母と子が笑顔で暮らせる社会を
ヨーロッパ南東部のバルカン半島に位置するブルガリア。アジアとヨーロッパの交流の舞台となり、「文明の十字路」として豊かな文化を育んできた。池田先生が同国を初訪問し、平和を愛する文化国家の合唱団の歌声に歓迎されたのは、42年前の5月。建国1300年を祝う佳節である。激動と繁栄を繰り返す中で、人々に根づいた「不屈の魂」と「慈愛の心」を学び、一人一人が新たな誓いの出発を期していきたい。

文明の十字路ブルガリアの中央にそびえ立ち、その歴史を見つめてきたバルカン山脈を、機中より望む(1981年5月、池田先生撮影)
バラの花
幸と香れや
母子して
風が爽やかに薫る皐月です。
五月には「こどもの日」と「母の日」があります。子の健やかな成長を願う母の慈愛と、母の健康長寿を祈る子の感謝とが温かく響き合う“母子の月”です。
この季節を、百花繚乱の花々が嬉しげに彩ってくれます。なかでも、“花の女王”として、ひときわ優雅な気品を湛えているのが、バラではないでしょうか。バラは、一輪そこにあるだけで、部屋の佇まいを一変させる不思議な品格を持っています。
かつて私は、草の根の文化運動に奔走する健気な友に、一句を贈ったことがあります。
「牛乳瓶 バラ一本 さしにけり」と。
どんな場所でも、また、たとえ一人きりでも、一輪のバラのように凜と咲き誇って、周囲を明るく照らしていける。そこに真の人格の力があり、文化の力があると讃嘆したかったからです。
東欧のブルガリアは、その名も「バラの国」と称されます。もちろん、国の花もバラです。
私の胸中には、ブルガリアの美しい歓迎の歌が蘇ります。
「今日のこの素晴らしき日に どうぞ 一輪のブルガリアのバラを受け取ってください/そのバラに かぐわしい調べで/この山々を この海を そして私たち皆のことを あなたに語らせてください」と。
ブルガリアでは、世界で消費されるバラの香油(香水の原料)の約七割が生産されていると聞きました。
二つの山脈(バルカンとスレドナ・ゴラ)に囲まれた地域には、じつに約百二十キロにもわたってバラが栽培されている「バラの谷」が続いています。
この「バラの谷」に、武器を製造する拠点がおかれた時代もありました。しかし今では、とくに五月、六月、世界から人々が集う、香り豊かな“平和の花園”となっています。それは、バラが武器に勝ち、文化が野蛮に打ち勝った象徴と言ってよいでしょう。
遠くからブルガリアの友が来日する際は、私も友情と平和の心をバラに託して歓迎しています。

ブルガリア建国1300年を祝う集いで交流を結ぶジフコヴァ文化大臣と池田先生ご夫妻(1981年5月、ソフィア市郊外で)
人間精神の大きさ
〈「混迷の/世にも 気高き/バラの花/平和の香りよ/友誼の光よ」と詠んだ池田先生。1981年5月のブルガリア初訪問の日々を述懐する〉
私が空路、白銀の雪が残るバルカンの山々を越えて、首都ソフィアに第一歩を印したのは、ブルガリア建国千三百年(一九八一年)の佳節でした。
「美しきわが森よ 青春の香りがする」と民謡で歌われる通りの「森の都」です。彼方に仰ぐヴィトシャ山の連峰は壮麗でした。
到着した当初から、お会いした各界のリーダーの方々が強調されていたことがあります。
それは、ブルガリアは平和を愛する国であり、文化を重んずる国である。軍事の同盟には恒久性はなく、文化の同盟こそ重要なのである、ということです。
国土や軍事力、経済力の大きさよりも、人間の精神の大きさ、豊かさ、美しさ、絆を大切にされていたのです。
聡明な女性リーダーであるリュドミラ・ジフコヴァ文化大臣は毅然と語られました。
――世界は、これ以上、戦争の恐怖のもとで生きるべきではありません。子どもたちが、この世で一番大切な「お母さん」と「自由」という言葉を書けるようになる前に亡くなることがあってはなりません、と。
母と子が笑顔で暮らせる社会こそ、真に平和な世界と言えましょう。
平和の文化の翼
〈東西を結ぶシルクロードの要衝として、興亡の幾星霜を刻む「文明の十字路」ブルガリア。それゆえに、苦難を乗り越え、豊饒なる文化が創造されてきた歴史を通し、池田先生は試練に屈しない民衆の魂に言及する〉
ブルガリアの格言に「我らが戸口にも太陽は昇る」とあります。たくましい楽観主義に生きて、人々を照らす太陽は、女性です。
大文豪ヴァーゾフの小説では、戦場から息子が無事に帰ってくるのを待ちわびる母が、連行されていく敵軍の捕虜に心を痛めて差し入れをするという、胸に迫る場面があります。
「いい人たちなのに…かわいそうに、この人たちの母親は…自分の息子たちがどうしてるか知っているだろうか?」と。
戦時中、私の母も、憲兵に連行されていく敵国人の捕虜について、「かわいそうに! かわいそうに! その人のお母さんは、どんなに心配していることだろうね」と語っていたことを思い起こします。
苦難に立ち向かう「不屈の魂」と、他者を大切にする「慈愛の心」こそ、平和の文化の翼と言ってよいでありましょう。
獅子となれ
不屈の魂
皆が生命に
私が共に対談集を発刊した、東欧を代表する芸術史家ジュロヴァ博士のご家族も、「美しき獅子の魂」を持つ方々です。
残虐なファシズムと戦い、父君は何度も死刑宣告を受け、母君は投獄されるところを、妊娠していたために、かろうじて免れました。
戦乱で思うように学べなかった母君は、戦後、多くの子を育てながら、自らも学校に通い、織物工学技術を習得して、子どもたちに素敵な自作の服をプレゼントしてくれました。
学び続ける喜び、また、生活を彩る芸術を教えてくれたのです。
父君は、人生の生き方を伝えてくれました。
第一に、試練に対して忍耐強く生きる。
第二に、チャンスの時には、大胆に行動する。
第三に、忍耐の時か、勇敢に行動に打って出る時かを、知恵で見きわめる。
そして常々、父君は「いかなる状況にあっても人間は人間である」と、最も重要な人間性の価値を教えてくれたといいます。

世界最古の町の一つプロブディフ――その長き歩みに、民衆の不屈の魂が息づいている(1981年5月、池田先生撮影)
〈“女性が果たすべき使命とは人間生命が持つ価値と精神性を守りゆくこと”とジュロヴァ博士は語った。そうした信念に触れ、池田先生はあえて「困難な道を選ぶ」大切さを強調する〉
苦難の道を乗り越えて、生命の尊厳を探求し、他の生命を救い、平和を築いていく。
このブルガリアの偉大な使命の道を、私の友たちも勇敢に進んでいます。私が創立した創価大学からブルガリアに留学し、そのまま第二の祖国と決めて、社会に貢献している友もいます。皆が良き市民として、人のため、地域のために行動し、生き生きと人間共和のスクラムを広げております。
青年詩人ボテフが「分ち合おう」と叫んだごとく、共々に苦楽を分かち合いながら!
朗らかに
天まで響けや
大合唱
誓いの道を
喜び悔いなく
|