勇気の旗高く 池田先生と鹿児島
2019年02月25日

「必ず勝つ」との炎の団結で

雲海に浮かぶ桜島(1990年10月、池田先生撮影)。58年8月の鹿児島初訪問で、先生は青年部員らと共に船で桜島へ。この折、鹿児島市内での集いで同志に望んだ。「勇気をもちなさい。勇気があったら、折伏でもなんでもできるのです」「不動の信心を確立し、信心の将になりなさい」

歴史回天の電源地となった鹿児島からは、時代を画する革命児が躍り出た。
その胸には、火を噴く桜島のごとき、理想への闘魂が燃えたぎっていたに違いない。
池田先生もまた、鹿児島の同志へ、あふれんばかりの期待を込めている。
「明治維新よりも何倍、何十倍もの偉人が、一流の人が、大指導者が、この地から出ていただきたい!」と、深き先駆の使命を訴えた。

太陽も、中心の「核」が、瞬時も弛むことなく、激しく燃えているからこそ、あの赫々たる輝きがある。
それと同じように、“一念”という、わが生命の「核」を、赤々と燃やしながら、自分自身を輝かせ、家庭も、社会も、国土も、大いなる希望の光で照らしていく――これが、「人間革命」の方程式であります。
とともに、時代を変え、歴史を変える「核」の存在となってきたのが、まさしく、ここ鹿児島の天地であります。どうか、このロマンあふれる美しき故郷から、新たなる民衆の幸福のスクラムを、世界へ、世紀へ、拡大していただきたい。

三世永遠の充実
完成して間もない鹿児島文化会館を池田先生が初めて訪れたのは、1983年(昭和58年)3月。支部結成25周年を祝賀する第1回鹿児島県総会の折だった。
新法城に師を迎え、喜びに沸く2000人の同志。奄美大島、屋久島、種子島などからも、友が勇み集った。

広布の戦いを起こしたならば、それにかける。必ず勝ってみせるという心意気をもってほしい。それ以上の喜びと充実は、人生にはないのです。

自らの責任ある立場として、必ず学会員を幸せにしてみせる。後世に輝く歴史を残してみせる、との気概で、尊い人生を生きていただきたい。そういう気概の人、覚悟の人には、人生の充実感と喜びがある。

充実感は自分しか分からないものだ。自分が自分自身に問いかけ、自らが答えを出していく以外にない。スポーツや社会的活動にも、それなりの充実感はあるものの、永続性はない。三世永遠にわたる生命そのものの充実感は、広宣流布、一生成仏への仏道修行、学会活動にある。

わがままや労を惜しんだ一歩後退の人生にはむなしさ、わびしさが残るものだ。また常識や道理に反した無理の行動はいけない。だが大聖人が「如説修行」「不惜身命」「勇猛精進」と仰せのごとく、真剣な、心労を尽くした仏道修行にこそ、充実と功徳の人生の大道はある。

誓いを貫く
鹿児島の広布史に燦然と輝く池田先生の激励行。
霧島にあった九州研修道場では、九州はもとより、日本全国、世界から集った若き友と、可能な限り時間を共にしている。
90年(平成2年)9月には、研修道場で全国男子青年部幹部会が開かれ、先生は、わが青春に不滅の魂をと望んだ。

御書に「受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり」(1136ページ)――受けることはやさしいが、持ち続けることはむずかしい。そのなかで、成仏は、持ち続けるところにある――と。
「持つ」とは、生涯、永遠に御本尊を持ちきることである。何があっても、ひとたび決めた信仰の誓いを貫くことである。因果俱時で、その一念に、一切の価値が、すでに含まれている。

「仏法は勝負」であり、広布を妨げようとするものに、断じて負けてはならない。社会においても、個々の生活のうえでも、勝負の厳しき現実を見すえ、仏法者として勝利の証を示していくところに、広布の前進はある。

弟子を思う師の心は、弟子が考えるよりはるかに深いものである。その心がわからないということは、弟子にとってこれ以上の不幸はない。

私は、戸田先生という稀有の大指導者を師匠として、徹底して訓練を受けさせていただいた。わが人生において、これ以上の誇りはない。若き日に人生の師に巡り会い、真実の人間の錬磨を受けることは、青春の最高の誉れである。この人生の真髄がわかれば、富や名声などの飾りに惑わされることもないし、何ものをも恐れることはない。

歓喜の祝砲を
「我胸の 燃ゆる思ひに くらふれは 烟はうすし 桜島山」――池田先生は、幕末の志士・平野国臣の和歌を通し、広布の大使命に生きる情熱を呼び掛けている。
「人を燃え上がらせるには、自分自身が燃えることだ。それでこそ、炎と炎が合わさった、無敵の団結の火の玉で戦うことができるからだ」
95年(平成7年)3月、先生が万感を込めて詠み贈った3首の和歌を、友は不滅の指針として心に刻む。

炎とぶ
怒りの声か
桜島
日本を救えや
鹿児島健児と

空が裂け
煙は嵐と
荒れ狂う
我此土安穏
我らの使命と

あまりにも
思い出多き
鹿児島の
同志の幸をば
断固 祈らむ

池田先生の限りない期待に呼応し、広布の地平を切り開いてきた鹿児島の友。師から贈られた随筆を胸に刻み、歴史回天の新たな勝利劇をつづりゆく。

ある詩人が言った。
「鹿児島の天地は、男らしい。その薩摩の風も、波も、桜島の響きも、断固たる正義のために、男らしく立ち上がれ! と叫んでいるように、私には聞こえる」と。
確かに、火の国の象徴の天地として、アジアへ、世界へ、新しき世紀の幕開けの偉大な雄叫びを上げている。

古今東西を通じて鑑となる、あらゆる偉業は、そして革命等の勝利は、必ず、青年たちの同志の結合によって勝利した。

二十一世紀に乱舞する、わが鹿児島の同志よ! 妙法の薩摩隼人たちよ! 誉れある先駆の大闘争を頼む。
朝な夕な、雄大な桜島を仰ぎながら、君の使命の舞台で、正義の砲撃を、歓喜の祝砲を轟かせていくのだ。
今再び、誇りも高く「同志の歌」を歌いながら!