勇気の旗高く 池田先生と岐阜
2019年06月14日

知恵豊かな「勝利王」たれ

岐阜の空に鮮やかな虹が懸かる。七色の光は苦悩を勝ち越えゆく、創価の友の姿に似て(2007年11月、池田先生撮影)

「破邪顕正」の初陣
池田先生の岐阜初訪問は、1953年(昭和28年)12月13日。戸田先生の命を受け、戦時中、軍部政府に迎合し、「神本仏迹論」なる邪義を唱えた極悪坊主を破折するためである。先生は、中部の同志に贈った長編詩「新しき大中部の太陽よ 勝ち昇れ!」で詠んでいる。

あれは
昭和二十八年の師走――
二十五歳の私は
中部の大地に勇み立った。

岐阜駅から
ボンネットバスで
美濃へと向かった。
そこには 戦時中
「神本仏迹」の邪義を唱え
牧口常三郎先生と
戸田城聖先生の
殉難の発端をなした
傲慢きわまる
老獪な悪侶らがいた。

殉教の牧口先生の偉大さを
訴え抜きながら
私は この坊主を叱咤した。
金儲けなど考えるな!
正法正義の師弟に
懺悔し謝罪せよ!

初代と二代を苦しめ抜いた
邪宗門の魔僧の悪行に
三代の私が
ここ中部で
最後の止めを刺したのである。

「破邪顕正」の遠征が
中部での初陣となった。
まず「破邪」である。
邪悪を打ち破ってこそ
「顕正」がなされる。
師匠の正義を宣揚できるのだ。
30年前の1989年(平成元年)4月19日、岐阜平和講堂で行われた第16回本部幹部会において、先生は「岐阜」の名の由来と意義を語った。

「岐阜」という名には、天下をも包みゆくような広がりがあり、気宇壮大な響きを感じる。ご存じのように、この地名は、古代中国の王・周の文王(紀元前十一世紀ごろ)が“「岐山」に起って天下を定めた”との故事、また孔子の生誕地「曲阜」にちなんで、名づけられたといわれる。

岐阜の「岐」には、知恵がついていく、生い育っていく、との字義がある。「阜」にも、大きくする、豊かにする、盛んにする、との意味がある。
まさに「岐阜」の皆さま方こそ、全員が知恵豊かな「勝利王」であることを、私は確信してやまない。

人間としての栄冠
2003年(平成15年)2月の随筆で、フランスの文豪・デュマを通して、池田先生は岐阜の深き使命について訴えた。

「皆は一人のために。一人は皆のために」
代表作の一つ『三銃士』のなかで、主人公たちが団結を誓う名文句である。
「皆は一人のために」――いわば、一人を大切にする人間主義の心といえようか。
「一人は皆のために」――友のために一人立ち、献身しゆく責任感であろうか。
この両方の心が生き生きと脈動する、真正の人間王者の団体が、わが創価学会だ。
この模範の「人間の都」をさらに堅固にし、さらに強めていかねばならない。
日本の中心たる中部にあって、威武堂々、その民衆大行進の最前線を進むのが、我らの岐阜の使命である。

五十年前(一九五三年)の師走、私は名古屋に続き、岐阜に第一歩を印した。
以来、訪問は二十回にも及ぶが、いつも岐阜の空は澄み渡り、麗しき「飛山濃水」の国土が最高の装いで迎えてくれていた気がする。
岐阜で行った第一回中部青年平和文化祭(八二年)も、「曇りのち雨」の予報を覆して、青い空が不屈の五段円塔を祝福した。

高山の友との出会い(六七年)も、乗鞍や穂高の秀峰が見守っていた。
今、ここには待望の二十一世紀研修道場が完成し、白川郷の合掌造りを思わせる高山文化会館からは、“愛郷”の友の歓声が響いている。
また、七二年(昭和四十七年)の三月十二日、四千二百人の岐阜の友と記念撮影をした日も、清々しい空の彼方に、くっきりと雪の伊吹山が見えた。
会場の県民体育館(当時)には、開館したばかりの「岐阜本部」の巨大な絵が、満開の桜に包まれて描かれ、その下には県花のレンゲ草の花壇が設けられていた。
撮影の合間には、「春の小川」の大合唱となった。私はピアノも弾いた。岐阜の友が喜んでくださるなら、何でもしたかった。
皆、あの「言論問題」で、驕れる権力の罵倒に激怒しながら、悔し涙を流しながら、必死に耐えてきたからだ。

悪と戦わずして、善の勝利はない。善の拡大なくして、幸福の拡大もない。勇気をもって戦う生命こそ、人間としての栄冠なのだ!
これは、中部の同志と共に半世紀、来る日も来る日も、広宣流布の戦場を勝ち越えてきた私の結論である。
わが岐阜の同志よ! 正義と幸福の炎を燃やしながら、人生の凱旋門へと続く「この道」を、夫婦と共に、親子と共に、そして同志と共に、朗らかに、堂々と、勝ち進んでくれたまえ!

日本一の和楽の団結
岐阜県の南西部で、東軍・徳川家康と、西軍・石田三成が激突した「関ケ原の戦い」。この天下分け目の決戦から400年後の2000年6月、先生は随筆「『関ケ原決戦』四百年」をつづった。

「関ケ原の決戦」の勝敗は、わずか一日で決した。
勝者・家康は、二百六十余年続く江戸幕府を開き、敗軍の将・三成は処刑になる。
戦いは厳しい。人生の戦いであれ、広布の戦いであれ、断固として、勝たねばならない。

「真の団結」は、中心者が、どこまで同志を尊敬できるか、どこまで、同志のもてる力を発揮させることができるか、で決まるといってよいだろう。
ゆえに、輝く勝利は、御聖訓にある「異体同心」という厳たる団結にある。
そして、勝利の堅塁は、輝く人材の陣列の強化のなかにあるのである。

戦は「勢い」で決する。誰でもない、リーダー自身の「勢い」で決まる。
まさに「軍には大将軍を魂とす」(御書1219ページ)である。

2002年の随筆で、先生は岐阜の同志に「日本一」の団結を呼び掛けた。

わが正義の学会は、「今日蓮が時に感じて此の法門広宣流布するなり」(御書1023ページ)との御聖訓通り、全世界に、この大聖人の法門を広宣流布している。
「正義の大道」を、たゆみなく勝利の前進で、歩み、戦いゆくことは、何と素晴らしき喜びであろうか。

創価学会は、この濁世にあって、大聖人の未来記を、寸分違わず実現し、証明してきた。
そして、その誓願の炎が、明々と燃えあがる模範の山河こそ、わが岐阜なのである。忍耐の持続の彼方に、栄光があり、勝利があるからだ。

広宣流布の歴史を着実に進めてきた天下の岐阜よ!
天下にそびゆる、広宣流布の栄光城よ! いついつまでも勝ちゆけ!
そして、日本一の楽しき同志の和楽の団結を示してくれ給え!