北海道 2020年04月07日

戸田先生の故郷・厚田に咲く菜の花(1982年6月、池田先生撮影)

美しき
心の旅路の
此の世かな

世界は美しい。それぞれに美しい。
地球上に、一つとして同じ街はありません。その街ならではの歴史があり、文化がある。愛すべき人間が暮らし、学ぶべき営みがあります。
わが街の隣人たちと仲良く手を携えていくとともに、遠く離れた街の人々とも心を通わせ、励まし合いながら前進する。
この人間の絆の広がりにこそ、人類が願ってきた「平和」の一つの実像があると言ってもよいでしょう。

〈戸田先生は故郷・厚田の海岸に立ち、池田先生に語った。「東洋に、そして、世界に、平和の灯をともしていくんだ。この私に代わって」。恩師との誓いを胸に、日本中、世界中を駆け巡った池田先生が読者に贈る“心の旅”は、この平和旅の原点の地・北海道から始まる〉

師の心を我が心とする、私の対話の旅は、日本全国、さらに五大陸に広がりました。
今、192カ国・地域に、同じ人間主義の心で、平和と文化と教育に貢献してくれる世界市民の良き仲間がいます。
多事多難な時代にあって、いざ、ある国、ある地域で災害が起これば、即座に安否を気づかい、無事を祈り、救援や復興の手を差し伸べる善意と人道のスクラムもでき上がりました。
いずこの国にも、素晴らしい人々が光っています。なかんずく、わが地域を明るく照らす女性たちの「太陽の心」が必ず輝いています。
そうした懐かしい、あの街、あの国、あの天地へ、読者の皆様方をご案内するような思いで、この連載の“心の旅”に出発したいのです。

新たな開拓を
〈池田先生の北海道指導は50回を超える。小樽、札幌、夕張をはじめ、広大な北海天地で刻まれた忘れ得ぬ出会い。先生は、豪雪の中で励ましの輪を広げる友に思いを馳せながら、新たな開拓に挑む人生をと望んだ〉

青春時代から交友を重ねてきた北海道の友は、実に朗らかで、快活に助け合う仲間たちです。
大変であればあるほど、たとえば――
「雪かきもゆるくないっしょ?」
「いや、なんも、なんも! そっちこそ、ゆるくないべさ」
このようなやりとりが交わされます。
厳しい労作業も、あえて「きつい」とか「つらい」とか言わず、「ゆるくない」との柔らかな言葉をかけ合い、互いを気づかうのです。

子どもたちに楽しい思い出を――札幌創価幼稚園を訪問した池田先生が、園児たちと交流(92年8月)

「なんも、なんも」も、私の好きな北海道の言葉です。友の苦労をねぎらい、親切に対して感謝すると「なんも、なんも」と返ってきます。
そこには、相手に余計な気をつかわせまいとする思いやりの温もりがあります。
さらに、難儀なことにも、「たいしたことないさ」と自分自身を鼓舞する大らかな響きがあるのです。
仏典には、障害を前にした時、「賢者はよろこび愚者は退く」と説かれます。
どんな困難があろうとも、喜び勇んで新たな開拓に挑む人生に、行き詰まりはありません。希望の活路は断じて開かれるのです。
アイヌの言葉で、北海道は「アイヌ・モシリ」――「人間の大地」という誇らかな意義があります。
その大地を踏みしめ、その大気を吸い込み、その大空を見上げれば、無限の活力が漲ります。
真に偉大な人間を育て、作り、鍛えゆく大地こそ北海道なりと、私は信じてきました。

冬は必ず春に
〈次いで池田先生は、広布の使命に生ききった女子部のリーダーや、農業に奮闘する一婦人の歩みに言及。いかなる試練の厳冬にも負けず、「太陽の心」で勝利の春へ進もうと呼び掛けた〉

幸福の
天地は ここにと
北海道
乙女よ 立ちゆけ
断固と生き抜け

私と妻は、愛する北海道のためにと、青春の大情熱を燃え上がらせた一人の乙女を忘れることはできません。
初めて出会ったのは小樽でのこと。はるばる留萌から訪ねてきてくれました。
幼き日に父親が戦死し、四人きょうだいの長女として母を支えてきた芯の強い女性です。
仕事をしながら、自分が苦労してきた分、悩める友に尽くしたいと、すずやかな瞳を輝かせて奔走しました。自ら結核と闘いつつ、後輩には「私が守るから、安心して頑張って!」と励ますリーダーでした。
私は、その健康をひたぶるに祈り、「太陽の如く明るく強く 月光の如く美しくあれ」と贈ったことがあります。
ある時は、親友と共に、北海道の地図に、マッチ棒で作った旗を一本一本、立てながら、あの街にも、この街にも、青年の希望のスクラムをと、夢を広げたといいます。
残念なことに、彼女は26歳の若さで逝去しました。しかし、友の幸福を祈り、語り、働いて、一日また一日、積み上げた「心の財」は、絶対に消えることがありません。
今、その志は、無数の乙女たち、青年たちに受け継がれています。

色鮮やかな花々が美しい札幌の花菖蒲園で(90年7月、池田先生撮影)

日本最北の稲作地帯である遠別町の一人の母は、都会から農家に嫁ぎ、ようやく農作業にも慣れた矢先に、夫に先立たれました。
けれども、二人の子を抱えながら毅然と立ち上がったのです。北限の地でのもち米作りに挑み、水の管理や肥料にも工夫を重ね、おいしいお米を見事に生産していきました。

「冬は必ず春となる」とは、この母が抱きしめてきた希望の金言です。
冬が厳しいからこそ、春の喜びも大きい。
私の恩師は、母上が深い祈りを込めて縫ってくれた手作りのアツシの半纏を生涯の宝とし、どんな試練にあっても「このアツシさえあれば大丈夫」と微笑まれました。
人生は、けなげな母たちの「太陽の心」を携えて、吹雪に胸を張り、勝利の春へ前進しゆく旅とは言えないでしょうか。

君 立たば
北海天地は
春の曲

(『忘れ得ぬ旅 太陽の心で』第1巻所収)