世界の憧れ常勝の模範

三色旗を振り、兵庫の同志に励ましを送る池田先生ご夫妻(91年10月16日)
人権闘争の舞台

1957年(昭和32年)7月3日、事実無根の選挙違反容疑で不当逮捕された池田先生は、2週間に及ぶ獄中闘争を経て、17日に出獄。その日、開かれた大阪大会で“最後は、信心しきったものが必ず勝つ!”と師子吼を轟かせた。7月を「師弟の月」「関西の月」と呼ぶゆえんである。

兵庫の同志にとって忘れ得ぬ歴史が、62年(同37年)1月24日、先生が出席して尼崎市体育会館で行われた「関西男子部幹部会」である。84回にわたった「大阪事件」の判決を、翌25日に控えていた。
兵庫は、私が人権闘争の歴史を刻んだ舞台である。
一九六二年(昭和三十七年)の一月二十四日、関西男子部の幹部会が開催された。
私が無実の選挙違反容疑で逮捕された、あの“大阪事件”の裁判の判決前夜であった。
会場は、忘れ得ぬ尼崎市体育会館。
私は、一万二千の若き弟子を前に、厳然と宣言した。
「次の世代にバトンを渡すまで、なんで自分の生命が惜しいものか。善良な市民を苦しめている権力とは、断固、一生涯戦う!」と。
翌日、無罪判決が下った。日本の潮となりて高鳴りゆく創価の行進を狙う、権力の魔性を打ち破った朝であった。あの日の覚悟のままに、私は走り抜いてきた。正義の電流を全世界に広げ抜いてきた。
「不可能を可能にする」仏法勝負の大闘争で!
偉大な「常勝関西」の戦友と共に!
大誠実の対話を
「常勝関西が、永遠に『常勝』であるためには、兵庫が要である」――池田先生は2004年6月の随筆で、その偉大な広布の足跡をたたえ、兵庫の使命に言及した。

兵庫の使命は大きい。
関西の勝利が全国の勝利へと深く連動しているように、兵庫の勝利は、必ず関西の常勝へと、大きくつながっていくのだ。
昭和三十一年、あの「“まさか”が実現」と、世間を驚かせた大勝利を飾ったあと、私は、兵庫と大阪にまたがる伊丹空港から、東京へ凱旋した。その翌年には、東灘区にある御影公会堂で、神戸の大会など、意気軒昂の会合を開催した。
戸田先生が逝去された直後に行われた教学試験で、灘区の会場へ、激励に駆けつけたことも懐かしい。常勝の心臓部・尼崎では、節目、節目に、広布の盤石な布石をした。
海光る淡路島にも渡り、明石総支部の友と合同の記念撮影会にも臨んだ。緑深き丹波や但馬、豊岡などにも、私は友のために、人間を結びゆくために走りに走った。
また、六甲の風薫る北区にも、文化の都・宝塚にも、車を走らせた。
昭和五十三年には、「臨終只今」の思いに突き動かされるように、神戸市の須磨区、垂水区を通って、加古川、姫路へも懸命に走った。
常勝関西の“西の砦”である西播、播州、そして播磨の友の活躍も、よく伺っている。兵庫のいずこの地にも、同志の笑顔が輝き、勝利の決意が光っている。
昭和四十一年九月、神戸で行った九千人の大撮影会も、生涯、忘れることはできない。“雨の関西文化祭”の二週間ほど前であった。
何グループにも分かれて、撮影台に並ぶ。九千人ともなれば、撮影は二十数回にも及んだであろうか。
焦点は、同志一人ひとりである。私と一対一の、師弟の歴史を、決意の原点を、どれだけ一人ひとりの同志につくり、生命に残してあげられるかである。
私は真剣であった。その一回一回、その一瞬一瞬、渾身の励ましを送り続けた。
この記念撮影から何十年たっても、「あの出会いが人生の支えになった」「いかなる困難にも負けまいという原点になった」等々の話を伺うたびに、わが胸は嬉しさでいっぱいになる。
友情の対話も同じだ。ただ時間をかければいいのではない。一回一回、瞬間瞬間の出会いを大切にする、その大誠実が相手の心をつかむのだ。
逆境に打ち勝つ
「父は兵庫に赴かん」と湊川の決戦に臨む父・楠木正成は、「御供仕えん」と討ち死にを覚悟する長子・正行に、生きて戦うよう諭す――恩師・戸田先生が格別に愛し、幾たびも青年に歌わせた“大楠公”。池田先生もまた、この曲を愛し、“早く生い立て”と、後継の友の成長を願い、師弟の魂をピアノの旋律に託してきた。
この“大楠公”の曲を弾く私の胸には、いつも兵庫の友が光っている。父である戸田先生と、弟子である私たちとの、歴史の一頁を響かせていく歌であった。
広宣流布への大戦闘、慈折広布の法戦の大勝利のために、私たちが先生と共によく歌った、懐かしき歌である。
いかなる困難にも、“なにくそ! 負けへん!”と生き抜き、戦い抜いてこられた、尊きわが同志よ!
皆様の生きる勇気の光が、自らを照らし、さらに人びとの希望となったのだ!
わが兵庫の偉大な弟子よ、断じて負けるな! 生き抜く仲間のため、亡くなりし方々のためにも、勇敢に尊い人生を勝ち飾ってくれ給え!
「常勝」とは、苦難に屈せず、逆境に打ち勝ち続ける生命に輝く栄冠であるからだ。
関西魂の電源地
池田先生の無数の励ましを胸に、新たな広布の歴史を開いてきた兵庫の同志。師から贈られた長編詩「常勝の詩 大兵庫に勝鬨を!」を心に抱き、勝利の頂へ駆け上る。
忘れもしない
昭和四十一年の九月十八日
甲子園球場に
繰り広げられた
あの大雨の中の文化祭!
日本の友が
世界の友が大喝采した
創価の大文化運動である。
この日
兵庫から世界へ
不可能を可能にする
「関西魂」が
発信されたのだ。
ここ兵庫こそ
世界が憧れる
「カンサイ・スピリット」の
電源地と
永遠に刻まれ
残されたのだ。
兵庫が勝てば
関西が勝つ!
関西が勝てば
世界が勝つ!
ゆえに
あなたよ!
兵庫のあなたたちよ!
日本中
そして
世界中の模範となりて
わが友のために
断じて負けるな!
断じて勝ちゆけ!
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