
ロンドンを滔々と流れるテムズ川と、イギリスの国会議事堂であるウェストミンスター宮殿(1989年5月、池田先生撮影)
世界が新型コロナウイルスの猛威と闘っている。イギリスも感染拡大は深刻だ。池田先生は、これまで同国を7度訪れ、20世紀最大の歴史家トインビー博士と対談を行うとともに、現地の人々と深い交友を結んできた。未曽有の事態に直面している現在もメッセージなどを寄せ、同志を激励し続けている。月刊誌「パンプキン」誌上の先生の連載エッセー「忘れ得ぬ旅 太陽の心で」を紹介する本企画。今回は「ロンドン――歴史を輝かせる不屈の息吹」を掲載する(潮出版社刊の同名のエッセー集から抜粋)。侵略者の脅威、経済の停滞……。国難ともいえる危機と苦難を敢然と乗り越えてきたイギリスに脈打つ「不屈の精神」に光を当てたこのエッセーを、今、家族を守り、友を励まし、社会を支えるために奮闘する方々に贈りたい。
大空へ
嵐にめげず
みどり樹の
伸びゆく姿
われは待ち見む
ロンドンは北緯五十一度。北海道よりも、さらに高い緯度に位置します。
冬は日の暮れるのも早く、冬至の頃には午後四時前に日没を迎えるといいます。春本番の訪れも五月になります。
長く厳しい冬を越えた分、陽光はまばゆく、緑は冴え、生きとし生けるものが躍動します。世界でも、最も輝きわたる季節の一つではないでしょうか。
「三月の風と/四月の雨が/五月の花を/連れてくる」――これは、イギリスの伝承童謡「マザー・グース」の有名な一節です。
この「五月の花」すなわち「メイフラワー」として皆に親しまれているのが、サンザシです。
イギリスを代表する花であり、花言葉は「希望」です。
逆境を朗らかに耐え、試練の風雨さえ、はつらつと魂の糧にし、時を待ち、時を創り、やがて「希望」の花を咲き薫らせていく。イギリスには、そうした不屈にして快活な友がたくさんいます。
挑戦への応戦
〈池田先生を5月のロンドンに招いたのは、トインビー博士である。語らいは1972年と73年の5月、ロンドンの博士の自宅で行われた。先生は博士とベロニカ夫人の足跡に言及するとともに、対談を陰で支えた友の勝利劇を紹介。女性たちの「太陽の心」には、悲哀を希望に転じゆく力があると訴えた〉
共々に
いざや此の世の
華の旅
大著『歴史の研究』をはじめ、独創的な文明史観の地平を開拓し、平和と人道の信念の言論を貫いたトインビー博士は、幾多の圧迫に晒されました。最愛のご子息を不慮の死で失われてもいます。
しかし、さまざまな困難からの「挑戦」に対する「応戦」にこそ、人間の前進があるという歴史観に立つ博士は、自ら“苦悩からも、必ず何かをつかみとってみせる”という信条で生き抜いてこられました。
その博士を、夫人も同じ心で厳然と支え抜きました。だからこそ、博士は「かくも親しき伴侶を持てる者にとって、追放も追放とはならない。妻の愛情があるところ、いたるところが祖国である」と言い切ることができたのでしょう。
新たな道を開きゆく人生には、それだけ大きな苦難も待ち構えています。その一つ一つを、共に励まし、共々に越えゆくなかで、家族の愛情と信頼は、最も深く強く尊く、生きる喜びの花また華を咲かせてくれるのではないでしょうか。

20世紀を代表するイギリスの歴史家、アーノルド・J・トインビー博士(左から2人目)と語り合う池田先生。ベロニカ夫人(右端)と香峯子夫人も共に(1972年5月、ロンドンにある博士の自宅で)
トインビー博士との対談を、毎日、真剣に支えてくれた友人たちがいます。対話が終わると、その日のうちにテープを再生し、タイプライターで打って、まとめてくれたのです。この陰の労作業なくして、博士との語らいが対談集に仕上がることはありませんでした。
