オーストリアの元文部次官・声楽家 ユッタ・ウンカルト=サイフェルト氏との語らい
 22年02月06日

今日に何を残せるか。今を真剣に生きる中に生命の永遠の輝きが

再会を喜び合う池田先生とサイフェルト氏。この日に開催された会合の席上、氏は学会歌「今日も元気で」を日本語で披露した(2001年9月、東京牧口記念会館で)

人は死んだらどうなるか
2度の大戦の爪痕が生々しい、オーストリアの首都ウィーン。

少女の日課は、盲目の父の手を引いて、墓地まで連れていくことだった。音楽家の父は葬送の演奏で生計を立てていたからだ。

父の傍らで見つめ続けた「死」は、彼女の人生に多大な影響を与えた。同国文部次官などの重責を担い、声楽家としても知られるユッタ・ウンカルト=サイフェルト氏の幼少の思い出である。

ヨーロッパ中央部に位置するオーストリアは、1945年までナチス・ドイツの支配下にあった。氏の母も父と同様に全盲であったため、二人は「生きるに値しない」とされ、虐殺の標的となっていた。

命の危機にさらされながらも二人は生き抜き、戦後間もなくしてサイフェルト氏が生まれた。

氏は、物心ついた時から両親の「目」となり「手足」となって生活を支えていた。身の回りの世話などで、他の子どもたちのように自由な時間は取れなかった。それでも、氏は「本当に幸せな子ども時代でした」と振り返る。

苦学の末に進んだウィーン大学では文学、哲学、古典文献学と、「興味のあることは全て」というほど貪欲に学び、哲学博士号を取得。文化行政の場で実績を積む一方、ソプラノ歌手の道を志し、声楽家としても活躍を広げる。

文部省の文化交流部長に就いた氏は、ある時、創価学会の知人の勧めで、池田先生とトインビー博士との対談集を手に取った。

「人は死んだらどうなるのか」との一節に目が留まる。西洋の碩学を相手に、東洋の仏法者が深い生命論を展開しているのに驚いた。

西洋では「人生は一度きりで、二度目はない」という考えが根強い。そうした生命観に疑問を抱いていたサイフェルト氏にとって、池田先生の説く仏法の生命観は親近感を覚えるものだった。

1989年7月、夫のラルフ・ウンカルト博士(ウィーン工科大学名誉教授)と共に来日したサイフェルト氏は、都内で池田先生と初めての出会いを刻む。

当初、先生のことを“象牙の塔にこもる白髪の老哲学者”と思い込んでいた氏だったが、「お会いして、びっくり。若く、生き生きとした行動の人でした!」。

「ドイツ語訳の池田会長の著作は全部読みました。ぜひオーストリアに来てください」とほほ笑む氏。芸術、文化、哲学を巡って語らいが弾み、やがて話題は「死と生」に。氏の質問に答え、先生は生命の永遠性を語っている。

「西洋では、人生は『一冊の本』のようなものです。一方、東洋では、生と死は、いわば本の中の『一ページ』。ページをめくれば次のページがあるように、常に生と死を繰り返す。これは貴国のクーデンホーフ・カレルギー伯爵が語っておられたことです」「仏法では、死を『方便現涅槃』とも説きます。疲れた体を休めるために睡眠をとるように、死とは、生き生きとした新たな生への出発の準備であると、とらえるのです」

当初、20分程度を予定していた会見は2時間に及んだ。

「私が心の中で感じていたことを、口に出して明快に言っている人がここにいる」と、サイフェルト氏は喜びをにじませた。その後も二人は多忙の合間を縫い、神奈川や北海道、オーストリアなどで語らい、親交が続いていった。

9・11「アメリカ同時多発テロ」の発生直後、民音公演で来日したサイフェルト氏。連帯の意志を込め、歌声を響かせた(2001年9月)

