勇気の旗高く 池田先生と兵庫㊦
2019年06月06日

信心とは「無限の希望」

“信心は「無限の希望」「永遠の希望」を生む智慧である”――21世紀兵庫希望総会・SGI総会で、池田先生が不屈の友をたたえる(1995年10月17日)

蘇生の勝利劇
1995年(平成7年)1月17日未明に起きた阪神・淡路大震災。発災直後、池田先生は兵庫の幹部に、心からのお見舞いを伝えた。そして「リーダーが嘆いていてはいけない」「最前線で激励するのだ」と伝言を。ハワイでの学術講演への出発を即座に延期し、激励の手を打ち続けた。

海外への出発を、これ以上、変更できない講演のギリギリ直前まで延期した私は、被災地域の支援を全力で指揮していった。
そしてまた、海外での行事を終えると、すぐに、愛する関西に直行したのである。
わが勇気の同志たちは、被災の現場で決然と立ち上がった。自ら被災され、怪我を負いながら、人びとの励ましに奔走した友も数知れない。
学会の九つの会館では、被災者を受け入れ、近隣の友のために尽くし抜いた。
究極の心の力である「勇気」を、被災地・阪神と淡路の皆様方は、厳然と発揮し、いち早く奮闘していかれたのだ。
それに呼応して、全国の同志たちも、すぐさま支援の行動を開始した。

膨大な物資の「量」も、生活にこまやかに配慮した「質」も、鉄道・道路が壊れ、ライフラインも破壊された街の奥の奥まで物資を届ける迅速な「行動」も、みな被災者の方々の必要に即応するために生まれた。
組織があったから動いたのではない。苦しんでいる方々の痛みを共にし、行動せずにはいられぬ「同苦の心」が、同志の胸に燃えていたからこそ、真心のネットワークがフル回転で働いたのだ。
大苦難の中の魂が、人間共和の光源となって、目覚めていったのである。

「妙とは蘇生の義」(御書947ページ)との法理のままに、わが同志の勝利劇は、枚挙にいとまがない。兵庫の皆様は、歴史に残る蘇生の戦いを示し抜いてくださった。
「わざはひ(禍)も転じて幸となるべし」(同1124ページ)
我らに絶望は断じてない。
日蓮仏法の信仰は、永遠の希望の光源であるからだ。
常勝関西の皆様は、この希望の大哲理を、厳然と証明してくださった。
今も、世界の被災地の人びとが、「神戸を見よ!」「兵庫に続け!」「関西の如く!」と勇気づけられている。

挑戦と応戦

ハワイ訪問を終えた先生は真っすぐに関西へ。全ての犠牲者の冥福を祈念し、渾身の励ましを重ねた。
震災9カ月となる10月17日には、兵庫池田文化会館での「21世紀兵庫希望総会」に出席。当初、この集いの名称は「兵庫総会」だった。しかし先生は、そこに「希望」の二字を加えるよう提案。「復興に向けて、懸命に立ち上がろうとしている。この『兵庫の心』を世界に伝えてもらうのです」。先生は、兵庫の不屈の魂をたたえ、語った。

日蓮大聖人の仏法は、「無限の希望」の哲学である。
どんな人生も、行きづまりを感じることはある。また、今、日本も、世界も、行きづまっている。多くの人々も行きづまっている。
希望を生み出す不滅の哲学がないからである。
しかし、私たちには絶対に行きづまりがない。どんな状況にあろうと、限りなく「希望」をわき立たせ、「希望」を実現していける。

大切なのは「信心」である。「心」である。社会的地位や名声があろうとも、「心」が違ってしまえば、幸福の軌道から外れてしまう。
大聖人は「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(同1360ページ)と仰せである。
「日蓮と同意」の人生が最高の正義の人生であり、幸福の人生である。大聖人は、「地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」(同ページ)と仰せである。

私どもは「無限の希望」の源泉である題目を楽しく唱えきって、堂々と、行きづまりなき、この人生をともに生き抜いてまいりたい。

この年(95年)は、歴史学者トインビー博士の没後20年に当たっていた。先生は兵庫希望総会のスピーチで、博士との対談に言及している。

目先のことではない。自分の死後、二百年、三百年先をどうするか。そのために今、何をなすべきか。博士も私も、ただ、その思いしかなかった。私たちは語り合った。
「困難な環境にどのように対応するかが、文明創造のバネとなる」と。
博士の歴史観の一つの結論は、「挑戦と応戦」の理論である。“自然をはじめとする環境が人間に試練を与える時、その挑戦に屈服せず、雄々しく応戦しゆく、たくましき社会から、新しい文明が生み出される”という洞察であった。

兵庫は、大震災の大試練を乗り越え立ち上がってこられた。その不屈の精神は、やがて日本をリードし、21世紀の文明の大きな核となっていくことを、私は確信してやまない。

人生は「戦い」

2000年(平成12年)2月29日、池田先生は最も被害が甚大だった地域の一つである長田区の長田文化会館へ。懇談的にスピーチした。

人生は戦いです。幸福になるための戦いです。
しかし、何も困難がないことが幸福ではない。
仏法は「煩悩即菩提」と説く。日蓮大聖人は「南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり」(同1143ページ)と仰せである。
だれでも、苦しみや、悩みがある。災難にあう。最も大きなものは死である。これは運命であり、どうしようもない人間の業ともいえる。
しかし妙法を唱え、広布へ戦う人は、自身が妙法の当体となる。いかなる苦難も、災難をも悠々と乗りきっていける力を、毅然たる自分自身を、築くことができる。
そして死後も、その生命は大宇宙に溶け込み、妙法のリズムと合致して、幸福の軌道を進んでいける。
妙法は、生き抜く活力である。「年は・わか(若)うなり」(同1135ページ)と仰せのごとく、生き生きと、人生の総仕上げを飾っていただきたい。柿の実が真っ赤に熟すように。荘厳に輝く夕陽のように。
「南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」(同788ページ)である。
どうか朗らかに! 朗らかな人には、だれもかなわない。そして忍耐をもって生き抜いていただきたい。

不撓不屈の魂

2000年1月、兵庫池田文化会館の隣に「関西国際文化センター」が完成。先生は同年6月の随筆で、「神戸の街のメーンストリートに、肩を並べる二つの城は、いかなる人生の困難にも屈しない、民衆の“不撓不屈の魂のシンボル”である」と同センターへの訪問を述懐し、兵庫の使命を訴えた。

嵐を呼ぶ、混沌の社会のなかにあって、我らの進みゆく道には、迷路はない。道につまずいたり、壁に突き当たったりする愚か者もいない。
我らは、力強い、正義の声が光る、喉をもっている。信心強き、天の叫びをもっている。我らの魂は、いつも幸せである。
倦怠の人を見下ろし、常に身動きもできぬ、哲学なき弱々しい人生を下に見ながら、断固として、崩れざる隊列を組み、昇りゆく太陽とともに、戦い、勝ち抜いていく、「仏の軍勢」である。

兵庫の君たちよ。
兵庫の我らよ。
勇壮な思いで、鷲のごとく飛び、獅子のごとく走り、生命の光彩に満ちあふれた、「勝利の兵庫」を創作するのだ。

平和の緑の季節から、戦いの情熱の初夏へ。
わが兵庫の創価の闘士よ!
夢に見た「勝利の花」「栄光の花」を咲かせるのだ!
我らの関西は、永遠の「幸福の花の都」を築くのだ!