創価女子短期大学 1988年3月 卒業式
真実の幸福を問う生き方を

池田先生が卒業生一人一人に慈愛のまなざしを注ぐ
(1988年3月14日、創価大学で)
あす2月27日は「創価女子短期大学の日」。短大は間もなく創立35周年を迎える。開学以来、1万1000人を超える卒業生が、この“女性教育の殿堂”から社会へと羽ばたいていった。創立者・池田先生は“短大姉妹”のかけがえのない“青春二歳”を、常に温かく見守り、励ましを送ってきた。1988年3月14日の第2回卒業式には万感のメッセージを寄せ、終了後の謝恩会に出席している。メッセージの中で池田先生は、19世紀フランスの女性作家ジョルジュ・サンドの名作『愛の妖精』を紹介。自分が正しいと信じるままに、強く生き抜くことの大切さを訴えた。
初めに、これから、未来の日々多き皆さんは、一人ももれなく「幸福の大道」を真っすぐに歩んでいってもらいたい。幸福への道を踏みはずしてはならないということであります。
「幸福」とは「満足」と言いかえてよい。物質や財産といった充足も、幸福の一つの条件かもしれない。けれども、それらは、絶対的なものではない。それよりも、自分自身を楽しむこと、自分自身に満足すること、すなわち「ああ、私は、この生き方でよかったのだ」と自分自身に、心から言いきれる喜びにこそ、確かな幸福があるといえるでありましょう。
見せかけの幸福にのみ酔った人生だけは歩んではならない。真実の幸福とは何であるかを、つねに自分自身に問う生き方を忘れないでいただきたい。
思いやりの人に
続いて先生は、フランスの女性哲学者シモーヌ・ヴェイユの生涯に言及。ヴェイユは貧しい労働者のための社会運動に挺身し、スペイン内乱時には義勇軍として戦った。後年は激しい肉体労働にも従事するようになる。名もない虐げられた人々に対する、やむにやまれぬ同苦の心から、人間精神の内奥を見つめた彼女の生き方を通し、「深い思いやりの人に」と望んだ。
もう一つの願望は「深い思いやりの人に」ということであります。
女性の特質の一つは“愛すること”といってよい。恋人や、夫や、子どもへの愛情ももちろん、これに含まれます。さらに、こうした個別的な意味での愛情を超えて、広く他者に向ける愛、とりわけ傷つき悩んでいる人、宿命とたたかっている人、弱い立場の人への深い思いやりと行動のことを、私は申し上げたいのであります。
皆さんは、シモーヌ・ヴェイユの名をよくご存じのことでありましょう。彼女の思想や生涯は、私がここであらためて論ずるまでもありませんが、現代社会に投げかけたその光はじつに大きく、輝かしいものでありました。自分自身に、極限といってよい人間愛を課してやまなかったその生き方は、今なお私たちの心を深く打つものがあります。
ヴェイユは、世の中に苦悩が存在するかぎり、自分だけの小さな幸福に安住することが、決してできない人であった。彼女は、こう述べております。
「苦痛と危険は、わたしの精神構造からいって不可欠なものです。(中略)地球上に拡がった不幸は、わたしにとりつき、わたしの能力を無に帰せしめてしまうほどわたしを打ちのめしています。わたし自身が危険と苦しみの分け前をたっぷり背負わないかぎり、わたしはその能力を回復し、このとりつかれた状態から解放されることはありません」(ジャック・カボー『シモーヌ・ヴェーユ伝』山崎庸一郎・中條忍共訳、みすず書房)
身近に他人の苦しみを自分の苦しみとして体験した「不幸」が、人間の根源的な「不幸」を深く洞察させたということ。そして、その体験が、つねに彼女の思想の根底を裏打ちし、深めていったこと。そしてさらに病弱で激しい頭痛の発作などに生涯つきまとわれながらも、なお、苦しんでいる人々に近づこうとしたあの強い意志――それらを、よくよく考えていただきたいと思うのです。
そして、私は皆さんに「現実のなかに身をおいて、人間を深めていってほしい」のであります。病める人、悩める人、迷う人がいたら、それを自分の痛みとして、自然に体が動いていく。真っ先にいたわりの手をさしのべてあげる。それが、身近な小さな問題であっても、自分の痛みとして担っていく。そういうあたたかな、そして鋭敏な同苦の作業の積み重ねは、人間を深くし、謙虚にし、大きく成長させていくにちがいありません。

巣立ちの「ふるさと」
最後に先生は、社会へ旅立つ短大生に、聡明な女性として、心美しく、意志強く、白鳥のように、幸福の舞を描きゆく人生をと強調。卒業生の限りない成長を願い、祝福のエールを送った。
この創価女子短大は、皆さんの人生にとって巣立ちの「ふるさと」であります。これからの人生でのうれしいこと、苦しいこと、悲しいこと、さまざまなことにつけて、この「ふるさと」を思い出し、また、帰ってきてください。
「ふるさと」が懐かしく、大切なのは、そこにいつも何か変わらないものがあるからでありましょう。どんなに時代や社会や皆さんの境遇が変わっても、自分の変わらぬアイデンティティーがここにある。根っこが、ここにあることを忘れないでいただきたいのであります。
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