
白鳥の渡来地として国の天然記念物にも指定されている、新潟・阿賀野市の「瓢湖(ひょうこ)」で(1971年5月、池田先生撮影)
月刊誌「パンプキン」誌上の池田先生の連載エッセー「忘れ得ぬ旅 太陽の心で」を紹介する本企画。今回は「新潟――共に生きるいのちの大地」〈2013年10月号〉を掲載する(潮出版社刊の同名のエッセー集から抜粋)。厳寒の試練に耐え、幾多の災害をも乗り越えてきた新潟。そこに暮らす人々には、苦境の友に同苦せずにはいられない「心の温もり」がある。人生の悩みや苦しみは、友を励ます“心の財”に変えていけることを、証明するかのように――。社会が大きな苦難に直面する今、改めてこの確信を胸に、自身の一歩から“人間革命の劇”の連鎖を起こしていきたい。
白鳥を
見つめ しばしの
語らいに
友の真心
胸に飛びたつ
実りの秋の深まりのなかで、万物はそれぞれ静かに冬支度を始めています。
それは、生きとし生けるものが、大切な家族や仲間と力を合わせ、厳しい寒さの試練に立ち向かおうとする時であり、次の世代を育てていく健気な営みの時でもあります。
毎年、この時期、天からの使者のように、白鳥たちが日本へ飛来します。その優雅な翼は、隣国ロシアの凍てつくシベリアから、四千キロもの旅路を越え来たる強さを持っています。
この白鳥たちが、はるか天空から見渡して、我らのいのちを託せると信頼を込めて舞い降りるのが、新潟の「共生の大地」なのです。
白鳥の
モットー いかにと
人 問わば
希望 希望
無限の希望と
華麗な白鳥が飛翔しゆく時には、長い助走をしてから飛ぶ、風に向かって飛ぶ、一羽でよりも皆で連携しながら飛ぶ、などの特徴が挙げられています。
人生もまた、勝利の大空への飛翔には、長い助走という忍耐、困難の風に挑む勇気、そして励まし合っていける、よき友が必要でしょう。
私は、少年少女に贈った創作童話『雪ぐにの王子さま』で、子どもたちと白鳥の交流を描き、「なにがあってもけっして あきらめないで」という希望のメッセージを綴ったことがあります。
私が創立した創価女子短期大学や創価学園に学ぶ乙女たちにとっても、白鳥は清く強き青春の舞のシンボルとなっています。
必ず幸福になれる
〈創価教育の創始者である牧口常三郎先生の故郷・新潟を、池田先生が初めて訪れたのは1954年(昭和29年)、厳冬の2月である。池田先生はエッセーで、訪問時に激励した乙女が、その後、周囲にも支えられ、病や経済苦を克服した蘇生のドラマを紹介。苦難を勝ち越える一人の戦いから、“人間革命の劇”が広がっていくことを綴る〉
唱歌「夏の思い出」「おかあさん」等を作詞した新潟生まれの詩人・江間章子さんは、「暗闇がどんなに深く 長くても/夜明けの来ない夜はない」と心に刻み、「生きているのはたのしい/どんな日があっても」と強調しました。
私の新潟初訪問の折、お会いした人々のなかに心臓弁膜症と闘う乙女がいました。
父や母の闘病も相次ぎ、わずかな生活費が薬代に消える貧窮と絶望の生活だったといいます。四人きょうだいの長女として、中学校を卒業して、家族のために必死に働くなかで、彼女自身も病気に罹ってしまったのです。

新潟から山形に向かう急行「べにばな」にて。池田先生ご夫妻が居合わせた友に声を掛ける(1983年4月)
しかし、私は、この乙女や友と一緒に、「人生は幸せになるためにある」「どんな宿命の嵐にも絶対に勝っていける」「誰人も必ず幸福になれる」と、希望の生命哲学を真剣に学び合いました。
彼女は、多くの先輩に激励され、病気を克服していきます。そして今度は自分が、同じような悩みを抱えた友を励ましながら、共に勝ち越えていったのです。
良縁を得て、三児の母となりました。新潟中に彼女が勇気づけ、力づけてきた仲間がいます。自らの宿命に泣いていた女性たちが、地域の太陽となって皆を照らしているのです。それは、まさに“人間革命の劇”の連鎖です。
この母は語っていました。
「一つ一つの悩みも苦しみも、今では大きな宝であり、心の財産です。今の私があるのは、よき先輩と、よき友人に恵まれたからです」と。
思えば、これまで新潟は、大火、地震、雪害、水害など、大きな災害を、何度も何度も乗り越えてきました。だからこそ、新潟には、いずこにもまして、苦境の友に同苦せずにはいられない心の温もりがあります。
〈その一例として池田先生は、東日本大震災の直後、1万5000個のおにぎりを作って被災地に届けた真心の行動に触れ、苦しむ人を支え、その苦悩から救うのは同苦の心であるとした〉
教育の要諦は愛情
〈新潟には「米百俵」の故事がある。明治初期、戊辰戦争に敗れ焼け野原となった長岡藩が、窮迫する中にあって、支援された米百俵を、学校を開設する資金にしたという話だ。新潟は、丹精込めて稲を育てる日本随一の米どころであり、“人間教育”を重視する〉
新潟の大地に光り輝く棚田や田園の風景を、私は忘れることができません。日本第一の米作りをはじめ、新潟の農は、日本の食を支え、いのちを支えてくれています。
一粒一粒、一品一品に、どれだけの労苦と努力がこめられていることか。私も海苔の養殖・製造を生業とした家の子として、農漁業を営む方々に、なかんずく、その要である女性の皆さんに感謝と敬意を捧げてやみません。

新潟・十日町市の田園風景。収穫を待つ稲穂が、黄金色に輝く(1985年9月、池田先生撮影)
それとともに、新潟は、有名な「米百俵」の故事に見られるように、頭と心と体を健やかに伸ばす“人間教育”を重んずる風土でもあります。
私が見守ってきた青年たちも立派に成長し、「新潟に誇りあり」と胸を張って、社会に貢献しています。
新潟出身の漢学者・諸橋轍次氏は、教育の要諦は「愛情」すなわち「愛ずる心」であり、「相手の『芽』の出るのを助ける」ことだと示しました。その何よりの模範を母の純粋な慈愛に見出し、それが最初に子どもに力を贈り、そして世の中を動かすとしたのです。
新潟の母たち、女性たちが体現している「いのちを慈しむ心」こそが、万物を育みゆく「共生の大地」ではないでしょうか。
新潟に
金の家あり
母の曲
(『忘れ得ぬ旅 太陽の心で』第2巻所収)
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