沖縄 2020年05月15日


瑠璃色に輝く沖縄の海(1997年2月、池田先生撮影。恩納村で)

月刊誌「パンプキン」誌上の池田先生の連載エッセー「忘れ得ぬ旅 太陽の心で」を紹介する本企画。今回は「沖縄」についてつづられた「命どぅ宝――平和の色彩」を掲載する(潮出版社刊の同名のエッセー集から抜粋)。きょう15日は沖縄の本土復帰の日。戦争で最も辛酸をなめた沖縄は、先生が不戦への決意を固め、同志と共に永遠の平和・繁栄の楽土建設を誓った天地である。ここに脈打つ生命尊厳の心はまた立正安国の祈りとなり、おおらかな友情の魂は世界を一つに結ぶ。励ましの輪を広げつつ危機の時代を生きる全ての友へのエールとなろう。

紺碧の
大海原に
堂々と
世界に誇る
沖縄城かな

生きとし生けるものには、みな色彩があります。どの色も、かけがえのない個性です。
それぞれが帯びた命の色を、お互いに伸びやかに輝かせ合いながら、この世界を明るく豊かに染め上げていく――そこに平和の一つの実像があると言えないでしょうか。
大空も、大海原も、大地も、そして人々の命も、ひときわ鮮やかな光彩を放ち調和している麗しき島が、わが愛する沖縄です。

沖縄には、「命どぅ宝」(命こそ宝)という、揺るぎない生命尊厳の心が光っています。「イチャリバチョーデー」(出会えば、みな、きょうだい)という、おおらかな友情の魂が脈打っています。
「お互に仲よくすることは勿論のこと、すすんで人々を、睦じくさせる」とは、琉球民話「邑を創る兄弟」が伝える、和楽を広げる生き方です。
いにしえより、琉球王国の人々は、閉ざされた島国根性ではなくして、広々と開かれた海洋国の気風を漲らせ、勇敢に波濤を越えて、アジアへ、世界へ、打って出てきました。
船が難破した異国の友を救出しては、心づくしでもてなした逸話は、枚挙に暇がありません。
その真心に触れた人々は、「琉球人は友好的で信頼のおける民族だ。しかも、こよなく幸せな民族だ」等と、感謝と賞讃の証言を歴史に残しています。
まさに沖縄は「万国の津梁」(世界の架け橋)の存在です。海外との闊達な交流のなかで、多彩な文化が育まれてきました。鮮烈な色彩芸術が眩い琉球紅型など、「染織の宝庫」でもあります。絣の源流も沖縄です。
琉球の大指導者・蔡温(一六八二~一七六一)は、「我人の恩をうけては長くわするべからず必ずむくうべし」と綴りました。
恩義を決して忘れず、縁する人を家族のように大切にしながら、和気あいあいと生命の讃歌を謳い上げていく――この温かな太陽の心こそ、沖縄を美しく彩る光源と言ってよいでしょう。
平和の宝島に
〈本年は、池田先生の沖縄初訪問60周年である。先生は平和への誓いを固めた当時の真情に言及。また、3万人の大文化祭を行った沖縄市をはじめ、各地での忘れ得ぬ出会いを思い起こしながら、沖縄の一層の繁栄を望んだ〉

悲劇なる
歴史の彼方に
栄光の
平和の土台の
原点 創れや

一九六〇年七月、私は初めて沖縄を訪問した折、南部戦跡の「ひめゆりの塔」や「健児之塔」の前に立ち、深く合掌しました。その時、誓いを固めたことがあります。
最も戦争の苦しみを味わった沖縄の人々こそ、誰よりも、誰よりも、幸せになる権利がある。いな、絶対にそうあらねばならない。ゆえに、この地に、敬愛する友と断じて平和の理想の宝島を築いていくのだ、と。
沖縄初訪問の三カ月後、私は最初の海外歴訪に出発しましたが、平和を願い対話を広げゆく世界への旅も、私の心の起点は沖縄でありました。
さらに一九六四年の師走、私は沖縄の都・那覇で、小説『人間革命』の執筆を開始し、冒頭に綴りました。
「戦争ほど、残酷なものはない。
戦争ほど、悲惨なものはない」
それは、軍部政府の横暴と戦い抜いてきた師匠・戸田城聖先生から受け継いだ叫びであり、沖縄の友と分かち合う世界不戦の決意でありました。

