第31回大誓堂完成10周年の創立記念日㊤ 23年11月16日 |
〈出席者〉原田会長、西方青年部長、大串女性部主任部長、梁島男子部長、林池田華陽会委員長![]() 師弟の殿堂である東京・信濃町の「広宣流布大誓堂」。池田先生は呼びかけている――「広宣流布」の大誓願を掲げ、世界の友と出発しよう! 共々に人間革命の「勝ち鬨」を高らかに上げるのだ! 師弟誓願のスクラムを ◆西方 今秋、広宣流布大誓堂完成から10年を刻みます。 ◇原田 大誓堂完成以降の10年間は、学会が大聖人直結の世界教団として、宗教的独自性を確立する期間でもありました。 創価学会会則の「教義条項」改正(2014年)から始まり、その翌年には、創価学会の会則が改正され、学会の「三代会長」を「広宣流布の永遠の師匠」と明記。また、創価学会「勤行要典」が定められます。 さらに、会則の前文に「創価学会仏」との言葉が加えられ(16年)、世界教団たる創価学会の根本規範、最高法規として「創価学会会憲」が制定(17年)。教学面では、大聖人御聖誕800年の慶祝の意義を込めて『日蓮大聖人御書全集 新版』が刊行され(21年)、このたび、『創価学会教学要綱』が定められ、発刊されました。 今月、「魂の独立」から32年となります。邪宗門の鉄鎖を断ち切り、池田先生のもと正法正義を貫いてきた学会は、世界教団としての威光勢力をいよいよ増しています。 ◆大串 このほど、ドイツSGIが、州政府から「公法社団法人」に認可され、「ドイツ創価学会」として新たに出発しました。 ◇原田 この認可は、これまで、キリスト教、イスラム教などの伝統宗教が主で、仏教団体としては同国初です。 今回の認可によって、宗教団体としての自立性や永続性が保障されます。ドイツ創価学会が、社会で広く受け入れられている証左にほかなりません。 2016年(平成28年)7月には、イタリア創価学会仏教協会が、イタリア共和国政府との間で結んだインテーサ(宗教協約)が発効されました。約8割がカトリックを信仰する同国で、学会が正式に認められた事実は、大変に意義深いことです。 この10年で、アラブ首長国連邦(UAE)のドバイ首長国政府から「平和詩人」称号(16年)や、ラオス人民民主共和国の国家勲章「友好記章」(17年)などが先生に贈られています。先生に授与された名誉学術称号は400、名誉市民称号も800を超えました。 13年(同25年)11月、大誓堂落慶の月に開催された本部幹部会で、池田先生はメッセージを寄せてくださいました。 「『広宣流布大誓堂』を中心に、創価という無限の希望のスクラムを、さらに一段と大きく広げながら、私たちの誓願の星である、この地球の未来を赫々と照らしていこう」 海外だけで、創価の陣列は300万人に拡大しています。国家を超えた師弟誓願のスクラムによって、世界広布は大きな飛躍を遂げているのです。 ![]() 池田先生が「創価文化サンパウロ・カーニバル」で熱演の友をたたえる(1993年2月27日、ブラジルSGI自然文化センターで) 師匠の指針を心の真ん中に ◆梁島 会長は本年、米グアム(1月)、韓国(5月)、ブラジル(6月)、マレーシア・シンガポール(8月)を訪問されています。 ◇原田 先生が世界中にまいてくださった平和の種子が、広布の大輪として咲き薫っていることを実感する訪問でした。 グアムを訪れた際、地域広布を担い続けてきた女性の姿に感動しました。1975年(昭和50年)1月26日、SGIが発足した「世界平和会議」に参加した彼女は、先生の指導を聞きます。 小説『新・人間革命』には、こうあります。 「皆さん方は、どうか、自分自身が花を咲かせようという気持ちでなくして、全世界に妙法という平和の種を蒔いて、その尊い一生を終わってください。私もそうします」(第21巻「SGI」の章) その言葉を胸に、グアムの地で、信頼を広げ抜いたのです。 「世界平和会議」で先生は、マレーシアとシンガポールの、広布の大功労者も激励します。 「未来のために、青年を育ててください。