勇気の旗高く 池田先生と富山
2019年05月22日

大幸運の人材山脈

陽光を浴び、緑の濃淡が映える砺波(となみ)の田園(1984年8月、池田先生撮影)

一対一の対話こそ
池田先生が富山の地を初訪問したのは、1957年(昭和32年)10月27日である。
先生は高岡駅近くの学会員宅で開催された指導会へ。その後、富山市内での指導会にも足を運んだ。
富山をはじめ北陸は古来、念仏信仰の根強い土地柄である。その環境の中で、同志は妙法の旗を高々と掲げ、幸福の連帯を幾重にも広げてきたのである。
先生は2003年(平成15年)4月の随筆で、富山の同志の奮闘をたたえた。

生命の芯の強い富山の同志に、私は頭が下がる思いであった。私は呼びかけた。
「きょうは何でも聞いてください!」
指導会は即座に質問会となった。同志の手は、いっせいにあがった。
この日の夕方には富山市内に移動し、小さな幼稚園を会場に指導会を行った。ここでも、質問が相次いだ。
対話である。対話こそ、一対一の人間と人間との魂を触発させ、そして結合しゆく、平凡のように見えて最も重要な方程式である。
指導会が終わる頃に、私は御書の一節を引いて語った。
――「仏の名を唱へ経巻をよみ華をちらし香をひねるまでも皆我が一念に納めたる功徳善根なり」(御書383ページ)との御聖訓があります。わが胸中に功徳善根を輝かせていくのが、信仰の目的です。仏は、外にいるのでなくして、自分自身の生命の中に生きているのだ。それを、涌現するための信仰なのです――。

「富山といえば、大地を赤や黄に彩る、あの『チューリップ畑』が目に浮かぶ」と、池田先生は述懐している。
チューリップは「富山県の花」。球根出荷量で日本一を誇る。先生は、チューリップの品種改良に取り組んできた友の言葉に触れながら、富山への万感の思いをつづった。

「チューリップの成長には休みがありません」
「年中無休で世話をしなければ、決して良い花をつけないことが分かりました」
「チューリップは、こまめに通ってあげればあげるほど、こちらの思いに応えてくれます。耳があるのではないかと思うほど、人の足音を聞いて育つ植物なのです」
この話は、私の胸から一生離れない。粘り強く励ましの春風を友に贈る富山の同志の姿と二重写しになっている。白雪を冠にし鎧にして輝く、毅然たる三千メートル級の高山が連なる立山連峰と同じく、北陸の人材連峰の栄光と勝利を、私は絶対に祈らずにはいられない。
新世紀の富山よ、そして、新世紀の北陸よ、万歳!
一人ももれなく、健康であれ、幸福であれ!
私は、まばゆき異体同心の北陸に、大幸運の人材山脈が輝きゆくことをば、一生涯、祈りに祈っていきたい。

苦難に負けるな!
1984年(昭和59年)8月24日、池田先生は富山文化会館で行われた北陸青年部の勤行会に出席。誉れ高き「北陸青年部の日」の淵源だ。
この時、若き友は2日後に控えた「第1回北陸平和文化祭」に向けて、日夜、懸命に準備に当たる最中であった。
先生は2001年(平成13年)7月の随筆で「皆、文化祭に向けて奮闘中の青年たちである。出演者も、運営の役員もいた。日焼けした顔が“青春の勲章”のようにまぶしかった」と回想しつつ、次のように述べた。

恩師は、よく言われた。
「どんなに辛いこと、苦しいこと、悲しいことがあっても、時がたてば、“なぜ、あんなものに苦しんだのだろうか”と思うものだ」
私は、この教えを通し、青年たちに指導した。
“現在、どれほどの苦難に直面していても、絶対に挫けてはならない。諦めてはならない。断じて、断じて負けてはならない!”と。
苦労しながら戦った分だけ偉大な自分を創造できる。
途中がどんなに苦しく、辛くとも、粘り抜いて、今日を勝て! そして、最後を勝て! 勝てば、いっさいの労苦は黄金の宝に変わる。

広宣流布の多様な活動も、社会改革の正義の闘争もそうだ。かのタゴールも、人間が人生から学びうる最大の教訓について、こう述べている。
それは、「この世には苦しみがあるということではなく、苦しみを活用するかどうかはわれわれ次第であり、苦しみは喜びに変わるということである」(「サーダナ」美田稔訳、『タゴール著作集』8所収、第三文明社)と。

人生の究極は歓喜
1982年(昭和57年)9月11日、富山文化会館で開かれた富山県記念支部長会。席上、池田先生は「歓びたまえ! 歓びたまえ! 歓喜こそ生命の肝心なり、人生の目的なり」とのトルストイの言葉を引用しつつ、あるべき人生の究極の姿に言及した。

人生は、さまざまである。喜びもあれば、悲しみも、また、楽しみも苦しみもある。
だが、人間の本来の究極の一念というものは、歓喜でなければならない。歓喜に彩られた人生こそ、人間の元来の願いであり、最高、究極のものでなければならないという意味である。

日蓮大聖人は法華経五百弟子品の「貧なる人此の珠を見て其の心大いに歓喜す」の文をうけ「此の文は始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」(御書788ページ)と仰せである。まったく大聖人の仏法は、人生道にあって、完璧にして不変の法と道を示されている。

大聖人は、御本尊に南無妙法蓮華経と唱えることそれ自体が「歓喜の中の大歓喜」の人生となると仰せなのである。煩悩即菩提の原理のうえから、苦悩もそして悲しみも、すべてを歓喜の生命の中に包みながら、強靱なる大歓喜の人生を送れるのであると明示してくださった。

この支部長会の最後に、池田先生は“富山出身の誇りを持ち、所願満足の人生を勝ち開け”と呼び掛けた。

富山の方々は、これまで大変ななかを本当によく戦ってこられた。よく耐えてこられた。耐えることが信心の一つである。
ともあれ、皆さまの心情を思うとき、私はこれからも全力をあげて「富山がんばれ!」と申し上げながら、惜しみなく応援していくつもりである。
ご長寿であっていただきたい。所願満足の人生であっていただきたい。生活のうえに、勝利を飾っていただきたい。そして、いずこの地にあっても、「私は富山の出身である」との誇りを持って、後世の人たちの先鞭をつけたといわれる一人ひとりであっていただきたいのである。