勇気の旗高く 池田先生と山形
2019年02月22日

さあ民衆勝利の理想郷へ!

池田先生は、山形市を流れる馬見ケ崎(まみがさき)川の河川敷にカメラを向けた。この心安らぐ天地に生きる山形の同志こそ「庶民の英雄」「庶民の博士」であると、先生はたたえている(1987年7月撮影)

人生の勝負時

池田先生は折に触れて「美しき山形の心」をたたえてきた。「山形は、光沢ある『庶民勝利』の軍旗を、高らかに掲げゆく城であり、天地である」「正直な庶民の幸福者の代表が、山形の方々である」と。2003年(平成15年)3月の随筆では、山形の“希望の春”の到来を願いつつ、万感の思いをつづった。

山形県は、日本有数の豪雪地域の一つだ。あの月山も、蔵王も、鳥海山も、まだまだ白雪に包まれている。
しかし、やがて重い雪の下から雪解け水が迸り、山形の母なる川・最上川も、勢いと水かさを増していく。
芭蕉は、「五月雨をあつめて早し最上川」と詠んだが、それより前、春の最上川は、雪解け水を集め、奔流となって轟音を響かせながら、岩を打ち、岸辺を洗う。
それは、山形の同志の正義の師子吼を思わせる。
鉄の意志と忍耐で、広宣流布に戦ってきたわが同志――その善良なる庶民が「我らは勝った!」「我らは勝つのだ!」と雄叫びをあげる黄金の春がきたのだ!
日蓮大聖人は、「夏と秋と冬と春とのさかひには必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退く」(御書1091ページ)と仰せである。
人生には、大きく変わる時が必ずある。ここが正念場という、宿命転換、人間革命の勝負時がある。
いかなる試練があろうとも、汝自身の戦場から一歩も退いてはならない。その時を逃さず、断じて戦い、勝つことだ。

東北有縁の文豪・魯迅は、“暗き時代に本気で生きたければ叫べ”と言った。
「何よりもまず、思いきってしゃべり、笑い、泣き、怒り、罵り、闘い、このいまわしい場所から、いまわしい時代を撃退すべきである」(竹内好訳)
そうだ! 思いきって叫ぶのだ。その凜々たる正義の声が、悪を撃退し、希望の新時代の扉を開け放つ。
叫べ、叫べ、正義の山形の同志よ! 日本第一の民衆の「幸福王国」たれ! 愛する我らの大山形よ!

「心」こそ大切

春爛漫の1983年(昭和58年)4月18日、池田先生は山形池田講堂(当時)で開かれた県総会の席上、レンギョウや雪柳、桜など美しき山形の自然に触れながら、「桜梅桃李」の法理に言及。誰かと比べるのではなく、自分にしかない使命に生きよと呼び掛けた。

桜は、桜のままに咲き、自らの使命に生きている。梅も、桃も、李も、そうだ。
我々一人一人の人間にとっても同じでなくてはならない。一人一人が個性をもっている。また人格をもち、尊い生命をもった存在である。
ゆえに、あくまでも自分らしく、主体性をもって生きていけばよいのである。
自分にしかない使命、生き方があるものだ。あの人のようでなければならないというものはないのである。
桜には桜としての生命と因縁がある。梅も桃も李も同じくそれぞれその生命となった因縁があるだろう。と同じく信心の眼よりみれば自分自身のこの世に生まれた使命と、それぞれの因縁があるといってよい。

妙法の信心の力によって自分の中にある仏界を涌現させていくことが、人生にとって根本の幸せなのである。

87年(同62年)7月6日、山形幹部大会(山形平和会館)では、不変の学会精神について懇談的に語った。

今はスピード時代といわれるが、なぜ学会がここまで発展してきたか。
それは、なにごとにも“迅速”であったからである。また“全魂”“真剣”であったからである。

娑婆世界という現実の世は、永遠に苦悩の連続である。それが実相である。
だれしも、それぞれの悩みがある。皆さま方も、たとえば健康や仕事、家庭のことなど、何らかの悩みをおもちにちがいない。
しかし皆さま方は、そのなかにあって他の人の苦悩を救うため、日夜、弘法に、友の激励・指導にと奔走し、心をくだいておられる。また祈っておられる。これ以上、尊き“仏の使い”の行動、人生はない。
“自分のことはいい、まず友に幸福になってもらいたい”“何よりも、まず友の悩みを解決したい”――この、やむにやまれぬ強き思いのなかに、不変の学会精神がある。大慈大悲の大聖人の門下としての誉れの行動がある。
このことを銘記し、山形の皆さまは生涯、“われ、仏の使いなり”との確信と誇りを貫いていただきたい。

大切なのは“心”である。外見ではない。たとえば、事情があって、会合に来たくても、来れない場合がある。
その法を求める心を察し、たたえることが大事なのである。

信心の指導は、どこまでも礼儀を踏まえた“誠実”と“納得”の励ましでなくてはならない。そこに人間尊重の学会精神がある。

信心は精進行
池田先生は「山形は、私が『アルカディア(理想郷)』の建設を託した、人の心清き国土である」と期待を寄せている。99年(平成11年)8月の随筆では「アルカディア」建設の使命をつづった。

「アルカディア」とは、ギリシャの地名で、古代ローマの昔から、あまたの詩人たちが謳い上げた「理想郷」である。
山形の同志らは、新しき「民衆のアルカディア」の建設のために、新たな天使のごとく、温かき涙を流しながら、愛する郷土を懸命に走り、戦ってこられた。その尊き使命の行動に進みゆく、清らかな瞳には、美しく歌う心の真珠の光があった。
「信心のこころ全ければ平等大慧の智水乾く事なし」(御書1072ページ)とは、仏法の偉大な法理である。
「信心とは、精進行である」との純粋なる信念は、何ものにも惑わされない。
それは、現実の苦難と苦悩を乗り越えながら、広宣流布の大道と人間革命の行動を、一歩、また一歩と、高みへ前進し抜いていく実像である、と申し上げたい。
経文には、この姿を「勇猛精進」と説いている。
そして、また、この妙法流布の勇者の名前は、あまねく世に響き渡っていくと約束されている。勇気の人には、希望がある。前進の人には、無限の歴史が開ける。

「私は勝った!」という友の歌声は、今や、山形のあの地、この地に轟き渡る。
わが愛する山形こそ、名実ともに、壮大なる二十一世紀のアルカディアである!

一人一人が勝利の花を咲き薫らせゆくところに、大いなる“希望の春”は訪れる。
民衆勝利のアルカディアの建設へ、山形の友の快進撃が始まった。