ご主人はあなたの心の中に
「池田会長の言葉を書き留めた、忘れられないメモがあります」
98年、夫のウンカルト博士が、病で帰らぬ人となる。

早過ぎる別れ。悲嘆に暮れるサイフェルト氏のもとに、池田先生から伝言が届いた。氏は、その言葉をメモに写し、大切に残している。

「生は永遠で、死は生の一部です。ご主人はあなたの心に生き続けるでしょう。

前に進んでください。

もっと強く、さらに強くなってください。あなた自身の生を全うするために、あなたは前に進まなくてはなりません」

後年、氏は「池田会長の言葉通りでした。夫を亡くしてからの十数年間、私はそうやって、これまで生きてきたのです」と述懐する。

文部次官を退任した後も、ストリートチルドレンのための施設の開設や若手音楽家の育成等に尽くした。その視線は「誰かのために」との一点に向けられていた。

2013年には、聖教新聞紙上で池田先生とサイフェルト氏の連載対談が始まった。題名は『生命の光 母の歌』。15年には対談集として発刊されている。

先生と氏の語らいは、毎回、音楽や芸術、哲学と多岐にわたり、青年への期待、女性が輝く社会、人生の充実へと広がり、さらには「死とは」「生きるとは」と死生観や生命観に及ぶのが常だった。この対談集の後半部分でも、「生と死」について、さまざまな観点から率直に語り合われている。

氏は熱を込めた。「『死』を忘れた人は、『生』を充実させることも忘れます。我々はテレビを観に生まれてきたのでしょうか。人の悪口を言うために生まれてきたのでしょうか。戦争をするために生まれてきたのでしょうか。そんなことはないはずです」

池田先生が応じる。

「『生命は永遠』であるがゆえに、希望を持って、少しでも前へ、前へと進んでいく。亡き夫君も、博士のその姿を喜び、見守られていることでしょう。何よりも博士は、天職である音楽を通して人々に生きる歓び、希望と勇気を送り続けられてきました」

池田先生とサイフェルト氏の対談集『生命の光 母の歌』

対談集に込めた願い
対談集『生命の光 母の歌』で、二人はこう語った。

サイフェルト氏 対談はむしろ私自身にとっての励ましなのです。当たり前の日常にあって、まだまだやり残していることがあるのではないか――自問自答を続ける中で迎えた待望の機会だからです。

池田先生 以前にお会いした折も、言われていましたね。「人生はあまりにも短い。“何か”を残さねばならない」と。今も変わらず若々しい心で行動し、謙虚に、そして真剣に人生の真の目的を探求される姿勢に感動します。

サイフェルト氏 わが人生に、あと、どれほどの時間が残っているか、誰にも分かりません。だからこそ、時間は大切であり、かけがえのないものとなるのです。

池田先生 仏法では、「臨終只今にあり」(新1775・全1337)との覚悟で、今の一瞬一瞬を大切にし、一日一日を真剣に生き切り、最高の価値を創造していく道を教えています。いかに財産があっても、立場があっても、それが人生の確かな充実と満足を生むとは限らない。むしろ、虚像となってしまう場合が、あまりにも多い。ですから、いかなる目的を持ち、いかなる哲学を持って、人のため、社会のために尽くしていくかが大事になるのではないでしょうか。

今という時を逃さず、最大限に輝かせゆく中に、生命の永遠の輝きがある――生死を見つめ続けた二人の偽らざる実感であり、対談集『生命の光 母の歌』に込められた願いである。

【プロフィル】ユッタ・ウンカルト=サイフェルト オーストリア・ウィーン生まれ。ウィーン大学で哲学博士号を取得。同国政府の元文部次官。声楽家(ソプラノ歌手)として活躍してきた。ヨーロッパ青年文化協会の会長を務め、東欧ルーマニアに路上孤児施設を創設し、青少年教育に尽力。1998年、同協会から池田先生の世界的な芸術・文化への貢献をたたえ、「名誉会員証」が贈られている。これまで、池田先生が創立した民音の招へいで5回来日し、コンサートを行うなど、日墺の友好を推進してきた。長年にわたるオーストリアへの貢献がたたえられ、昨年9月、職業称号「教授」が同国から授与されている。