勇気の旗高く 池田先生と高知
2019年08月02日

「大勇」の信心に立て


広布回天の出発を
幕末から明治にかけて、近代日本を切り開いた偉人を、数多く輩出した高知県。
池田先生は、1955年(昭和30年)1月に、戸田先生と一緒に高知を初訪問。師弟同道の広布旅は、大阪、宮城、北海道に次いで4カ所目であった。
2001年(平成13年)の随筆で、当時の様子を振り返っている。

その日は、皆が待ちに待った、高知地区の記念の総会が活気に満ち満ちながら、開催されたのである。
この晴れの総会で、私は学会歌の指揮をとるように言われた。それは、戸田先生自ら直々に、私を指名されたのであった。
“四国の友よ、勇敢に立ち上がれ!”と、私は渾身の指揮をとって、皆を励ました。皆、喜んでくださった。
やがて、戸田先生の講演となった。
先生は、板垣退助や中江兆民など高知が生んだ自由民権の先人たちが、フランスの思想家ルソーを学んで、政治革命をめざした歴史を語られ、強く、強く訴えられた。
「今日の新しい時代の平和革命は、日蓮大聖人の思想を実践する以外にない。
高知の地から、新たな平和革命のうねりを頼む!」

1990年(同2年)11月の訪問の折、池田先生は、坂本龍馬の像を見学。高知文化会館で行われた第1回四国総会において、偉人たちを育んだ土壌に言及した。

土佐の海は雄大である。ロマンがある。この土佐の大海原は、坂本龍馬たちの青春の魂を、壮大なる新世界へと広げた。また、その潮騒は、明治維新という近代日本への歴史回天の大波を力強く育んできた。

私は戸田先生の訪問の折、お供をして、この地に法戦の第一歩を刻んでいる。高知は、ことのほか忘れがたい、大好きな天地である。
戸田先生は、龍馬について、よく私ども青年に語ってくださった。この高知から、歴史回天への船出をした龍馬。それは、日本の新しい夜明けを告げる、青春の旅立ちだった。どうか、今度は皆さま方が、人類史に希望の夜明けを開く新しき広布回天の出発をしていただきたい。

流れる水のごとく
高知県民は気骨があり、勝ち気で、容易には自説を曲げない気質ともいわれる。
その県民性を深く理解していた池田先生は、「水の信心」と「団結の高知」との指針を贈った。1972年(昭和47年)6月20日、「高知の日」の淵源である、記念撮影会の席上でのことだ。
6年後の12月、先生は8日間にわたって高知に滞在。二つの指針に、新たに「功徳の高知」を加えた。この高知訪問について、先生は1999年(平成11年)の随筆につづっている。

私の、この一九七八年(昭和五十三年)の高知指導は、滞在も七泊八日となり、(中略)記念の勤行会や幹部会だけでも十回以上にわたった。
満潮の潮のごとく、嬉々として集まる情熱が噴き出し、その希望と抱負に満ちた同志の生命の輝きは、決して忘れることはできない。
皆、質素であるが、尊き広布の英雄たちである。
折から行われた教学の初級試験の当日も、私は、自ら試験会場を回って激励もした。

相手が一人であれ、何百人、何千人であれ、可能な限り、直接、会って語る。
誠意を尽くして激励する。
それが、真のリーダーの責務であろう。
戦う人には勇気の風を。
悩める友には希望の光を。
そして、求道の闘士には、歓喜と満足を送るのだ。
民衆のなかへ!
人間のなかへ!
これが、私の信念であり、行動の原理である。
ここにしか、生きた、熱き血の通った人間主義はないと信ずるからだ。

この訪問中、私が強調したのは、「“水の信心”を貫いてほしい」ということであった。御聖訓にいわく。
「今の時・法華経を信ずる人あり・或は火のごとく信ずる人もあり・或は水のごとく信ずる人もあり、(中略)水のごとくと申すは・いつも・たいせず信ずるなり」(御書1544ページ)
持続は力である。
持続の行動こそ、歴史を根底から動かす。
楽聖ベートーベンも、病に苦しみながら、必死に創作に挑んでいた四十代の半ば、「ほんとうに点滴石をうがつ。実際、ほんとうに点滴石をうがつ」(小松雄一郎訳)と書いた。
流れる水のごとく、何があっても、弛まず、断固と前進する闘争のなかにこそ、信仰と人生と革命の勝利がある。

「朗らか王」たれ
高知では草創期から、宗門の悪侶らが衣の権威を振りかざしていた。しかし高知の友は、度重なる師の激励を胸に、敢然と戦い抜いてきた。
1990年(平成2年)の高知指導において、池田先生は、高知の友をたたえ、呼び掛けた。

人生は“強く”また“強く”生きることである。“前に”また“前に”進み続けることである。頭を上げて、堂々と生きる人は幸福である。その人に、人生は道をあける。魔も逃げていく。
かつて、この高知においても、ご存じのとおり、仏子への迫害の嵐が吹き荒れた。悪侶のために、どれほど皆がいじめられたことか。多くの人が涙を流し、私はその訴えを聞いた。この事実は一生涯、私たちの胸から離れないであろう。
二度と、こうした不幸の歴史を繰り返してはならない。鋭く真実を見抜き、強く護法のために戦わねばならない。「大勇」の信心に、乗り越えられぬ山はなく、打ち破れない壁はない。
これからも広宣流布の途上には、どんな難があるかわからない。しかし、何ものも恐れることはない。「法華経の兵法」に勝るものはないからである。
正義を正義として、真実を真実として、勇敢に叫びきっていくことである。沈黙する必要はない。へつらう必要も絶対にない。

“朗らかに”人生を生きぬいていただきたい。簡単なようで、じつはそこに信心の一つの要諦がある。幸福を呼び寄せる大切な秘訣がある。
“朗らか”のなかには、強さがある。賢明さがある。豊かな心情もある。“芯”の通った人格の輝きもある。
幸・不幸を決めるのは、環境ではない。人間である。自分自身の境涯である。
弱き人は、幸福そのもののような環境でも「不幸」を感じる場合がある。
強き人は、不幸そのもののような悩みの境遇のなかから、金剛のごとき「幸福」を打ち鍛え、つくり出すことができる。
そして信仰とは、最高に“強く”生きぬくことである。悩みも圧迫もすべてをはね返し、ねじり伏せ、わが「精神の王国」には一歩たりとも寄せつけない。
すべてを希望へのたきぎとし、幸福へのエネルギーとしていける――それが王者である。「朗らか王」である。

創立90周年の明2020年は、池田先生の高知初訪問65周年の佳節である。
「世界広布の魁」の誇りに燃え、“高知新時代”の黎明を告げる人材城の構築へ、友の新たな前進が始まる。