第12回 大阪の戦い㊥ 23年01月06日 |
〈出席者〉池田主任副会長、梁島男子部長、林池田華陽会委員長、田島学生部長、先﨑女子学生部長 社会のため、民衆のために ![]() 大阪城の偉容を池田先生がカメラに収めた(2000年12月)。1956年2月、「大阪の戦い」の指揮を執っていた先生は、大勝利への決意を「関西に 今築きゆく 錦州城 永遠に崩れぬ 魔軍抑えて」との歌に託し、戸田先生に贈った。大阪城の別名である「錦城」と、中国の難攻不落の都城「錦州城」をかけ、関西に鉄壁の民衆城を築かんとの誓いが込められていた ◆先﨑 1956年(昭和31年)4月8日、大阪球場(当時)で、「大阪・堺二支部連合総会」が開催されます。大雨にもかかわらず、およそ2万人のメンバーが集結し、関西躍進のきっかけとなりました。 ◇池田 小説『人間革命』第10巻「跳躍」の章に、「雨の総会は、関西の全会員にとって、一つの成就であった」とつづられています。 前月の3月、大阪支部は5005世帯という、かつてない弘教を実らせます。さらに、4月に入ると、総会までのわずか1週間で、4000世帯を超す弘教を達成します。圧倒的な広布拡大の上げ潮の中で、戸田先生を関西の地に迎えたのです。 この拡大の勢いを生んだのが、山本伸一を中心とする、関西の異体同心の団結でした。足し算ではなく、掛け算のように増加していく――それが、団結の力です。だからこそ、池田先生は、団結の重要性を繰り返し強調されてきたのです。 総会の席上、戸田先生は「創価学会を大きくしたいとか、あるいは、学会をどうこうするといったような、小さな精神の私ではありません」と語ります。そして、学会活動は広宣流布という民衆救済のためであると述べ、こう訴えます。 「創価学会の確信と行動において、皆さんは、よくこの根本のところを理解し、立正安国のため、社会のため、民衆のための行動であることを知っていただきたい」 恩師が総会の参加者に強調した一つが、「何のための活動か」ということでした。この「何のため」ということは、折々に確認していくことが、活動を推進する上で大切です。 ◆田島 大驀進を続ける関西でしたが、派遣幹部と地元幹部の間で軋轢が生じ、互いに批判するようになります。 ◇池田 魔の本質とは何か。「分断」です。「結合は善」「分断は悪」です。魔は師匠と同志、同志と同志の絆を引き裂く事象として現れます。 伸一は「十字御書」の「わざわいは口より出でて身をやぶる。さいわいは心よりいでて我をかざる」(新2037・全1492)を引用して諭します。 「団結が破れるのも、口から出るんです。味方のなかに起きる批判・中傷は、ことごとく魔の仕業です」 さらに、「異体同心事」の一節を拝し、「勝つも負けるも、畢竟するところ、私たちの一念が、固い団結で結ばれているかどうかに、かかっている」と訴えます。伸一の師子吼によって、幹部同士が再び団結するようになります。「真剣の一人」がいれば、魔は正体を暴かれ、退散していきます。 伸一は4月末から5月にかけての1週間で、大阪と東京を2往復します。夜行列車の移動では、車中で原稿を書き、同志への激励の一文もしたためます。 『新・人間革命』第23巻「勇気」の章に、「率先垂範のリーダーは、自らの行動を通して人に触発を与え、人びとの“やる気”を引き出し、皆の自主性、自発性を呼び覚ましていく。ゆえに、その組織は、明るく、歓喜にあふれ、上昇気流に乗るように、勝利への流れがつくられていくのだ」とあります。 伸一の率先垂範の姿は、関西に団結を築き、歓喜を生みました。当時、池田先生と共に広布に駆けた方々が、「あの時は、どうしてあんなに楽しかったのだろう。生活も苦しかったし、信心もよくわからなかったのに、あの歓喜は、今もって忘れることはできない」と回想していることが、その証しです。 ![]() 関西の同志を励ます山本伸一(小説『新・人間革命』第23巻「敢闘」の章から、 “大悪を大善にしてみせる!”