二十一世紀は青年に託す以外にありません。青年が育っていったところが、すべてに勝利します」(同) 両国の同志は、その指針を心のど真ん中に刻み、一貫して青年の育成に力を注ぎました。 本年8月、マレーシアとシンガポールに足を運んだ折には、青年の人材群が林立していることに驚きました。両国にとって本年は、先生の初訪問(1988年2月)から35年です。その意義深き年に、人類の未来を照らす「創価インターナショナルスクール・マレーシア(SISM)」が誕生しました。 今回の各国訪問を通じて、師弟の原点を心に刻み、不二の実践を貫いていくことがいかに大事か、それこそが永続的な広布伸展のカギであると、確信しました。 ![]() 1998年5月18日、韓国SGI本部を初訪問し、幾多の試練を勝ち越えた同志を激励した 遠く離れていても皆が“愛する家族” ◆林 ブラジルは本年、第4次訪問(93年2、3月)30周年を迎えました。ブラジル広布には、風雪のドラマが刻まれています。 ◇原田 ブラジルの同志の大きな原点となっているのが74年(同49年)3月です。この月、先生は、60年(同35年)、66年(同41年)に続いて、3回目となるブラジル訪問の予定でした。 ところが、当時のブラジルは軍事政権下。学会に対する誤解があり、入国ビザが発給されませんでした。先生は訪問先のアメリカで、ブラジル理事長に電話します。 「今こそ立ち上がり、これを大発展、大飛躍の因にして、大前進を開始していくことだ」 「長い目で見れば、苦労したところ、呻吟したところは、必ず強くなる。それが仏法の原理だよ」(『新・人間革命』第19巻「凱歌」の章) ブラジルの同志は、変毒為薬を誓います。同国の婦人部は、“ムイト・マイス・ダイモク(もっと題目を)”を合言葉に、共戦の大闘争を開始しました。 83年(同58年)7月、青年部を中心としたブラジルの代表38人が来日。“私たちから先生のもとへ”と、先生が滞在する鹿児島・霧島にやって来たのです。先生は、「熱原の三烈士」等をピアノで演奏し、励まします。 「私は、いつも、いつも、ブラジルの皆さんのことを思っています。どんなに遠く離れていても、皆さんは愛する家族であり、兄弟です」(『新・人間革命』第11巻「暁光」の章) さらに、一行を「ブラジル霧島会」と命名し、互いに励まし合い、前進していくことを提案されたのです。 風雪を乗り越え、同志の念願がかなったのは、翌84年(同59年)2月でした。先生は、18年ぶり3度目の訪問の足跡を刻まれたのです。現在、国家勲章のほか、サンパウロ市、リオデジャネイロ市など150以上の州・市から名誉州民・市民証が授与されています。社会に浸透する理解の輪は、ブラジルの友の“勝利の証し”にほかなりません。 ◆西方 韓国SGI本部初訪問(98年5月)25周年の韓国も、社会にあった偏見を理解へと変えていきました。 ◇原田 64年(同39年)1月、学会代表の韓国訪問が中止となります。日本による侵略の歴史から、学会への根強い偏見があったからです。しかし、無理解の嵐の中にあって、韓国の同志は揺るぎませんでした。 86年(同61年)8月18日、長野研修道場で、韓国の青年部の代表が、先生の前で「今日も元気で」「アリラン」を披露。先生は、「強くなりなさい。仏法者は強くなくてはならない」と厳愛の指導をされます。この日は、後に「韓国男子部の日」と定められ、師弟の魂を刻む原点の日となりました。 そして4年後の90年(平成2年)9月、先生は韓国を初訪問され、98年(同10年)5月には韓国SGI本部を訪れます。 25年たった本年5月、先生に対し、名門・韓国外国語大学から名誉哲学博士号が贈られ、首都ソウルに隣接する城南市から、先生・奥さまへの「名誉市民」称号が授与されました。 ブラジル、韓国の同志がつづったドラマは、苦難に負けずに師匠を求め抜いていった時、勝利の実証が輝くことを教えてくれています。いよいよ、本格的な世界広布の時代です。世界の同志と、学会創立100周年の新章節を開いていきましょう。 |