第1回 差別を許さぬ世界目指して
2020年10月04日

物語を意味する「ストーリー」と、歴史を表す「ヒストリー」。語源は同じである。日蓮大聖人は苦闘の友を「未来までの・ものがたりなに事か・これにすぎ候べき」(御書1086ページ)と励まされた。新連載「ストーリーズ」では、池田大作先生を中心にして紡がれてきた“師弟の物語”、そして折々の広布史をひもといていく(月1回の掲載予定)。

2010年10月、池田先生のシカゴ初訪問50周年を慶祝(けいしゅく)し、リンカーン・パークに設置された「平和と正義」像。制作者は「池田SGI会長の50年にわたる、平和と正義のための情熱的な功績を表します」と

君が本当に愛し、誇れる社会をつくる
「世界の歴史において、偉大な政治家と思う方は?」
希代の実業家である松下幸之助氏からこう問われると、池田先生は即座に、「リンカーン」の名を挙げた。
アメリカの第16代大統領リンカーン。1863年の奴隷解放宣言、同年11月19日の「人民の、人民による、人民のための政治」との演説などで知られる。
シカゴ市には、彼の名を冠する同市最大の公園「リンカーン・パーク」がある。
今から10年前の2010年10月、この公園に、池田先生の平和貢献をたたえ、一体の像が設置された。黒人の少年と白人の少年がボールを使って仲良く遊ぶ姿を表現した「平和と正義」像である。その台座には、小説『新・人間革命』の冒頭の一節「平和ほど、尊きものはない」が刻まれている。
1960年10月9日、初の海外訪問の折、先生はリンカーン・パークに足を運んだ。そして「平和と正義」像とは正反対の光景を目にした。

その日は日曜日だった。
公園では、子どもたちがボールを蹴って遊んでいた。1人、2人と、ほかの子どもも加わり、遊びの輪が広がっていく。
そこへ、1人の黒人の少年が近寄ってきた。ところが、彼には誰も声を掛けない。
しばらくして、子どもの1人が、ボールを蹴り損ね、尻もちをついた。傍らで見ていた黒人少年は、大声で笑い、はやし立てた。すると、近くのベンチに座っていた老人が、黒人少年を怒鳴りつけた。少年は背を向け、その場を走り去った。
一部始終を見ていた先生は、胸が強く痛んだ。リンカーンの奴隷解放宣言から、100年近くが過ぎていた。奴隷という「制度」はなくなった。しかし、人間を分断する「心の壁」は根強く残ったままだった。
先生は、少年を追い掛けようとした。だが、すでに姿は見えなかった。
“君が本当に愛し、誇りに思える社会を、きっとつくるからね”――先生は心の中で、黒人の少年へ呼び掛けた。万人の尊厳が輝く社会の建設を、心に固く期した。

リンカーン・パークの散策を終えた先生は、その日の午後、座談会に出席。参加者からの質問に、一つ一つ明快に答えるなかで、人種問題にも触れた。
――「地涌の菩薩」の使命を自覚し、行動すれば、人種や民族や国籍を超えて、世界平和と人間の共和が築かれていく、と。
肌の色など関係なく、全ての人が誇りに思える世界を築くために、目の前の一人の「地涌の使命」を呼び覚ます。この一点から、先生は動き始めた。

アメリカの人権の闘士キング博士の母校であるアメリカ・モアハウス大学の「キング国際チャペル」から、池田先生に「最高学識者」称号が贈られた(2000年9月7日、東京牧口記念会館で)

2000年9月7日、アメリカ・モアハウス大学のキング国際チャペルから、池田先生に「最高学識者」称号が贈られた。
授与式の席上、同チャペルのカーター所長は「池田博士は非暴力の無条件の愛をたたえておられます。その愛情とは、イエス・キリスト、マハトマ・ガンジー、キング博士が体現していたものです」と、先生へのあふれる思いを語った。
モアハウス大学は、アメリカ公民権運動の指導者キング博士の母校である。黒人への差別撤廃の先頭に立った博士が、「破壊の跡は、私の見たものの中では最も悲惨な光景」と述べた暴動――それは、1965年8月11日、ロサンゼルスのワッツ地区で起こった。

1965年8月、暴動の発端となったロサンゼルスのワッツ地区で、黒人の群衆に演説するキング博士。博士は後に「このような衝突はただ流血と、海外におけるわが国全体の恥をもたらすだけである」と、暴力の愚かさを強く訴えた ©Bettmann/Getty Images

発端は、パトロール中の白人警察官が、黒人の青年に飲酒運転の容疑で職務質問したことだった。警察官の侮蔑的な態度が、青年をいら立たせた。
警察官は青年と言い争いになり、逮捕しようとした。そこへ黒人の群衆が集まってきた。
ロサンゼルスのあちこちで火の手が上がった。略奪も相次いだ。治安の悪化は著しく、2日後の13日には、カリフォルニア州の州兵も動きだした。
翌14日は、池田先生のアメリカ・メキシコ歴訪の出発日だった。しかも、最初の訪問地がロサンゼルスである。
周囲の幹部は、“出発はせめて、ロスの暴動が治まってから”と訴えた。しかし、先生は予定通り、羽田の東京国際空港を飛び立った。

