アルゼンチン
23年01月12日

麗しい人間共和の世界を
月刊誌「パンプキン」誌上の池田先生の連載エッセー「忘れ得ぬ旅 太陽の心で」を紹介する本企画。今回は「アルゼンチン――友情を広げる躍動のリズム」〈2015年2月号〉を掲載する(潮出版社刊の同名のエッセー集から抜粋)。日本のちょうど反対側に位置するアルゼンチンは、世界各地から多くの移民が集い、さまざまな文化が融合して発展してきた。この国に息づく、調和の心に学び、自身の使命の天地に人間共和の世界を築いていきたい。

文化の都として南米をリードするブエノスアイレスの街並みには、欧風建築が溶け込んでいる(1993年2月、池田先生撮影)

わが街よ
勝ち栄えよと
奮い立つ
あなたも私も
歴史の主役と

心には翼があります。
それは、どんなに遠くにいる友のもとへも、瞬時に羽ばたいていける不思議な翼です。
地球という丸い星にあって、日本と南米アルゼンチンは、ちょうど反対側になります。それだけ距離があっても、アルゼンチンの友人と私たちは、いつでも心を通わすことができる友情の翼を分かち持っています。

アルゼンチンは、スペイン人の入植が始まった十六世紀以来、ヨーロッパ諸国をはじめ世界各地から多くの移民が憧れ集まってきた国です。さらに、さまざまな文化がダイナミックに融合してきた国です。
南北三千数百キロという国土には、北には亜熱帯のジャングル、南には自然の雄大なパタゴニア、南極大陸と向きあう氷と雪の世界があり、東には温帯の肥沃な大草原(パンパ)が広がり、西にはアンデスの高き峰々が聳えます。同じ国に、同時に四季が織り成される多様性に富んでいるのです。
自然も、人も、文化も多彩で賑やかなアルゼンチンでは、幾つもの歴史の試練を経るなかで、それぞれの違いを生かし合い、ハーモニー(調和)を奏でる知恵が育まれています。それは、言わば生命という共通の母なる大地に立った、世界市民の知恵です。

一歩一歩焦らず
〈池田先生は、アルゼンチンに渡った同志たちの奮闘に触れつつ、同国初訪問の思い出を述懐する〉

アルゼンチンと日本の間に修好通商航海条約が成立したのは、一八九八年のことです。以来、多くの日本人がアルゼンチンへ移住し、最も遠い二つの国を結ぶ懸け橋となってきました。
私の友人たちも、勇んでアルゼンチンへ渡り、新たな道を不撓不屈の精神で切り開いてみせると挑みました。
それぞれに、仕事で苦闘を重ね、友を創り、力を合わせながら、社会で信頼を広げていきました。
アルゼンチンには、軍事政権の圧政で数万人もの犠牲者・行方不明者を出す苦難の時代もありました。
しかし、平和の志を同じくする、わがアルゼンチンの友たちは、その苦境を越え、安穏と幸福の花を必ず咲かせようと、皆の心の大地に希望の種を蒔き続けていきました。「地味であっても、決して焦らず、一人一人と会い、一歩一歩建設していこう」と決意していました。その人間主義の絆は、今や幾千幾万のスクラムへと大きく広がったのです。

念願かない、憧れのアルゼンチンを初訪問できたのは、一九九三年のことです。
友たちがコリセオ劇場で、「民族融合の大地に希望の曲」とのテーマで創り上げた世界青年平和文化祭は見事な民衆芸術の絵巻でした。アルゼンチンをはじめラテンアメリカが誇る音楽と舞踊の名演の数々は、すべてが素晴らしいものでした。青年たちが「この胸の中に『太陽』を見つけた」等と歌い、人生の勝利を決意し、良き市民、良き国民として、社会への貢献を誓う声は、今も心にこだましています。
アルゼンチン訪問で、私は、太陽のように明るい友たちと、「世界一、麗しい人間共和の世界」を築こうと語り合ったものです。

ブエノスアイレスの美しい幾何模様の庭。日の光に輝きを増す芝生、白いテラス、そして深緑の木々とともに、みずみずしい色彩のコントラストが人々をもてなす(1993年2月、池田先生撮影)

悩みを希望の力に
〈さらに池田先生はペレス=エスキベル博士との対談を通して、地域を明るく照らす女性の偉大さをつづる〉

「南米のパリ」とも称されるブエノスアイレスの気品薫る街並みの中心地に当たるのが「五月広場」です。
広場は、一八一〇年、スペインからの独立への第一歩となった「五月革命」の舞台でした。
二十世紀の後半には、広場で、軍事政権に夫や子など家族を奪われた女性たちによって、決死の非暴力の抗議が行われました。
この「五月広場の母たち」と共に、命を賭して戦った人権の闘士がペレス=エスキベル博士です。博士と私は語らいを重ね、対談集『希望の力』(日本語版タイトル『人権の世紀へのメッセージ』)を発刊しました。
対談で博士は、「女性は、生命を与える存在であり、人々に希望をもたらし、生命や人生に豊かさを与える存在です」と強調されました。
私の妻がよく知るアルゼンチンの女性たちも、病気のこと、仕事のこと、家計のこと、家族のことなど、多くの悩みに立ち向かいながら、それを人間革命の灯をともすエネルギーと転じて前進してきました。そして、皆と知恵を出し合い、地域社会の課題にも挑み、一つ一つ打開してきたのです。
まさに、女性が強く賢く光れば、社会も栄え輝いていきます。
その後ろ姿を見つめてきた後継の世代の乙女たちも、今、一人を大切にし、その励ましのために、幾百、幾千キロの道のりを、バスや飛行機を乗り継いで、広大な国土を駆け巡っています。また、苦労に苦労を重ねてこられた日系移民の方々のお子さんたちも立派に成長されました。

アルゼンチンの子どもたちとの笑顔の触れ合い(1993年2月、ブエノスアイレス郊外で)

一番大事なもの
〈結びに池田先生はアルゼンチンの子どもたちとの交流を振り返り、友情を大切にする人生の尊さを強調した〉

アルゼンチンの可愛い小学四年生の皆さんから、たくさんの質問をいただき、真心こめて喜んで答えをお送りしたこともあります。
「先生にとって、なにが一番大事なものですか」との問いに、私は「友情」を挙げました。
「友情は宝です。友情は幸福です。友情は人生の花冠です。友情が広がったぶんだけ、友情が深まったぶんだけ、自分の人生が広くなり、深くなります。友情は喜びを二倍にし、悲しみを半分にしてくれます。『友情を大切に』――私は心から、こう申し上げておきます」と。
若き友たちも、自身の使命の場所で、地域社会で、皆を照らす「灯台」になろうと努力を続けています。

友たちが、アコンカグア山のごとく最高峰を目指し、イグアスの滝のごとく勢いよく、セイボの花のごとく赤々と情熱を燃やして、人生と社会で勝利しゆく姿を、世界が見つめています。

平和とは
心の壁を
取り払う
希望の語らい
笑顔のあなたよ