平和の鐘を打ち鳴らせ

長崎市の平和公園にある「平和祈念像」に献花し、原爆犠牲者の冥福と恒久平和を祈る池田先生(1982年5月)。先生は随筆につづっている。「平和は戦い取るものである。生命軽視の権力の魔性との闘争であり、人間を踏み躙(にじ)る邪悪との闘争である。その攻防戦に断じて勝ってこそ、平和の旗を愉快に掲げることができるのだ」
誰よりも幸福に
1945年(昭和20年)8月9日、長崎に投下された原子爆弾は、7万3884人もの人々の命を奪った。
池田先生が長崎を初訪問したのは、恩師・戸田先生が逝去した年である58年(同33年)。当時の思いを長編詩に記している。
恩師逝去の年
菊花の十一月
私は
師の心を わが心として
この大地に
平和の火をともさんと
初の支部結成式に臨んだ
そして
長崎の天地に涌き出でた
一万余の友の
前途を祝しつつ
万感の思いをこめて
私は語った――
黒き被爆の大地に
平和の真の楽土を!
もっとも不幸に
泣いた人こそ
もっとも幸福になりゆく
権利がある
被爆の苦汁をなめた
長崎の友は
平和の尊さを誰よりも知る
それゆえに
あなたたちには
この街を この天地を
どこよりも平和な
どこよりも幸せな
国土と変えゆく
使命があるのだ
平和は
決して
与えられるものではない
自らの意志で
自らの手で
額に汗し 語り 動き
岩盤を
こぶしで砕くが思いで
戦い 勝ち取るものだ
この長編詩が詠まれたのは88年(同63年)10月2日。学会の「世界平和の日」である。60年(同35年)のこの日、先生はアメリカ・ハワイを目指し、初の海外指導に出発した。その後の先生の平和行動は、いつも長崎への思いと共にあった。

私は走った
世界の国々を
巡っては
心と心の橋を架け
友誼と信頼の
道を開き
文化の交流の
水路をつくるために
ああ 友よ
長崎の友よ
わが心の平和図には
常に長崎があり
あなたたちの雄姿をば
思いえがいて
私は 平和旅を続けた
古来、海外との“玄関口”であった長崎。江戸時代には鎖国政策を進める幕府のもと、直轄の貿易地として出島がつくられ、オランダや中国との交易で栄えた。先生は、75年(同50年)の第1回長崎県大会に寄せたメッセージで、長崎の歴史や地理を通し、友の深い使命を語っている。

長崎は江戸の封建時代にも町人の天下でありました。この点でも、まさに近代の先駆けをなした地ということができます。
権力を拒否し、庶民が主人公という輝かしい伝統、そして“文化の溶鉱炉”として外国文化を理解し、受け入れ、同化し、独特の文化を創り上げていった力は、長崎の創価学会にも脈々と受け継がれ、発展させられていることと信じます。
静かな入り江の懐深く抱かれ、湾の入口の島々が天然の防波堤となっている長崎は、自然の良港であり、人々の憩いの地でもあるわけです。
今日ここに集われた皆さん方は、この恵まれた自然にも優って、迷い悩む庶民の心を温かく皆さん方自身の懐深く抱き、平和と人間の防波堤となってください。
それには、一人ひとりを大切にする運動を続け、誠実な創価学会、愛される創価学会を築き上げることです。

朗々たる唱題の声こそ、現代の危機を救い、平和を呼び、幸福の確立へ至る“一声”であります。
私は、その一声が長崎の地から、市民の総和として広く沸き上がることを信じて疑いません。
覚悟の人は強い
82年(同57年)5月26日の長崎県幹部会では、池田先生が作詞・作曲に携わった県歌「平和の鐘」が発表された。席上、先生はリーダーの姿勢について語った。
後輩の人々がよく戦っておられることをよく知ってあげることである。真剣に、地道に、無名の人々が活躍していることを見つけ、認め、包容し、ほめたたえていくことが、幹部の最大の要件であることを忘れてはならない。
御書に「ほめられぬれば我が身の損ずるをも・かへりみず、そしられぬる時は又我が身のやぶるるをも・しらず、ふるまふ事は凡夫のことはざなり」(1360ページ)とある如く、凡夫である我々は、互いにこの一点を鋭く、かつ正しく見極めながらの激励がまことに重要であることを知らねばならない。
誓いを持つ人生は深く、充実がある。覚悟を決めた人ほど強いものはない。「後漢書」に「志有れば事竟に成る」とある通りである。
また、真剣な人ほど人をして感動せしむるものはない。確信と希望にあふるる指導ほど人々を感動させ、自信に満ち満ちた信心と人生を歩みゆかせる原動力となるものはない。
信心の指導は峻厳たりとも、春風のごとき人間性をもった包容力ある人には、人々は安心してついていくものだ。
23日から5日間にわたる激励行の焦点は「青年」だった。初日には、諫早文化会館の敷地にある「長崎池田青年塾」で青年たちを激励。最終日の27日には、九州男子部の愛唱歌「火の国『青葉の誓い』」の発表会が開かれた。その時の模様が、99年の随筆に記されている。
私が長崎入りした初日、青年たちが、九州男子部の愛唱歌をつくりたいと、原案をもってきてくれた。
“大楠公”などの歌に込められた父子の心を、後継の決意を表現したいというのだ。
私は応援を約束し、滞在中、時間をこじあけるように、四度五度と推敲を重ねていった。ある時は「青年塾」の一室で朱筆をとり、ある時は大村湾に沈む夕日を眺めながら、不滅の光の言葉を探した。
長崎の県歌「平和の鐘」が、一足早く発表となり、九州男子部の歌が完成したのは、最終日の朝である。それを、凜々しき九州男児たちが歌ってくれた。
火の国・「青葉の誓い」の誕生であった。
〽厳父は覚悟の 旅に発つ
生い立て君よ 民守れ
…… ……
火の国我らの 旗光り
広布の山の 先駆たり
友よいざ征け 黎明だ
ああ青葉の誓い 忘れまじ
夜明けの世紀だ 黎明だ
ああ青葉の誓い 忘れまじ
多くの若人が傷つき、空しく青春を彷徨する時代にあって、今、情熱の血潮たぎる青春を生き抜く、誓いの歌が誕生した。
友情結ぶ対話を
いかにして真の平和を築くか。先生は、2012年の随筆で、被爆体験を語り伝える長崎の壮年を紹介しつつ、こう述べている。
「恒久の平和は脅迫によってではなく、相互の信頼を招く真摯な努力によってのみ、もたらされるものです」とは、大科学者アインシュタインの言葉である。
平和への直道である対話を実らせるには、信頼を築いていくことだ。友情を結び、育んでいくことだ。
そのためには――
相手の話を「聞く」。
相手を「敬う」。
相手から「学ぶ」。
これが、価値ある対話の鉄則である。
御聖訓には、「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(御書1174ページ)と仰せである。私たちの誠実と真剣な行動によってこそ、平和の思潮の水かさも増していくのだ。
誠実な振る舞いと勇気の対話で、人間の絆は強くなる。長崎の友は、きょうも心豊かに友情の連帯を広げ、平和への確かな道を歩む。
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