ロサンゼルスに着いた先生は、15日の朝、代表メンバーと勤行し、アメリカ社会の安穏と人々の無事を祈念。夜、野外文化祭に出席した。
アメリカの同志は、文化祭の成功を祈り、練習に励んできた。暴動が起こってからは、黒人の友を心配し、練習会場まで車で送迎する白人の友もいた。
文化祭は、婦人部のコーラス、女子部のダンスに続き、男子部の体操へと移った。出演者には、黒人も白人もいた。互いにスクラムを組み、“団結の美”を披露した。「同じ人間」としての信頼の絆が光っていた。
キング博士は63年8月、奴隷解放宣言から100年を記念したワシントン大行進の折、リンカーン記念堂で演説した。
「私には夢がある」
「いつの日かジョージア州の赤土の丘の上で、かつての奴隷の子孫とかつての奴隷主の子孫が、ともに兄弟愛のテーブルに着くことができることである」
文化祭は、博士の「夢」が「現実」の形となって表現されていた。麗しい「兄弟愛」が織り成す演技の一つ一つに、先生は何度も何度も拍手を送り続けた。

1993年1月のアメリカ訪問の折、池田先生は、“アメリカ公民権運動の母”とたたえられるローザ・パークス氏と対談(同年1月30日、アメリカ創価大学ロサンゼルス・キャンパス<当時>で)。不屈の人権闘争などを巡って語り合った

国境もなく人種・性別もない“根源のルーツ(地涌の菩薩)”に目覚めよ!
1992年5月10日、池田先生はアメリカ・リンカーン大学の芸術学部長であるスモック教授と会談。そこで話題となったのが、同年4月末から5月初頭にかけて、ロサンゼルスで起こった暴動だった。
黒人の青年が複数の白人警官から暴行を受けた。だが、警官らは裁判で無罪に。その評決に、黒人を中心とした怒りの抗議活動が起こったのである。
繰り返される差別と絶望――スモック教授は「『外面』の努力だけでは、本当の『解決』にはならない。『小我』――小さな自分――を乗り越え、より大きな内面の力を発揮してこそ、糸口は見いだされる」と強調。
教授の見解に、先生は賛同し、「広大な『一念』の力、内面の力を確信し、引き出すとき、いかなる外界の悪、反価値をも、善の方向へ、価値の方向へ転じていくエネルギーとなる。これが『創価』であり、一念三千の実践です」と述べた。
公民権法の制定をはじめ、アメリカ社会は、差別撤廃への努力を積み重ねてきた。そうした人間の「外側の変革」とともに、人間の「内側の変革」にこそ、解決の鍵がある。これが、両者の結論だった。

93年1月24日、先生は北・南米の平和旅へ出発した。27日に開催された第2回「アメリカSGI総会」。先生はロサンゼルスの友に「新生の天地に地涌の太陽」と題する長編詩を贈った。



自らのルーツを索めて

社会は千々に分裂し

隣人と隣人が

袂を分かちゆかんとするならば

さらに深く 我が生命の奥深く

自身のルーツを徹して索めよ

人間の“根源のルーツ”を索めよ

そのとき

君は見いだすにちがいない

我らが己心の奥底に

厳として広がりゆくは

「地涌」の大地――と!



その大地こそ

人間の根源的実在の故郷

国境もなく 人種・性別もない

ただ「人間」としてのみの

真実の証の世界だ

“根源のルーツ”をたどれば

すべては同胞!

それに気づくを「地涌」という!


この詩を巡って、先生は語っている。
「人種や民族に、自分たちの“ルーツ”を求めても、それは虚構です。砂漠に浮かぶ蜃気楼のようなものだ。人類共通の“生命の故郷”にはなれない」
「本来、人間は、宇宙と一体の大いなる存在なのだ! 個人の力は、かくも偉大なのだ! これが法華経のメッセージです」

2005年5月、ロサンゼルス市議会から池田先生に「顕彰決議書」が贈られた。
同市議会は、先生とSGIの「寛容と人権を宣揚し、地域社会で平和・文化・教育に尽くす青少年の育成への貢献」に言及。そして、先生が長編詩を通して、希望の指標を示したことを高く評価したのである。
授与式で、アメリカSGI青年部の代表が登壇した。長編詩を朗唱する青年の声が、ロサンゼルス市庁舎に響いた。

アメリカ・ロサンゼルス市議会が、平和・非暴力・人権の哲学と行動による社会貢献をたたえて、池田先生に「顕彰決議書」を授与(2005年5月、ロサンゼルス市庁舎で)