第1回 池田先生の入信75周年〈上〉 22年08月25日 |
〈出席者〉原田会長、田島学生部長、先﨑女子学生部長、山下未来部長、山口女子未来部長 学会が「地涌の義」を現実に ◆田島 本連載は、私たち青年・未来部が池田先生の行動と広布史を通して、創価の魂を心に刻む座談会です。開始に当たって、池田先生の足跡を学ぶ上で大切な点を教えてください。 ◇原田 「眼光紙背に徹する」(書いてあることの言外の意味まで読み取る)という慣用句があります。 池田先生は後世のために、学会の崇高な歴史と戸田先生の偉大なご生涯、さらにはご自身の足跡について、小説『人間革命』『新・人間革命』に記されています。大切なことは、書かれた背景や、小説に込められた思いに肉薄していくことです。 池田先生は、世界の数多くの大学・学術機関から名誉学術称号を授与されています。また、世界の各都市からも名誉市民称号が贈られています。 私たちの師匠は、「世界一」です。だからこそ、“先生と自分は違う”と自身の心に“壁”をつくるのではなく、“師の闘争の万分の一でも実践できる自分に成長しよう”と挑戦を重ねていくことです。 ![]() ペンを走らせる池田先生(1999年3月、都内で)。「苦労して、苦労して、苦労し抜いて、ほとばしる情熱で、炎のように燃え上がる生命でつづった文は、人びとの心を打つ」――小説『人間革命』『新・人間革命』をはじめとして、先生は執筆を通じて、友に“勇気”と“励まし”を送ってきた ◆先﨑 24日は、池田先生が入信されて、75周年の佳節です。 ◇原田 1947年(昭和22年)8月14日、19歳の池田先生は、東京・大田区の蒲田で行われた座談会で戸田先生と出会われます。 池田先生が戸田先生に師事することを決定づけたのは、戦時中、恩師が先師・牧口先生と共に、軍部政府の弾圧によって投獄された事実を知ったことでした。「“この方なら信じられる!”と直感し、私は、師弟の道を歩み始めることができた」と深い尊敬と信頼を寄せます。 座談会で、池田先生は「旅びとよ/いずこより来り」で始まる即興詩を詠まれました。このエピソードを、私が初めて知ったのは、『人間革命』第2巻「地涌」の章を目にした時です。 連載当時、聖教新聞社の記者として、『人間革命』の編集を担当しており、先生の原稿をお預かりしていました。即興詩の場面の原稿を読んだ時、戸田先生と池田先生の宿縁深厚なる師弟の出会いに、深い感動を覚えました。 192カ国・地域に広がる世界広布の源流は、この戸田先生と池田先生の師弟の出会いにあります。 ![]() 池田先生がカメラに収めた戸田先生の写真(1957年11月12日、静岡で) 最高に栄光ある青春の生きゆく道 ◆山下 池田先生は、「人間だけが師弟をもつことができる。師弟の道によって自分を高めていける。ここに人間の究極がある」と述べられています。先生は繰り返し、「師弟」の重要性を強調されてきました。 ◇原田 1948年(昭和23年)9月、戸田先生の法華経講義の第7期受講生となった池田先生は、日記につづっています。入信から約1年後のことです。 「若人よ、大慈悲を抱きて進め。若人よ、大哲理を抱きて戦え。吾れ、弱冠二十にして、最高に栄光ある青春の生きゆく道を知る」 その年の大晦日には、「師と共に大白法を持し、勇敢にいどむのみ。永劫の平和のため、大聖人の至上命令により、宗教革命に、この生命を捧げるのみ」と書かれています。 先生は、入信間もない頃から、戸田先生を師匠と定め、広布への“不惜身命の誓い”を心に定めていたのです。 創価の師弟の関係は、「師匠が弟子を決める」のではありません。「弟子が師匠を決める」のです。ゆえに、弟子の戦いとは、心に師を抱き、自らが師に誓い、実証を示すことです。 「諸法実相抄」には、「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱えしが、二人・三人・百人と次第に唱えつたうるなり。未来もまたしかるべし。これ、あに地涌の義にあらずや」(新1791・全1360)とあります。