池田先生とイタリア・ミラノ② 20-09-30


2年ぶりにミラノを訪れた池田先生ご夫妻。ミラノ中央駅で友を温かく励ます(1994年6月)

池田先生は、相手が学会員であろうとなかろうと、出会った一人一人を心から大切にしてきた。その励ましの足跡は、ミラノにも厳然と留められている。

2度目の訪問となった1981年6月。次の目的地であるフランスにたつ日には、こんな場面があった。

先生を乗せた車がミラノの空港に到着した直後のこと。車から降りた先生が向かったのは、先導のバイクにまたがっていた2人の警護官のところだった。握手をし、滞在中の護衛に対する御礼を述べたのである。

任務を終えた2人は送迎デッキへ。先生が搭乗した飛行機を最後まで見送った。

警護官の1人は語っている。
「長年、国内外の著名人を護衛してきましたが、私たちにまで、ねぎらいの言葉を掛けてくれたのは、イタリア国民が敬愛してやまないペルティーニ大統領と、池田SGI会長の2人だけです」

ミラノのセンピオーネ公園内に立つ「平和の門」。人生の勝利の凱旋門を共に――1992年7月、この門の前で池田先生とイタリアの友が記念撮影した

また、11年ぶり3度目の訪問となった92年には、日本への帰国を前に、イタリアでの諸行事を支えた運営役員を激励。空港に移動する途中、センピオーネ公園で待っていた数百人の輪に飛び入り、記念のカメラに納まった(7月4日)。

「どうかお幸せに! 健康で、朗らかで、明るい人生を!」
「本当にお世話になりました。ありがとう。グラッチェ!」

そして「また、お会いしましょう!」と再会を約し、公園を後にした。

“今日という日は、二度と来ない。今日、何人の人を励ませるのか”――これが、変わらぬ先生の心である。
戦う丈夫たれ
記念撮影に参加したユウジ・マツナガさん(州副壮年部長)。

この前日、池田先生から贈られた「イタリアで 共に戦う 丈夫の 君の未来を 祝し見つめむ」との和歌を人生の指針に掲げる。

ユウジ・マツナガさん

静岡県生まれ。学生運動に疲れ果て、留学したローマで仏法に出あう。
1976年に入会。先生の小説『人間革命』に理想を見いだし、まだ広布草創期だったイタリアで信心の一歩を踏み出した。

翌年に帰国し、本陣・新宿の男子部として活動。81年の元日、学会本部担当の創価班として先生と共に勤行したことが、師弟の原点となった。

先生が14年ぶりにイタリアを訪問したこの年、マツナガさんは仕事で行き詰まり、食事にも事欠くほどの経済苦に陥る。

だが、先輩からの厳しくも温かな激励に奮起。題目根本に苦境を乗り越え、翌年から2年間、翻訳・通訳業務でイタリアに渡ることに。

師弟の絆を結んだ若き同志と一緒に、広布開拓に駆けた。

ミラノの中心にあるドゥオーモ

駐在を終え、改めてイタリア広布に生涯をささげる誓いを立てたマツナガさん。
真剣な唱題の末、92年に労働ビザを取得できる仕事が見つかる。

同年、移住した現地で先生を迎えることができた。

その後、ミラノの会館職員の話が。
“自分らしく真っすぐに進むんだよ”――先生から掛けられた言葉を命に刻み、学会指導の翻訳業務などに携わってきた。

昨年末に定年退職するまで、会員奉仕の使命に走り抜いた歳月は、宝の歴史と光る。

「これからも『去って去らず』の精神で、新たな地涌の陣列を広げていきます」。戦う丈夫の情熱は消えない。

「根」を育てよ
1994年6月2日の午後4時。
学都ボローニャを列車で出発した池田先生が、ミラノ中央駅に到着した。
92年に続く4度目のミラノ訪問。
3日後に第12回「世界青年平和文化祭」を控え、メンバーは最終の準備に余念がなかった。

翌3日、先生はルネサンスの歴史を伝えるミラノのスフォルツァ城を視察。レオナルド・ダビンチの天井画と壁画を見た。

部屋一面に描かれた桑の大樹。先生が注目したのは、樹木の「根」の部分まで克明に描写されている点だった。

ルネサンスの巨人の心眼に感銘を受けた先生は、翌日のSGIヨーロッパ・アジア交流会議で述べている。

ミラノ・スカラ座の前の広場に立つ、レオナルド・ダビンチ像

「『根』は見えない。しかし全体を支えている。
人間にも『根』がある。組織・団体にも『根』がある。
社会にも、文明にも、宗教にも『根』がある。
『根』が深ければ、『枝』は茂る。天に向かって、大きく伸びていける。
多くの人々は、目に見える部分にしか注目しない。
しかし、私どもは、何ごとも、どこに『根』があるかに着目し、よき『根』を養い、育てることに全力を尽くさねばならない」

見えない「根」や「土台」を大事にする。それが、大きな発展の力となる。

前回の訪問から2年――。
イタリアそしてミラノでは、信心の根を張った青年たちが着実に成長していた。
翼を広げて
6月5日。世界青年平和文化祭当日のミラノは青空に包まれ、市内からはアルプスの峰を望むことができた。

