「凱歌」の大道を誉れ高く
2020年10月05日

「みんな立派に育ったな」
「はい、育ちました」
青年を誰よりも愛された、戸田先生との語らいが蘇る。

1957年9月8日、あの「原水爆禁止宣言」を発表された横浜・三ツ沢の競技場で、青年部の英姿を笑顔で見守られながらの一こまである。

あれから63星霜、歴史的な世界青年部総会が行われた。

戸田先生も、また牧口先生も、どれほど喜んでおられるか。両先生に全世界の地涌の若人の大成長をご報告する思いで総本部の恩師記念会館で妻と勤行をした(10月3日)。

会館には、以前、私が報恩の一念で記した書「凱歌大道之誉」が掛けられている。今回の総会に連なる全ての若き宝友が一生涯、不退転で「凱歌」の大道を誉れ高く歩み抜くことを、私は強盛に祈った。

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日蓮大聖人は「地涌の菩薩」について仰せである。

「此等の大菩薩末法の衆生を利益したもうこと 猶 魚の水に練れ 鳥の天に自在なるが如し」(御書1033ページ)

地涌の菩薩は誓い願って、あえて末法の濁世に躍り出る。いかなる事態があろうと、断じて行き詰まりを突破して、広宣流布の活路を開き、民衆を幸福に、世界を平和に導いていくのだ。

この地涌の本領を発揮し、立ちはだかる苦難に挑み、断固と価値を創造してきたのが、我ら創価の師弟である。

「大阪の戦い」(1956年)も、まさしく悪口罵詈・猶多怨嫉の渦巻く只中であった。

私を先頭に関西の同志は、「道なき道を開くのだ」と、勇気と智慧を漲らせ、打って出た。「せめて一目でも」と友のもとへ足を運んだ。苦悩に耳を傾け、真心を尽くして共に信心で立ち上がった。「せめて一言でも」と励ましの声を掛け、仏縁を結び広げていったのだ。

「徹底して一人を大切に」――広布の方程式は、昔も今も、これからも変わらない。

「此の妙法蓮華経を信仰し奉る一行に功徳として来らざる事なく善根として動かざる事なし」(同500ページ)

この仰せの通り、最も地道な学会活動こそ、無量無辺の「心の財」を積みながら、「立正安国」そして「立正安世界」を成し遂げゆく最も根本の力であることを忘れまい。

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眼を天空に向ければ、明日6日には、赤く輝く火星が我らの地球に約6207万キロまで最接近する。11月初旬まで明るさが続き、創立の秋を祝賀してくれるかのようだ。

「我即宇宙」「宇宙即我」という妙法の大ロマンを光らせ、心広々と健康第一で、平和の星を足元から築きゆこう!