世界広布の模範たれ

三色旗がはためく恩納村の沖縄研修道場(1999年2月、池田先生撮影)
一番、幸福に!
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は沖縄県を掲載する。
池田先生が沖縄を初めて訪問したのは1960年(昭和35年)。会長に就任した年の真夏の7月16日であった。
日蓮大聖人が、「立正安国論」を提出されて700年のその日に当たってもいた。
先生は「一番、苦労した沖縄が一番、幸福に!」と心から祈り、励ましを送り続けてきた。折々の随筆では、沖縄の同志と刻んだ“宝の思い出”を述懐している。
私は、世界の広宣流布の使命をもった第三代会長として、沖縄を訪問させていただく機会を、最大に意義ある儀式として臨んできた。
沖縄での一日は「一年分」――私は、常にこの思いで戦ってきた。
今を逃せば、いつ、また、来られるか分からない。いつ、会えるか分からない。一瞬一瞬が「一期一会」である。だからこそ、徹して友と会い、友と語り、友と動いた。だからこそ、思い出は、交響曲のように胸中に響いている。
那覇市に建った沖縄本部の落成式(昭和37年7月)では、会場に入りきれなかった友のために、私が屋上に出て指揮を執り、「沖縄健児の歌」を一緒に歌った。
私が小説『人間革命』の執筆を開始(昭和39年12月2日)したのも沖縄の中心地・那覇であった。
本土復帰の日が近づく、昭和47年の1月、私は沖縄で二番目の宝城となるコザ会館(現・中頭文化会館)の開館式に出席した。

昭和49年には、念願の八重山・宮古を訪問し、共に語り、共に歌い、共に舞いながら、皆様方と生涯忘れ得ぬ交流を結んだ。
西暦2000年には、「戦争の世紀」といわれた20世紀にピリオドを打ち、沖縄から「平和の世紀」へと転換しゆく希望の祭典が行われた。宜野湾市の沖縄コンベンションセンターでの「世界青年平和大文化総会」である。
あの時、出演したメンバーの多くが、青年部の中核として、壮年・婦人部の若きリーダーとして活躍してくれている。青春の誓いに生き抜く闘争ほど、尊く偉大な勝利の人生はない。
「人間革命」を起稿
なぜ、小説『人間革命』の執筆を、沖縄の地で開始したのか。池田先生は2004年(平成16年)5月の随筆に、その真情をつづっている。

その朝、私は一人、文机に向かい、万年筆を握ると、原稿用紙の第一行に力を込めて書き始めた。
「人間革命」――
そして、「第一章 黎明一」と続けた。
「人間革命」とは、人間の、そして人類の平和と幸福の「黎明」を開きゆく闘争である。
私は、『人間革命』という平和建設の大ドラマを、なんとしても、沖縄で書き起こし、歴史を残しておきたかった。
太平洋戦争の末期、凄惨極まる地上戦の戦場とさせられた沖縄である。
かくも戦争の「残酷」と「悲惨」を味わったからこそ、いずこの地よりも、平和への誓いを宿命としながら、決意も強く、沖縄は戦後の復興に向かった。
「平和の心」「生命の心」「幸福の心」は、いかなる権力にも脅威にも、絶対に譲り渡すことはできない。これこそ、正義の怒りの炎を持った沖縄民衆の不滅の魂だ。
日本は永遠に、この「沖縄の心」を尊敬し、感謝し、宝としていかねばならない。
変毒為薬の信心
「沖縄の心」を象徴するのが恩納村の沖縄研修道場だ。かつての核ミサイル発射台が先生の提案で「世界平和の碑」へと生まれ変わった場所である。1992年(平成4年)2月、先生は沖縄研修道場で開催されたアジア総会の席上、信心の姿勢を語った。
研修道場の前に広がる海は、美しい沖縄の海のなかでも、とりわけ有名である。民謡にも歌われ、広く愛されている。この沖縄の青き海は、「かりゆしの海」と呼ばれている。「豊かな海」との意味である。多くの生きものを養う、広大な海。アジアへ、世界へと続く海。――私どもは、この海のごとく豊かな心、広々とした境涯でいきたい。

何かあるごとに「いよいよ喜んでいきなさい」「それが強盛の信心である」――大聖人のお教えは明快である。この通りに生きたい。この通りの信心でありたい。その人が勝者である。成仏の人である。
すぐに、“またこんなことがあった”“嫌になるな”などと、心が揺れる場合があるかもしれない。しかし、それだけでは、周囲まで暗くしてしまう。誰も得をしない。その時こそ、「変毒為薬」の信心をすべきである。
自分の一念で、苦しみも楽しみに、悩みも喜びに、宿業も功徳に変えられる。全部、輝く常楽の世界に転換できる。難があるから自分も成長できるのである。堂々と「大確信」の信心を貫いていただきたい。
学会は末法濁世の今、大聖人の仏意仏勅を受け、出現した不思議なる「広宣流布の教団」である。
難また難を悠然と受けつつ、前進そして前進の糧にしてきたからこそ、今日の学会の大発展があった。世界の広布大海への展開があった。
ともあれ、“一切はわが生命を豊かにしてくれる滋養であり、栄養である”とのおおらかな境涯で、新たな船出をしてまいりたい。
「誠実」で勝つ
98年(平成10年)2月、フィリピン・香港歴訪の旅を終えた池田先生は、沖縄最高会議(恩納村の沖縄研修道場)に出席。席上、「21世紀の沖縄」の使命を語った。

沖縄の創価家族は、「誠実」で勝ってきた。「誠実」ほど強いものはない。どうかこれからも、沖縄は沖縄らしく、着実に、堅実に進んでいただきたい。そして、アジア広布、世界広布の模範となる友好活動の連帯を、愉快に仲良く、拡大していただきたい。21世紀の憧れの「幸福島」を建設していただきたいのである。
創価学会の21世紀の勝利。その根本は何か。それは、尊き学会の友を、ともかく大切にすることである。
形式や組織主義ではなく、「会員のため」に徹して、温かく、柔軟に、丁寧に、皆が伸び伸びと、自在に広宣流布へ活躍できるように、心を砕いていくことである。
その「革命」ができた分だけ、広宣流布の「勝利」は広がる。
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