勇気の旗高く 池田先生と青森
2019年02月08日

青年が輝く「人材の大森林」

青森・奥入瀬渓流の銚子大滝。万緑の森に清新な水流がほとばしる(1994年8月、池田先生撮影)

大願を起こせ
1958年(昭和33年)11月3日、池田先生は青森市を訪問。青森支部の新任人事が発表され、実質的な支部結成となった。この日、先生は「青森の“青”とは青年の青であり、“森”とは広布達成の人材が、時の来るのを待って集う森である」と語った。
“青年と人材の森”――これが青森の永遠の指針となる。先生は、万感の思いをつづった。

空の青、海と湖の青、樹々の青、そして青年の青……その清新な光彩に包まれた森の国。
青森こそ、新しき世紀を担う青年たちが、雄々しく躍り出る“人材の大森林”だ。
蓮祖は仰せである。
「青き事は藍より出でたれども・かさぬれば藍よりも色まさる、同じ法華経にては・をはすれども志をかさぬれば・他人よりも色まさり利生もあるべきなり」(御書1221ページ)
同じ燃やすなら、「大情熱」を燃やせ!
同じ起こすなら、「大願」を起こせ!
そして同じ戦うなら、「大勝利」をめざして立て!
その勇気から、幸福日本一、和楽日本一、栄光日本一の青森の夜明けが始まるのだ。

滝の如く堂々と
61年(同36年)2月、八戸支部結成大会に出席した先生は「八戸の八とは開く義なり」と語り、広布の道を開く八戸の友の活躍に期待を寄せた。さらに、その10年後の71年6月、八戸会館(当時)の勤行会に出席し、激励を重ねた。

10年ぶりの私の来訪を耳にした会員が、時間とともに、後から後からやって来た。
狭い会館であった。仕切りの戸は開け放たれ、壁際には人が何人も立っていた。最後は、250人にも膨れ上がっていたようである。
私は「無形の一念の変革が有形の変革を生む」と語り、八戸の同志に訴えた。
――どんな些細なことでもよい、お一人お一人が「倍の戦い」「倍の功徳の実証」に挑戦を!
一念は見えない。しかし、明確な「挑戦の目標」「拡大の目標」を心に定め、決然と立ち上がる時、必ず「壁」は破れる。汝自身の革命の炎は赤々と燃え上がるのだ。

この八戸の勤行会に赴く途次、先生は日本屈指の景勝地・十和田市の奥入瀬渓流を散策した。

幅20メートル、高さ7メートルという最も大きい“銚子大滝”を過ぎ、少し下ると、また幾つも滝が現れる。奥入瀬全体で、14の滝があるという。
“白糸の滝”には、手にしたカメラを向けた。当時は、写真を撮り始めて間もないころであった。
自然の幾百千の歴史が織り成す、あまりにも美しい不思議な絶景に、私は深き感動を覚えた。こんなすばらしいところが日本にあったのかと驚いた。
冬には、幾百年も変わらず積雪を背負うこの地も、夏になると、それはそれは深い緑の木々が輝き、奥入瀬の清冽な流れの行進を、林立して見守っているように思えた。
水音は、音楽のごとく、名曲のごとく響いて、一瞬の停滞もよどみもない。常に、別世界を思わせる清新な水流がほとばしる。
私には、真剣に希望に燃えて今日も生き抜く、純粋な青年の姿を見る思いがしてならなかった。これほどの気持ちのよい光景は少ない。
ここに戸田先生がいらっしゃったら、嬉しそうに「青年はかくあれ!」と語ってくださったであろう。

あの滝の響きは、一瞬一瞬を勝ち抜いた、王者の勝鬨のように思えた。
後日、私は、奥入瀬の滝に寄せて、一詩を詠った。

滝の如く 激しく
滝の如く 撓まず
滝の如く 恐れず
滝の如く 朗らかに
滝の如く 堂々と
男は
王者の風格を持て

いよいよ青年の世紀だ。
それは、青き人材の森――「青森の世紀」である。
見よ! その開拓に汗する君の腕から、創価の賢者たる青森が輝き始めている。

貫いた人が勝つ

79年(同54年)1月、先生は青森文化会館(当時)を初訪問。「青森未来会」の結成式が行われた。その際、下北半島で活躍する青年たちが駆け付けた。この10年前、当時中等部員だった青年たちから寄せられた記念写真を見て、先生は手元にあった一冊の本に「下北の中等部員の成長と栄光を ぼくはいつも祈ろう。此の写真の友と十年後に必ず会おう」と記して贈った。
まさに10年後、青年たちは師匠との約束を果たしたのだった。

誓いは果たしてこそ、誓いである。10年、20年単位で見ていかなければ、人間の本当の勝負はわからない。また、人材の大樹も、それぐらい辛抱強く見なければ、育てることはできない。
私は言った。
「君たちは勝ったんだ!」
――たとえ、石を強く投げられても、疲れ果てても、激しく非難されても、自分の決意を忘れゆく弱気の人たちと妥協する心が起こっても、最後は、それらをはねのけて誓いを達成した。人間にとっての最高の勝利の君たちだ!

使命のない人はいない。誰もが、その人でなければならない使命をもっている。
ともあれ、皆が人材である。
皆が広宣流布の宝である。
人を愛し、人を育てる、その献身ありてこそ、創価の大河も恒久化できるのだ。

94年(平成6年)8月26日、青森県総会に出席した先生は、新渡戸稲造の祖父で十和田開拓に貢献した新渡戸伝の人生を通して語った。

偉い人は、最後までやり通す。途中でやめてしまえば、何にもならない。
偉人と凡人、成功者と挫折者の違いも、この一点にある。正しき道で、やり通すか否かである。これが、平凡なようで、根本の分かれ道なのである。
信心も、やり通してこそ成仏はある。境涯の開拓を途中でやめれば、本当の幸福はない。貫いた人が勝つ。不屈の人が勝つ。

青森は、この開拓精神を燃やし、昨年、「世帯増」を成し遂げた。友は滝のごとく激しく、滝のごとく堂々と、あらゆる苦難を打ち砕き、新たな広布拡大に進みゆく。