により、全国的に記録的な大雨となった。池田先生は文化祭に万感のメッセージを寄せた。

佐賀の同志の皆さん、全国の最後を飾る文化祭おめでとうございます。台風の被害はもう大丈夫でしょうか。きょうの文化祭が、皆さまの見事な変毒為薬の功徳舞となり、本年の文化祭の総仕上げとなることを御本尊に祈っております。
私はこの八月に、霧島の総合研修所(当時)で行われた九州輸送班(当時)の野営キャンプの光景を忘れることはできません。
豪雨の中、佐賀県の男子部メンバーは、一糸乱れぬ団結で互いの士気を鼓舞しつつ、最後まで部署を守り抜いておりました。ここに学会魂があります。
私は佐賀の同志を心から信頼いたします。
この佐賀健児の心意気は、全佐賀の同志の心でもあると思います。先輩を大切に、後継の人材をたくましく育てつつ、御本尊根本の、全国に誇る佐賀県創価学会を築いていってください。

幸福を築く根本
佐賀初訪問から10周年となる77年(同52年)の5月、先生は佐賀市に完成したばかりの佐賀文化会館へ。
25日から3日間の滞在で、多くの同志と懇談し、記念のカメラに納まった。さらに26日の開館記念勤行会で、渾身の励ましを送った。

何事をなすにも必ず「根本」というものがある。では、この宇宙、生命の「根本」とは何か。また人間が心から願望する真実の幸福境涯を築く「根本」は何か。
いうまでもなくこの根本こそ、南無妙法蓮華経であり、即「御本尊」である。

その根本を受持した人にとって最も大切なことは、御本尊に対する「観心」である。
すなわち、御本尊に備わった偉大なる仏力・法力を、現実の生活の中に顕現しゆく信力・行力の持続こそ、仏道修行の生命である。この基本姿勢を、何があっても絶対に崩さない佐賀の同志であっていただきたい。

この3日間の佐賀訪問の思い出を、先生は随筆で次のようにつづっている。

立派に完成した佐賀文化会館が、友の歓びで輝いていた。
尊き草創の功労者の、追善の儀式もさせていただいた。
三日間の忘れ得ぬ滞在。
――佐賀は、青年がぐんぐん伸びている。佐賀は、これから強くなるぞ。
二十一世紀の佐賀は楽しみだなと、私の胸は熱くなった。
嫉妬に狂いに狂った宗門の坊主らの暴虐が始まったのは、その翌年のことである。
彼らは、仏意仏勅の和合僧を陰険に引き裂き、広宣流布を進める健気な学会員を苦しめ抜いたのだ。

私の“会長勇退”から、ちょうど一年後の四月、私は中国・上海から長崎に降り立った。その長崎の空港にも、誠実なる佐賀の友が迎えに駆けつけてくれた。
また、長崎から福岡に列車で移動する途中、佐賀駅のホームにも、わが同志が待っていてくれた。
「佐賀よ、負けるな! 佐賀よ、頑張れ!」と、窓越しに手を振り、目と目は涙と笑みに光った、あの瞬間は、今も鮮烈に心に焼きついている。

「栄え」の郷土を
90年(平成2年)9月24日、先生は13年ぶりに佐賀を訪問。「十三年 待ちに待ちたる 佐賀の旅 喜び満ちたる あの顔この顔」など3首の和歌を詠み贈り、代表の友に語った。

その人その人によって、幸福の味わいもさまざまである。経済的な豊かさや、地位、名声等、人それぞれである。
だが、ひとたび心の破れた人は、幸福の「醍醐味」を味わうことはできない。信心に徹し、どこまでも題目を唱えながら生き抜いた人こそ、永遠の勝利者であり、醍醐味の幸福を得ることができるのである。

私どもは皆、平等である。皆、仏子である。だれが偉いのでもない。信心のある人こそが偉大なのである。
尊き仏子をかりそめにも軽んじるようなリーダーであってはならない。
求道の人には、まさに「立って仏を迎える」ごとく、真心で応えゆくリーダーであっていただきたい。

固く団結しながら、麗しき「栄え」の郷土、素晴らしき「栄え」の人生を築いていただきたい。

この佐賀訪問から6日後の9月30日、九州研修道場(当時)で開催された全国男子青年部幹部会。席上、池田先生は、佐賀の友の広布功労をたたえつつ、スピーチした。

佐賀は、九州の中でも地味な地域ではあるが、佐賀の友は地道に、真面目に広布の活動に励んでこられた。その労苦を私は最大にたたえたい。
とともに、むしろそうした目立たないところで活躍していくのが、本当のリーダーとなっていくための修行であることも忘れてはならないであろう。
世間には、華やかな大都会にあこがれて、幻のごとき名声や人気を追い求める生き方も少なくない。
しかし、幻はどこまでも幻である。現実はどこまでも現実である。
そして、自分はどこまでも自分であって、それ以上でも、それ以下でもない。
それを忘れて目先のことにとらわれ、真実の生きがい、人生の目的を見失ってはならない。

たとえ、喝采のない地味な一隅にあったとしても、自身の立場で「良き人生」と「良き社会」の建設へ、そして「広宣流布」へと懸命に祈り、行動していく。
そこに仏法者の生きがいがあり、その健気な心根こそ大切なことなのである。