勇気の旗高く 池田先生と福島
2019年07月26日

人材の「宝の山」を築け

前進の決意あふれる福島総合本部幹部会。最後に、池田先生の勇壮な指揮で「嗚呼黎明は近づけり」を大合唱した(1969年10月30日、福島市内で)

東北発展の要
日本第3の面積を誇る福島県。南は関東、北は宮城県と山形県、西は新潟県と接し、豊かな自然に恵まれている。1995年6月、東北代表協議会に出席した池田先生は、“東北発展のカギをにぎるのが福島”と強調した。

「福島」とは、つくづく、良い名前である。
“福の島”――それは、“福運の島”“福徳の島”“幸福の島”とも読める。山があり、緑があり、海がある。どれをとっても、一流の趣を感じる。
また、将来の東北にあっても、福島は首都圏と結ぶ“要衝の地”として、大きな可能性が指摘されている。
二十一世紀は「東北の時代」である。その発展のカギをにぎるのが福島とされているのである。

福島、なかんずく会津の地には「人を育てよう」という精神が脈打っている。古来、教育に尽くした会津人は多い。
江戸時代の会津の藩校「日新館」は、全国三百藩中でもトップクラスの学校であったと評価されている。
この「日新館」には、吉田松陰(1830―59年)も二十一歳の折、はるばる訪れている。
松陰は、東北が日本の将来にとって重要な地域であることを見抜いていた。会津藩も訪れ、人々と語らった印象を「文武の士が多いので大変有意義だった」と、松陰は記している。
会津は、確固たる人間を生み出してきた国土である。世界に通じる「信念の人」「知性の人」も多く出している。

この誉れ高き福島の天地に、私どもの力で、人材の「宝の山」を堂々と築いてまいりたい。
心こそ大切である。人材を見つけよう、人材を育てようという心が「宝の山」を築く土台となる。
若い人を育てれば、自分も若くなる。学会員のために尽くせば、自分が幸福になる。
「心」である。「心」で決まる。

生命力を満々と
本年は、10・30「福島の日」50周年の佳節を迎える。池田先生は、この淵源となった福島総合本部幹部会で、「希望に燃えて」「経済力」「生命力」との三つを示し、激励した。

申し上げたいのは“希望に満ちた人生”であってほしい、また“希望に満ちた信心”であってほしいということです。自身の生活を革命していくのが人生ではないかと思います。いわんや、更に偉大な革命を成し遂げて厳然たる証拠を示していくのが、真実の信仰ではないでしょうか。
それを退廃的になったり、意固地になって、人生を惰性に終わらせるようなことがあっては断じてならない。大切な一生というものを、紙くずのようにむだにしてはいけない。最大・最高に幸せを満喫し、それを我が人生のうえに証明していかなければならない。そのために希望に燃える人生、信心を続けていかねばならないことを、まず申し上げたいのです。

次に“生命力の福島”であってもらいたい。生命力が一切の本源力です。それは、力強い題目で、御本尊に真っ正面からぶつかっていくことです。

御本尊にビーンと響くような勤行であり、唱題でなくてはいけません。声がリンリンと響くような唱題です。だれが聞いても「いいなあ」と思い、信心に反対している人が聞いても、たとえ、それが小さな声でも「ああ、いいなあ、さわやかである」というような勤行であり、唱題でなければいけない。そこに初めて、たくましい生命力が生まれてくるのです。

負けない強さこそ
1984年5月13日、福島市の信夫ケ丘競技場に3万人が集って行われた第1回「福島青年平和文化祭」。池田先生は、99年の随筆でこの文化祭に触れ、苦難に屈しない福島健児の魂をたたえた。

鉛色の空から、我慢しきれないように、絹糸の雨が落ちてきた。しかも、日中というのに、三月下旬の寒さであった。
私は皆様の健康を考え、開会を早めてもらった。
しかし、戦い抜いた青年たちの魂の底からの大音響は、雨のなか、フィールドいっぱいに轟き、その躍動する生命は燃え、舞っていた。
なかでも、五段円塔を中心にして、そこから左右に人間ブリッジを渡すという、“五段円塔ブリッジ”は圧巻であった。
雨に濡れながらの、凜々しき騎士たちの一人ひとりに、私は“王の冠”を載せてあげたかった。
私は、声高らかに謳った。
――君たちの顔は、清らかであった。
君たちは、光の満ち満ちた、新しい生命の若き天使である。
その生命が幸福であることには間違いない、と。

私は、一人の幹部に言った。
「雨が降ったからこそ、すばらしき思い出となった。苦難と苦戦のなかに、偉大な思い出ができるものだ。この思い出が勝利の源泉になるのだ」と。
もちろん、皆は晴天を祈りに祈ってきたのであり、晴れるに越したことはない。
しかし、青年たちの情熱は、この試練の雨さえも、揺るぎなき信仰のドラマを演出する、意義深き銀の慈雨に変えたではないか!
あの日、あの時、冷たい雨に堂々と胸を張った、愛する福島同志の晴れわたる勝ち鬨は、今も私の心に響いている。
苦難に遭うことが、不幸なのではない。苦難に負けることが不幸なのだ。
ゆえに、何ものにも負けない強さこそが、信心の極意であり、永遠の勝利と幸福の土台となるのだ。

さらに先生は、破邪顕正の重要性を訴えつつ、東北の未来をリードする福島の使命に万感の期待を寄せた。

仏法は、永遠に仏と魔の闘争である。
断固として、邪悪を破り、民衆の連帯の痛快なる万歳を叫びきっていく時代を、勇敢に開いていくことが「東北革命」である。その推進力こそ、わが「人材の福島」の闘士の粘り強き行動なのである。
蓮祖は仰せである。
「(法華弘通の法戦の)その時、いち早く先陣を切る者は、三世十方の仏を供養するのと同じ功徳を必ず得るだろう」
(「其の時先さきをしてあらん者は三世十方の仏を供養する功徳を得べし」〈御書1415ページ〉)
福島は、東北の「先駆」の法城だ。
さあ、出発しよう! 広宣流布という平和の大遠征へ!
我らが携えるものは、勇気、勇気、そして勇気である。
美しき福島研修道場が立つ猪苗代湖の銀の鏡は、福島の友の笑顔を映し、今日も輝いている。