演劇の仕事に携わっていた一人の女性は、全力でタイプを打ち上げると、それから仕事場である劇場に駆けつけていきました。この一日一日を青春の宝の歴史として、喜び勇んで若い力を発揮してくれたのです。
彼女は、その後、当時はまだ男性中心で仕切られていた演劇界でステージマネジャーの一人となりました。
イギリスが誇るシェークスピア劇の一節には、「これからはどんな苦しみも耐え抜こう、苦しみのほうで『もうまいった』と悲鳴をあげて息絶えるまで」とあります。
彼女は、シングルマザーとして、必死に仕事と子育てに励み、地域貢献にも積極果敢に取り組みました。それは、経済問題など言い知れぬ不安との戦いでもありました。
しかし、「困難を人のせいにしない」「愚痴を言わない」「自信を持つ」と心に決め、すべてを自らの「人間革命」の劇としてきたのです。最高峰の音楽演劇学校の運営役員、大学の演劇学部の理事も歴任し、多くの青年たちを育成していきました。
陰の大功労者であった一人の女性の勝利劇が、私も妻も、何より嬉しく、感謝と敬愛の大喝采を送っています。
すでに十八世紀に、イギリスの女性人権運動の先覚者メアリ・ウルストンクラフトは、女性は太陽であると訴えました。女性たちの「太陽の心」は、人生劇場にあっても、現実社会という劇場にあっても、暗を明に変え、苦しみを楽しみに変え、悲哀を希望に、そして分断を和楽に転じゆく力に満ちています。
今日より明日へ
〈池田先生は最後に、世界の歴史を動かし、時代の流れを見つめてきたロンドンの歩みなどに触れつつ、慈悲と勇気の心で悔いなき人生をと呼び掛けた〉
歴史上、征服や大火など数知れぬ苦難を乗り越えながら、独立心を燃え上がらせ、人間の権利と尊厳を強く求めてきたのが、ロンドンの人々です。
第二次世界大戦下、ナチスの猛爆撃にも断じて怯みませんでした。あのテムズ川が、いつも静かに豊かに水を湛えて、悠然と流れるように、ロンドンの街と人々は、いかなる艱難にも絶対に負けずに、前へ前へ進み抜いていくのです。

市民の憩いの場ともなっている、イギリスSGIのタプロー・コート総合文化センターの庭園(同)
私が多くのイギリスの友と出会いを結んだタプロー・コート総合文化センターは、もともとロンドンでの最初のオリンピック(一九〇八年)の成功に尽くしたデスボロー卿の館でした。数多の文化人が訪れたことでも知られています。
その一人の劇作家オスカー・ワイルドは綴っていました。「人生というものは慈悲の心なしには理解できない、深い慈悲の心なしには生きていけない」
昨日よりは今日、今日よりは明日と、一歩一歩、自分らしく、人のため、後輩たちのために行動する。その努力の足跡が、悔いなき人生を輝かせます。
だからこそ「今」を戦い、「今日」を全力で生きたいものです。慈悲の心、勇気の心を燃え立たせて!
負けるなと
天の声あり
君の旅
(『忘れ得ぬ旅 太陽の心で』第1巻所収)
※マザー・グースの一節は『マザー・グース3』寺山修司訳(新書館)。トインビーの言葉は『トインビー 歴史と現代・未来 G・R・アーバンとの対話』山口光朔訳(社会思想社)参照、『歴史の研究 第14巻』松永安左ェ門監修・下島連他訳(「歴史の研究」刊行会)。シェークスピアは『シェイクスピア全集Ⅱ』小田島雄志訳(白水社)、メアリ・ウルストンクラフトは『女性の権利の擁護』白井堯子訳(未来社)参照、オスカー・ワイルドは『オスカー・ワイルド全集Ⅲ』西村孝次訳(青土社)。
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