七宝焼の絵付けを体験する池田先生ご夫妻(1995年3月、沖縄研修道場で)

私は沖縄各地の友と、その島その郷土が誇る文化を大切に、地域の友好を広げていくことが、平和への貢献になると確かめ合ってきました。

時にハチマキと、はっぴ姿で踊りの輪に飛び込み、時に島の更なる発展を願い、「イヤサカ(弥栄)! イヤサカ!」と音頭をとりました。懐かしい語らいの光景が、一つ一つ名画のごとく色鮮やかに蘇ってきます。
私は初訪問の際、強く申し上げました。
「沖縄は、必ずや将来、『東洋のハワイ』になります。世界中の人々が憧れ、集い合う天地になります」
烈風にも耐え抜くガジュマルの木のように、「ガンジュームン」(頑丈者・健康で丈夫な人)たる沖縄の尊き方々が、言うに言われぬ苦難を乗り越え、不屈の繁栄を築いておられることは、何よりの喜びです。
生涯建設
〈ここで池田先生は、宿命の嵐にも負けず、平和の建設に尽くした婦人の足跡を紹介。命を尊ぶ沖縄の心が地球を包みゆく未来に思いをはせた〉

私と妻が一緒に歴史を刻んできた沖縄の女性リーダーは、かつて、夫の事業の挫折、厳しい生活苦や病気など、まったく希望の見えない日々でした。しかし、夫妻して「悲惨な戦場となった沖縄を最も幸福な社会へと転じていこう」と決意しました。
沖縄のことわざに「チョーククルルデーイチ」(人は心こそ第一)とあります。平和も、一人一人が自身の苦悩に勝ち、宿命に泣いていた自分に勝って、「人間革命」していくところから始まります。婦人は、子どもの手を引きながら、友の家を一軒一軒訪ね、その悩みにじっくり耳を傾けて励ましていきます。
夫に先立たれたあとも、遺志を受け継いで、沖縄全島を駆け巡ってこられました。

この婦人のモットーは「生涯建設」です。「勇気をもって、人生は強気でいく」です。勇気こそ自分を建設し、平和を建設しゆく原動力です。

恩納村にある、私たちの研修道場の敷地には、かつて中距離弾道ミサイル・メースBを配備した米軍基地の八つの発射台が置かれ、冷戦時代は北京など中国の主要都市を射程内に入れていました。その発射台跡は、今、世界平和の記念碑に生まれ変わっています。
核兵器廃絶を目指す科学者の国際組織パグウォッシュ会議名誉会長のロートブラット博士も、この研修道場にお迎えした一人です。人生を賭して世界の平和のために戦い抜いてきた博士だからこそ、沖縄の心に最大の共鳴を示されました。
「私たちは今一度、人間とすべての生命の尊厳に目を向けなければならない」との博士の言葉が、私の胸に深く強く響いております。
平和ほど、尊きものはありません。
平和ほど、幸福なものはありません。
「命どぅ宝」(命こそ宝)――この沖縄の心が地球を包み、世界中の母と子の笑顔が輝きわたる未来の光彩を、私はいつも思い描いています。

沖縄の
友に幸あれ
勝利あれ
私は祈らむ
皆様 見つめて

(『忘れ得ぬ旅 太陽の心で』第2巻所収)
※「邑を創る兄弟」の引用は『琉球民話集 全巻 球陽外巻遺老説伝口語訳 口碑伝説民話集録』(琉球史料研究会)。琉球人をたたえる証言は『青い目が見た大琉球』ラブ・オーシュリ/上原正稔編著、照屋善彦監修(ニライ社)。蔡温の言葉は『蔡温全集』崎浜秀明編著(本邦書籍、現代表記に改めた)。