との気迫 ◆林 5月に入ると、障魔の嵐はさらに激しさを増します。一部のマスコミが、創価学会を「暴力宗教」と報じます。 ◇池田 56年5月15日、6人の学会員が暴力事件の容疑で、不当に逮捕されます。すでに解決済みの個々別々の出来事を蒸し返し、組織的な暴力があったかのように見せる警察の思惑でした。その日の夕刊には、大阪の新聞という新聞がそろって、学会が「暴力宗教」であるかのように報じました。 同日の夜、戸田先生は大阪市中央公会堂での御書講義に臨みます。席上、「瑞相御書」を通して、「私どもは、末代に生きております。悪人も、釈尊在世中とは比較にならないほど多い。質も悪い。したがって、その瑞相も、比較にならないほど大きなものが現れるというんです。しかも、それは大悪として現れる」と語ります。 さらに、恩師は「いつ、どこで、私たちが暴力を振るって信仰を強制したというのか。暴力で信心するような人が、今時、一人でもいたら、私はお目にかかりたい」と述べます。 この言葉に象徴されるように、学会に対するデマは常に、「いつ」「どこで」「誰が」ということが不明確です。 戸田先生は講義の最後、「御書に照らして申すならば、このたびの事件は、関西勝利の瑞相だと、私は確信するものであります」と宣言します。 「難」を「勝利」の瑞相と捉える――それは、楽観的な未来予想ではありません。“この大悪を大善にしてみせる”との烈々たる気迫であり、決意です。 伸一は事件の善後策を講じるために奔走。17日、「電光石火」と大書します。 この日に行われた早朝の御書講義では、彼は関西の同志の動揺を吹き払い、自身の真情を力強く語ります。 「正しい仏法が、正しい信仰が、最後に必ず勝たないわけがない。世間や新聞が、なんと中傷しようと、それに紛動されては、せっかく信心してきた多くの会員が、幸せになれるものを、むざむざ捨てることになります。そうなっては、一月から今月まで、一生懸命にやってきた何万という大阪の学会員が、かわいそうです」 広布の戦いは、さまざまな形で魔が蠢動します。そんなものに信心を破られてはなりません。互いに励まし合いながら、前進していきたいと思います。 ![]() 1956年5月、吹き荒れる障魔の嵐の中、関西本部で「勇戦」と大書する池田先生 ◆梁島 男子部は今、「我、新時代の山本伸一なり!」とのスローガンを胸に、“電光石火”の言論戦に挑戦しています。 ◇池田 頼もしい限りです。『人間革命』第10巻「険路」の章に、「真実は、叫ばなければわからない。力の限り訴え抜いていくなかにこそ、『正義』が『正義』として輝く」とある通り、青年が先頭に立って、正義を叫び抜いてもらいたい。 6人の学会員の逮捕から3日後、戸田先生は記者会見を開きます。そこで、警察の捜査がいかに不当であるかを語り、記者の質問に一つ一つ答えながら、学会に対する曲解を解くことに努めます。 夜、戸田先生は大阪一円の班長会に出席し、こう語ります。 「こういう、けしからん事件が大阪で起きたのも、現代社会のばかげた一面です。そこには、政治権力の意図がある」 「高潔にして有能な政治家が、今ほど必要な時はない」 「諸君、われわれの力で、ひとつ思い切りやってみようではないですか。絶好のチャンスです。魔の蠢動の息の根を止めるのも、われわれの信心が、一歩も退かなければいいんです」 その先頭に立った伸一は、連日、激励を続けます。回った座談会場が10カ所を超えた日もありました。各地の座談会は、信心の喜びにあふれ、入会希望者も相次ぎます。 関西本部は、各地から報告に来る幹部であふれました。その勢いは、“建物が軍艦のように揺れ動いた”とも伝えられています。 56年5月、大阪支部は1万1111世帯の弘教を成し遂げます。この「不滅の金字塔」は、警察の不当捜査やマスコミの偏見に歪んだ報道など、迫害の中で築かれたのです。 競い起こった障魔を、関西の同志は信心と団結の力で、勢いに変えていきました。いかなる時も、信心の歓喜と確信は、難を乗り越える原動力です。 |