大阪 2020年06月16日


夕焼け空の下、威風堂々とそびえる大阪城(2007年11月、池田先生撮影)

いかなる苦難も、強き心の絆と不屈の魂で乗り越えてきた大阪そして関西の友。コロナ禍によって、逆境をはね返す智慧が求められる今だからこそ、フィジカルディスタンス(身体的距離)を保ちつつも、苦楽を分かち合うつながりを強化し、「庶民の都」に脈打つ「負けたらあかん!」の心意気に学びたい。
懐かしき
思い出多き
関西は
私の故郷
永遠の都か

故郷とは、いずこにあっても、心から離れることのない宝土です。
故郷の人々とは、いついかなる時も、心と心が通い合う宝友です。
大阪――。その名を聞けば、青春を賭して奔走した、あの町この道が胸に蘇ります。
関西――。その名を聞けば、苦も楽も分かち合ってきた、忘れ得ぬ友の笑顔が命に光ります。

〈池田先生との師弟のドラマが無数に刻まれている関西。中でも1952年8月、先生が24歳で第一歩をしるした大阪は、行く先々で友を激励し、幾重にも心通う交流を重ねてきた天地である。先生はそうした思い出を振り返りつつ、「庶民の都」の象徴である大阪城の歴史を通し、民衆の大地に根差した「和楽」と「幸福」の崩れざる大城の建設を託されたのが、大阪、関西であると期待を寄せる〉

人情の街、笑いの街、くいだおれの街、商いの街、町工場の街、技術革新の街……。大阪を表現する言葉は尽きません。それだけ多彩な魅力に富んでいるということでしょう。その源泉は、なんといっても明るい「庶民の都」という点にあるのではないでしょうか。
この「庶民の都」の象徴が、大阪城です。
太閤秀吉が築いた「大坂城」は冬の陣・夏の陣で落城し、続いて徳川家が再建した「大坂城」も、一六六五年の落雷で大天守が焼失してしまいました。以来、二百六十余年もの間、天守閣なき城のままでした。
昭和の初め、天守閣の再興が決定されると、待ち望んでいた市民から大変な勢いで寄付が集まり、三代目の天守閣が完成したといいます。
市井の願いと力が結集された、この城は、激しい大阪大空襲にも耐え抜きました。
特急列車「つばめ」で関西の母なる川・淀川を渡りながら目にした、夕焼け空に浮かぶ大阪城の威風堂々たる雄姿は、今も瞼に焼きついています。
どんなに栄華を極めた権力者の楼閣も、いずれ跡形もなく消え去る歴史を、関西の聡明な庶民はいずこにもまして鋭く見つめてきました。
だからこそ、草の根の民衆の大地に根差して、何ものにも崩れぬ「和楽」と「幸福」の大城を築き上げる――この人類の積年の夢を託された天地こそ、大阪であり、関西であると、私には思えてなりません。

希望は人生の宝
〈次いで池田先生は、大阪で世界的企業を育て上げた実業家・松下幸之助氏との交流を述懐するとともに、いかなる逆境も「負けたらあかん!」の関西魂で勝ち越えてきた常勝の同志をたたえた〉

私が幾度もお会いしてきた“経営の神様”松下幸之助先生は、まさしく大阪の偉大な庶民の人間性と商才を生き生きと発揮されていました。

ご夫妻は借家の四畳半でのソケット作りから始め、不況の波や戦後の大混乱など幾多の風雪を乗り越えました。私が、いかなる信念で困難を打開されたか尋ねると、こう答えられました。
「その日その日を精いっぱいに努力してきたということに尽きるように思われます。そして、その過程のなかには、常に希望があって、それが苦労とか苦闘を感じさせなかったのではないかと思っております」と。

希望は人生の宝です。いかなる苦労も充実に変え、苦しみさえも楽しみに転じながら、限りない価値を創造する希望のエネルギーが、大阪そして関西には朗らかに湧き立っています。

私は、関西の友との語らいが、大好きです。
関西には、気どりもなければ、裏表もない、地位や肩書も関係ない、“ありのまま”の人間と人間の交流が躍動しているからです。

私も友も、一番大事にしている関西弁は何か――それは「負けたらあかん!」です。

池田先生が若き日に、関西の同志と勝利を誓い合った中之島の大阪市中央公会堂(2007年11月、池田先生撮影)

妻も、家族姉妹のような関西の友人たちと、家計や子育て、闘病、地域のことなど、あらゆる悩みに耳を傾け、励まし合ってきました。
「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ 未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」という仏典を踏まえつつ、「苦労した分だけ、先の幸せが大きいのが、因果の理法です。どんなことも、いい方に、いい方に思いをもっていきましょう」等と語り合ったこともあるようです。
賢くたくましい関西の女性たちは、皆が頭を上げ、逆境を笑い飛ばしてきました。あの阪神・淡路大震災の苦難も、皆で支え合い、助け合いながら、復興してこられたのです。
関西の至るところに、「こんなに幸せになりました」「私は勝ちました」と笑顔で語ってくれる友がいる。そして、その方々の子や孫の世代も立派に成長していることこそ、私と妻の無上の喜びです。

苦楽を誇りとし
〈最後に先生は、青年の成長が未来を開く決定打になると強調。その模範こそ、理想のスクラムが広がる関西であると呼び掛ける〉

日本のシェークスピアとも称される、関西が生んだ劇作家・近松門左衛門の物語に、「一粒の花の種」が「芽を吹き終には千輪の花が咲く梢となる」というくだりがあります。
少子高齢社会にあっては、ますます、お互いを支え合う人々の絆が重要になってきます。その根幹は、「一人を大切にする」心でしょう。

池田先生ご夫妻が、関西の友の真心こもる花々を見つめて語り合う(1997年5月、大阪・豊中市の関西戸田記念講堂で)

なかでも、次代を担う青年を、心を込めて、自分以上の人材へと育成していくことが、地域も、社会も、未来へ勝ち栄えていくための決定打です。
思えば、堺出身の歌人・与謝野晶子も、「善い後継者が次々に絶えないのを祝福せずにいられない」と語っていました。
彼女は青年を励まし、青年の成長を喜び、むしろ青年の努力から新鮮な啓発を受けながら、わが人生を向上させていきました。
「私達にはみずみずしい魂があります」
「私達も未来を目掛けて躍り上がる自らの若々しい心を抑えることが出来ません」と。
心の垣根を作らず、広々と心を開いて、共に笑い、共に歌い、共に汗を流し、共々に、常勝の人生を飾っていく。これが大阪です。関西です。
この「庶民の都」そして「人間共和の都」の女性のスクラムにこそ、これからの社会が学ぶべき模範があるのではないでしょうか。

関西の
友との苦楽を
誇りとし
原点深く
常勝永久にと

(『忘れ得ぬ旅 太陽の心で』第1巻所収)