日蓮大聖人の「地涌の義」を現実に開いてきた学会の民衆史の根幹は、“師弟の絆”にあることを忘れてはなりません。 ◆山口 原田会長の「師弟の原点」について教えてください。 ◇原田 池田先生との初めての出会いは、大学2年生の時でした。61年(同36年)9月14日のことです。当時の学会本部でお会いする機会があり、私たち学生にこう語られました。 「古今東西の偉大な文学者にしても、哲学者にしても、その根底には、偉大な宗教があった」「君たちには、日蓮大聖人の大仏法哲学がある。しっかりと研さんし、立派に成長していきなさい」と。 さらに、私自身の生涯の原点となっているのが、翌62年(同37年)8月31日からスタートした先生の「御義口伝」講義です。 1回目の講義だったと記憶しています。「『経』とは一切衆生の言語音声を経と云うなり」(新984・全708)との一節を通して、「経というのは仏典だけではなく、宇宙の全ての言語、音声が経であり、さらに広げていえば、動作、行動も経となる」と述べられ、恩師との思い出を語られました。 ――池田先生が戸田先生と都内を歩いていた時、有名な歌手の公演があり、人だかりができていた。その様子を見ながら、戸田先生は「歌い手が歌うのも、その人にとっての『経』だ。その『経』で、これだけの人を集めることができるのは、すごいことではないか」と。 池田先生は、難解な「御義口伝」の内容を、私たちの生活に当てはめ、分かりやすく教えてくださいました。「御義口伝」講義を通しての青春時代の薫陶が、私の最大の誇りです。 ![]() 原田会長と語り合う、田島学生部長、先﨑女子学生部長、山下未来部長、山口女子未来部長(19日、学会本部別館で) 「身口意の三業で読む」 ◆田島 今月31日は、池田先生の「御義口伝」講義開始から60周年の佳節であり、同講義を淵源とした「学生部の日」でもあります。本年、学生部は「御義口伝」を年間拝読御書として行学錬磨を重ねてきました。8月28日には、伝統の教学実力試験を各地で開催します。 ◇原田 11月には教学部任用試験が行われます。“先駆の学生部”から、日蓮仏法の研さんの息吹を、さらに広げていっていただきたい。 「御義口伝」講義の折、池田先生は御書を学ぶ姿勢を、3点にわたって示されました。 一点目は、「御書は朗々と、力強く、暗記するぐらい拝読していく」こと。 二点目は、「御書は経文であるから、一語一語、『その通りである』と自覚しながら読んでいく」こと。 三点目が、「身口意の三業で読む」こと。御書をわが身で具体的に実践し、「身読」していくことが、何より重要です。 ![]() 昨年開催された宮城での「学生部教学実力試験」(2021年8月29日、東北文化会館で) ◆先﨑 24日は、「聖教新聞創刊原点の日」です。 ◇原田 戸田先生の事業が最大の苦境に立たされていた50年(同25年)8月24日、戸田先生と池田先生は機関紙創刊の構想を語り合いました。 この夏、池田先生の体重は13貫(約49キロ)を切ったそうです。恩師の最も苦しい時期にあって、池田先生は戸田先生を支え抜かれたのです。 翌51年(同26年)2月、戸田先生は池田先生に、「いよいよ新聞を出そう」と語ります。 同年3月17日、新聞の企画会が行われ、戸田先生は「この新聞をもって、広宣流布の火蓋を切っていくのだ」「あらゆる意味で、言論戦の雄とならねばならぬ」と訴えました。 この日の日記に、池田先生は「日本一、世界一の大新聞に発展せしむる事を心に期す」と記されています。 この誓いのまま、51年4月20日に産声を上げた聖教新聞は、大発展を遂げました。現在、日本において、宗教団体が全国で発刊している日刊紙は、聖教新聞だけです。戸田先生の「聖教新聞を日本中、世界中の人に読ませたい」との悲願は、今、現実のものとなっています。 池田先生は、恩師の構想をことごとく実現されました。「8・24」は、私たちが新たな戦いを開始する日です。一人一人が清新な決意で、出発してまいりましょう。 ![]() 1957年3月17日に行われた新聞の企画会(小説『新・人間革命』第14巻「大河」の章から) |