文化祭のテーマは「翼」。
「ああ 若き 若き翼よ 君たちの その双肩に不滅の未来が実在する」――かつて池田先生がイタリアの友に贈った長編詩「新たなるルネサンスの鐘」の一節から着想を得たものだ。

内なる可能性の翼を広げ、希望の明日へ羽ばたこう! 青年たちの熱き誓願が込められた祭典は「一人の人間革命」のドラマを、映像、ダンス、音楽の融合で表現する圧巻のステージとなった。

各界の来賓らと共に出席した先生は、最後に壇上へ。
三百数十人の出演者・スタッフの感動は最高潮に達し、総立ちとなった観衆の大歓呼が、会場のリリコ劇場に鳴り響いた。

ミラノで開催された第12回「世界青年平和文化祭」。ステージに上がった池田先生は、自ら楽器をたたき、熱演をたたえた(94年6月)

「私は先生がスティックを手に取り、軽快にドラムをたたく姿が印象に残っています」
こう振り返るのは、役員を務めたアレッサンドロ・グラツィアーノさん(地区部長)。

1988年に入会し、労働コンサルタントになるという夢をかなえた彼にとって、文化祭は師匠に感謝を示すための機会にほかならなかった。

「先生が妙法の種をまいてくださったおかげで、人生を開くことができた――その報恩の思いを胸に、文化祭に臨みました」

グラツィアーノさんは使命の舞台で実証を打ち立て、現在はミラノの労働コンサルタント協会の会長に。
約1000人のトップとして、業界の発展に尽くす。その活躍がテレビで紹介されたことも。

「私が学会員であることは、皆が知っています。先生の弟子としての誇りがあるからこそ、頑張ることができるのです」

これまで命に及ぶ大病などの苦難に襲われたが、不屈の祈りで一切を乗り越えてきた。

信心に反対していた親族も学会に理解を示し、御本尊を受持したいとこは今、グループ長として活動に励む。

アレッサンドロ・グラツィアーノさん㊨、ジョアンナ・マックモッローさん夫妻

グラツィアーノさんの妻、ジョアンナ・マックモッローさん(地区婦人部長)も、文化祭を原点とする一人だ。

イギリスの出身。ダンス仲間から折伏を受け、88年に入会した。

経済的な問題を抱えていたが、奨学金を得ながら、ロンドンにある著名なダンスの専門学校で学べたことが信心の確信になった。

7カ国の友が出演した文化祭に、イギリスSGIの一員として参加。
練習中に負った足のけがに耐え、先生の前で元気にダンスを披露することができた。

文化祭の翌日、先生はミラノからロンドンへ。

イギリスに帰国した彼女は、再び師匠との出会いを結ぶ。
「タプロー・コート総合文化センターで再会できた時の喜びは、言葉にできないほどでした」

後に縁あってグラツィアーノさんと結婚。コロナ禍の中、夫婦二人三脚で地域の友に励ましを送る日々だ。
陰の人ありて
池田先生は94年の滞在中も、陰の人への心配りを忘れなかった。

マルタ・クリッパさん(婦人部本部長)は、諸行事を運営する白蓮グループの一員として、ミラノ会館の任務に当たっていた。

マルタ・クリッパさん

文化祭当日も会館に残り、大成功と無事故を祈り抜いた。
「たとえ直接お会いできなくても、心でつながっている――これまで以上に師弟の絆を感じることができました」

先生は、会館に着任していた役員の奮闘を聞き、ロンドンへの出発を前に、宿舎でクリッパさんらを激励。

師匠が注ぐ慈愛のまなざしに胸を熱くした彼女は、広布に生きる決意を一段と深くした。

建築の分野で働きながら、ミラノ会館の管理等を担当するスタッフに志願。
仕事を失う試練に直面した時もあったが、一歩も引かずに唱題と活動に挑み、新たに建物管理の職に就くことができた。
それは、学会で培った経験をフルに生かせる仕事だった。

5年前から会館職員として勤務。婦人部では、ミラノ近郊の街ベルガモで同志のために奔走する。

「信心に無駄は一つもありません。何があっても揺るがず、後継の青年の育成に全力を尽くしていきたい」

その目は、未来を見据えている。

上空から撮影した「ミラノ池田平和文化会館」。国の文化財保護指定建造物を改築・修復した施設があり、事務室や会議室、礼拝室等が備えられている

忘れ得ぬ94年の訪問から20星霜――。

2014年1月、和楽の前進を続けてきたミラノに、待望の新宝城が開館した。

レオナルド・ダビンチが設計した運河に面して立つ「ミラノ池田平和文化会館」である。

中世の歴史的建造物を修復した建物と、現代建築の大講堂が並ぶ同会館には、ノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌス博士やICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)の代表、ヨーロッパ科学芸術アカデミーのフェリックス・ウンガー会長ら識者も訪れている。

今月27日には、イタリアの全国紙「コリエレ・デッラ・セーラ」が、同会館の概要を写真付きで紹介した。

黄金に輝く大講堂。ミラノ池田平和文化会館は欧州SGIの諸行事でも使用されている
この日は、同国の若き友もオンラインで参加した「世界青年部総会」の当日である。

青年たちの“永遠の師弟旅”の出発を寿ぐかのように、イタリア時間の夕刻、ミラノの上空には、鮮やかな二重の虹が懸かった。