
あかね色の空に浮かぶヒマラヤ山脈。マナスル峰をはじめ、七、八千メートル級の山々が連なる(1995年11月、ネパール・カトマンズ郊外から。池田先生撮影)
月刊誌「パンプキン」誌上の池田先生の連載エッセー「忘れ得ぬ旅 太陽の心で」を紹介する本企画。今回は「ネパール――母は世界の宝 子は未来の宝」〈2013年9月号〉を掲載する(潮出版社刊の同名のエッセー集から抜粋)。
世界で最も高い山・エベレストを仰ぎ、精神の最高峰の人・釈尊が生まれたネパール。相手を敬い、「ナマステ!」とあいさつを交わし合う同国には、釈尊の慈悲の心が今も息づいている。学会創立90周年から栄光の100周年へ!――人間主義という世界一の哲学を抱き、慈愛の連帯を広げながら、堂々とそびえる山々のような偉大な人生を築きたい。
山は 人間を高みに導く
そして 高みに達すれば
視野は広がる
視界をさえぎるものなき
最高峰の座において
すべての人は「友」となる
この地球上で最も天空に近く、人類を結び合う最高峰の座――それが、ヒマラヤ山脈です。
アジアの中央に位置する国、ネパール一帯には、白銀に輝く八千メートル級の山々が、王者たちの舞のごとく並び立っています。
なかでも最も高いエベレストは、ネパール語では「サガルマータ」(大空に届く頭)と呼ばれています。この大王の頭は、まさしく、天にも連なる高さを誇り、太陽も月も星々も親しき友としながら、厳寒に耐え、烈風にも勝ち、そして堂々と気高く、世界を見晴らしているのです。
ネパールの詩人デウコタが、詩歌に留めた、こんな問答があります。
――あなたと一緒に歩むのはだれですか?
「私と一緒に闊歩してくれるのは勇気です」
――あなたはどの国から来たのですか?
「私の故郷は地球全体です」
――行き先はどこで、どんなメッセージをもっていくのですか?
「心の都に、私は一つのメッセージを届けるのです。『人類の仲間に奉仕しなさい』と」
私たちも、自らの人生の使命の登攀にあって、「勇気」を道連れとし、「地球全体」を故郷とするような広々とした心で、自分らしく「人類の仲間」へ奉仕しゆく日々を、重ねていきたいものです。
人々のために
〈池田先生は、ネパールの人々との心の交流を通し、慈悲の心が脈打つ“釈尊生誕の国”に思いを馳せる〉
最高峰エベレストを、チベット語では「チョモランマ」(大地の母)と言います。
母の慈愛は、まさに山のごとく、幼い生命のなかにそびえ立って、一生を導いてくれるものです。
私が幾たびもお会いしたネパールの駐日大使で、名門トリブバン大学副総長(学長)も務めたマテマ氏は語られていました。
「私に人生の最高の価値観を教えてくれたのは、母です。私は母を、偉大な先生だと思っています」と。
氏の両親をはじめ親族は、独裁政権下の時代、民衆のために戦い、おじは処刑され、財産は没収されました。ご一家は、インドへ約三十年も亡命を余儀なくされ、この苦難の渦中に、氏は生まれたのです。
しかし母上は大いなる楽観主義者でした。苦労が絶えないなかで、祖国からの亡命者の面倒も見ました。口ぐせは「自分の幸せを考える前に、人の幸せを考えなさい」「他人の犠牲の上に、自分の幸せを築いてはいけない」でした。いつも忙しく働きながら、「権力やお金の力に、屈してはいけない」と励まし、氏を立派に育て上げたのです。
その後、ネパールの民主化が実現すると、氏は、世界銀行の職を辞して祖国建設の大事な使命を担ってくれるよう、リーダーから要請されます。それは、あえて試練の道を選ぶことでもありました。
けれども氏の母も、妻も、「国のため、人々のためになる仕事なのだからやりましょう。家庭のことは大丈夫です。安心して任せてください」と、力強く背中を押してくれたといいます。
人間の位の高さは、心にいかなる信念を抱き、人のため、社会のために、いかなる人生を生き抜いたかで決まるのではないでしょうか。
自分自身に生きよ
〈池田先生は、1995年のネパール初訪問の思い出を述懐。わが「希望」を高く掲げて、ヒマラヤのごとく偉大な人生を生き抜こうと、呼び掛ける〉
ネパールでの諸行事の合間、陰で尽力してくれていた友が、「条件がよければヒマラヤが見えるかもしれません」とカトマンズ近郊に案内してくれました。友の祈りに応えるように、荘厳な夕映えに雄姿を現してくれたヒマラヤに、私は「ナマステ!」と合掌する思いでカメラを向けました。
すると、近所の村の子どもたちが近づいてきました。三十人ほどいたでしょうか、初めは遠くから、不思議そうに見ているだけでしたが、私が招くと、瞳を輝かせ、人なつこい笑みを浮かべて集まってきます。
私は語りかけました。
「ここは仏陀(釈尊)が生まれた国です。仏陀は、偉大なヒマラヤを見て育ったんです。あの山々のような人間になろうと頑張ったのです。堂々とそびえる勝利の人へと自分をつくり上げたんです。皆さんも同じです。すごい所に住んでいるのです。必ず、偉い人になれるんです」
通訳の方が伝えてくださり、心と心が通い合う、和やかな語らいが続きました。皆、元気に手を振って、見送ってくれました。

ネパール伝統の儀式で池田先生ご夫妻を歓迎した少女たち。後に皆で成長を誓って、世界を舞台に学びの道、社会貢献の道を歩み、人々の希望となった(1995年11月、カトマンズで)
子どもは未来の宝です。母は世界の宝です。そして、「希望」は、ヒマラヤのごとく、自分自身の人生をどこまでも高く、大きく広げていける生命の宝でありましょう。
ネパールのことわざに「息ある限り希望がある」とあります。「人生は希望、希望は人生だ」と語られているといいます。
子どもは、母の姿を見て育ちます。母が自身を信じ、皆を信じ、わが子を信じる生き方を貫けば、子どもの心から希望が消えることはありません。周囲や他人がどうあろうと、未来のため、子どものために、堂々と、快活に自分自身に生き切っていきたいものです。
私は、ネパールの若き友に贈りました。
偉大なる
ネパール国に
永遠の平和を!
ネパールの友に
栄光と和楽の日日を!
父母さまに
よろしく!
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