滋賀 21年12月29日

かつて「近江を制するものは天下を制する」といわれ、天下人らが堅固な城を築いた歴史の舞台・滋賀。日本最大の湖があり、豊かな文化が花開いた。400を超える河川の流れを受け入れる琵琶湖のように、多くの友と交流しながら、心を大きく豊かに広げていきたい。

夕日を浴びて、赤く染まる琵琶湖(1989年4月、池田先生撮影)

移りゆく
歴史を見つめし
琵琶湖かな
未来を映せよ
滋賀の勝利の

人類の多様な文明を見つめ、世界中を旅してこられたイギリスの歴史家トインビー博士が、私に懐かしそうに語ってくださったことがあります。
「私がこれまでの人生で見た、最も美しい風景の一つは、琵琶湖のほとりの、黄金色に輝いた刈り入れ時の稲田の風景でしょう。湖水は陽光に映えて碧々と輝いていました」と。
ロンドンの博士のご自宅には、その時に撮った写真が大切に飾られていました。
日本一なる琵琶湖は、世界の知性から深く愛される地球の美の宝です。
それは、命を育み、大地を潤す水の宝庫です。
そこには、天を巡る太陽も、月光も、星々も、四季折々の地上の草木や生きものたちの営みも、明鏡のように映じています。
さらに、琵琶湖の恵みを活かしながら、暮らしてきた人々の生活も、詩情豊かに映し出されてきました。

澄んだ湖のように心の鏡を磨くなら、けなげに生きゆく命の美しさが明らかに映ってきます。
大きな湖のように心の鏡を広げるなら、皆が見落としている世界の素晴らしさも鮮やかに見えてくるにちがいありません。

池田先生が、琵琶湖のほとりに完成した滋賀文化会館を訪問。香峯子夫人と周囲を散策し、湖畔の美しい景観にカメラを向けた(1995年10月、大津市内で)

日々に新たに
〈池田先生は、四季折々に装いを変える琵琶湖畔を散策したことや、地域貢献に励む友と語り合った思い出を述懐。湖国の美景が人々の心を感化し、「創造の力」を育んだと語り、この地に育まれた文化に光を当てる〉

「文化財の宝庫」と言われる滋賀の心を継承された女性・小倉遊亀画伯(大津市生まれ)の名作を、わが東京富士美術館で展示させていただいたことがあります。
画伯は、何を描いても同じようになってしまうと悩んでいた時、恩師から「自分の型を破る」ようアドバイスを受けたといいます。以来、「日々に新たに」、すなわち「生れ替りたい、そして新しく出直したい」と、新しい挑戦を繰り返していきました。挑戦の勇気があってこそ、自身の殻を破り、向上できるのでしょう。
画伯が描きたかったのは、「明るく、温かく、楽しいもの。/草にも木にも雲にも動物にも、通い合う愛のこころ。/生きることの喜びを感じ合うすこやかさ」にあふれた世界でした。
まさに、私たちが敬愛する滋賀の天地です。
田園の農道に咲き誇る、あの明るい菜の花、レンゲ草の畑。近江富士の優美な姿、白銀や霞をまとう伊吹山の幽玄、悠然たる瀬田川の流れ……。
それぞれが、生きる喜びと、生き抜く崇高さを謳い上げているようです。

澄み渡る青空に、白雪を冠した伊吹山の雄姿が映える(2000年3月、池田先生撮影)

歴史上、日本三大商人に挙げられる「近江商人」は、全国で行商に励みました。この近江商人に継承されたのが「三方よし(売手によし・買手によし・世間によし)」の信念でした。売り手と買い手だけでなく、その地の世間の人々にとっても、利益となることを目指したのです。

行商と言えば、私は、東近江市の友人家族のお宅に伺ったことを思い起こします。
そのご一家の婦人は、不慮の事故で夫を亡くしました。幼い三人のお子さんを抱え、多額の借金を背負いました。店も家も手放して、家畜小屋を改造して住んだといいます。婦人は、泣くような思いで、何度も何度も近江盆地から峠を越え、京都の街を行商に歩きました。
その絶望の淵にあって、希望の生命哲学と出あい、「もう一度人生に挑戦してみよう」と立ち上がったのです。一家の生活革命のため、同じように悩みに苦しむ友のため、必死に働き、活動しました。心ない人々の嘲笑にも断じて負けない。婦人は当時を「歯くいしばってナ」「“頑張るんや”って、自分に言い聞かせながら戦ってきたんですワ」と振り返っていました。
その母の姿を見て育ったお子さんたちは皆、立派に成長して、母を助けました。そして、ご一家は、人々の誇りとなるお店を築いて、胸を張って、地域に社会に貢献しています。
婦人がアメリカで、人々のために自身の人間革命の体験を語ると、皆が涙を流して聞いてくれたそうです。その姿に感銘した婦人は「さらに力の限り幸福の楽土の建設に取り組んでいきます」と誓っていました。
一人の人生、一つの地域における勝利の劇は、世界の友を勇気づける励ましとなるのです。
「近江聖人」と称えられた十七世紀の思想家・中江藤樹(高島出身)は、身近な家族、地域、職場の人々に対する「愛敬の二字」を強調しました。
「人を愛しうやまうは、すなわちおのれを愛しうやまうところなり」と。
ここに、自分も他者も、共に生き、共に繁栄していくべき原理があります。
喜びを育む
〈結びに、池田先生は、青年を育む滋賀の希望の未来を見つめた〉

滋賀の「滋」の字には「そだつ」「やしなう」の意味があります。あわせて「賀」の字は「よろこび」の意味を持っています。滋賀の名には、言わば、自他共の「喜びを育む」、青年を「育てる喜び」など、希望に満ちた意義が重なるのです。

若き友の心に「希望の種」を蒔く。それは、滋賀の県木モミジのように、美しい「幸福の樹」「繁栄の樹」「平和の樹」へと伸びゆくことでしょう。そして、琵琶湖の鏡に、明るい未来となって映し出されるでありましょう。

永遠に
家族と薫らむ
滋賀の友
幸と心で
この世かざれや