池田先生とパラグアイ19-12-21


アンドレス・ロドリゲス大統領と会見する池田先生(1993年2月22日、大統領府で)

激務の4日間
池田先生がパラグアイに滞在した1993年2月20日から23日までの4日間、数多くの行事が行われた。

アンドレス・ロドリゲス大統領との会見や、「国家功労大十字勲章」の授章式、国立アスンシオン大学の名誉博士号授与式、アスンシオン市の名誉市民称号授与式……。

当時のパラグアイSGI理事長、カオル・クリタさん(名誉理事長)は振り返る。

「これだけの過密な行程の真っただ中にもかかわらず、先生は会う友、会う友を包み込むように激励されました。そのお姿は、今も脳裏から離れません」

また、郵政局では、先生の滞在期間中、全ての郵便物に「SGI」の消印を押すことを決定していた。

その決議文には「SGIは、世界平和の実現、民衆の相互理解の深化、文化の尊重を根本的な目的として活動し、国連のNGOでもあり、価値を創造するための団体である」と。

池田先生のパラグアイ滞在期間中、全ての郵便物に「SGI」の消印が押された

さらに「SGI会長の訪問は、国家諸機関及び関係団体が敬意と共鳴を表すべきもの」と謳われている。

これらは、まさに、パラグアイSGIの長年にわたる地道な社会貢献活動の“結晶”であった。

美しい創価家族
パラグアイの多くの同志が“原点”として心に刻むのは、パラグアイ文化会館で開催された第1回パラグアイSGI総会である。

池田先生が会場に入るや、「バエイシャパ」(グアラニー語で、ごきげんいかがですか)と呼び掛けると、皆の喜びは爆発した。

さらに、先生は「わが愛するパラグアイの家族にお会いするために、私は初めて貴国を訪れました。お会いできて本当にうれしい」と。

歓声は、しばらく鳴りやまなかった。

席上、先生はパラグアイSGIに、指針を贈っている。

「皆さま方は、この美しき地にあって、偉大なる地涌の菩薩として、妙法流布の尊き汗を流してこられた。その健闘を私は心からたたえたい。パラグアイの皆さまは、本当に人柄の良い方々である」

「どうか、この世界で最も美しい創価家族のスクラムを大切に守りぬいていただきたい」

ヒロシ・カタオカさん(理事長)は当時、男子部の部長だった。

ヒロシ・カタオカさん

1980年、大学在学中に入会。東京・練馬の地で信心の基本を学んだ。

「本当の家族のように、温かな地区でした。今でも理想としている組織です」

その後、仕事で渡ったパラグアイでも学会活動に奔走した。

ただ心のどこかで“いずれは日本に戻るだろう”という思いがあった。

「パラグアイに先生をお迎えしてからは、この地を使命の場所と決め、広布に生きる覚悟を決めました」

同国の男子部長、書記長などを歴任し、2013年、理事長に就任。以来、貿易関連会社の管理職を務めながら、パラグアイ広布の伸展のために、日夜、尽力している。

「先生から託された“世界で最も美しいパラグアイ創価家族”の建設が目標です。どこまでも仲良く、皆が主役のスクラムを築いていきます」

一人立つ信心
また、池田先生は総会の席上、「諸天は、勇気ある人を守る!」と訴え、一人立つ信心の大切さを語った。

「人数ではありません。一人、真剣に立ち上がれば、自分に縁するすべての人びとを、また、環境も栄えさせていくことができる。そのために、真剣に祈り、行動している事実が大事なんです」

マナミ・ナガサワさん(婦人部長)も、この時、初めて先生との出会いを刻んだ。

マナミ・ナガサワさん

「当時は、若手の婦人部員でしたので、先輩方に付いて回って、無我夢中で、諸行事の準備に当たりました」

池田先生は、この総会の模様を、小説『新・人間革命』第30巻<下>「誓願」の章で詳細につづった。

ナガサワさんは、この章を学ぶ中で、自身の原点を再確認した。

この間、度重なる困難に直面してきた。

家族で営むスーパーマーケットの経営危機、借金の肩代わり、最愛の父の病……。

それでも学会活動から一歩も引かず、“この信心で必ず打開する”と決めて、祈ってきた。

毎年のように、弘教を実らせ、個人折伏は15世帯に。その中で、これらの課題を全て解決してきた。

ナガサワさんは「諸天は、勇気ある人を守る!」との指針のままに、人生を勝ち開いてきたのである。

「信心で乗り越えられないことはない。この確信を、後継の世代に伝えていきます」

原点を忘れない

パラグアイ文化会館に到着した池田先生は真っ先に子どもたちのもとへ。手品を披露しながら、励ましを送った(1993年2月21日)

パラグアイ文化会館に到着した池田先生が真っ先に向かったのは子どもたちのもとだった。

先生が手品を披露すると、皆、大喜び。

当時、7歳だったチエコ・ウチヤマダさん(支部副婦人部長)は感慨を込めて語る。

チエコ・ウチヤマダさん

「先生は、幼い私たちにとって、生涯、忘れない“原点”になるよう、手品まで披露してくださったのだと思います」

ウチヤマダさんは、2009年から13年まで同国の女子部長として、友の励ましに徹してきた。

現在は、子育てをしながら、家族で老舗ホテルを切り盛りしている。

多忙な日々の中で、ヤング婦人部のリーダーとしても挑戦を重ねる日々だ。

さらに先生は、子どもたちに呼び掛けた。

「みんなに会えてうれしいよ。大きくなったら日本へもいらっしゃい。待っています」

この時、出会いを刻んだメンバーの多くが先生との“約束”を果たし、日本での研修会に参加。そして今、同国の青年部長、男子部長、女子部長をはじめ広布のリーダーとして指揮を執っている。

サムエル・メディナさん

「パラグアイでの出会いを生命に刻んでいます。先生のお心を伝えていくことが私たちの使命だと思います。先生のご期待に応えるために、広布の舞台でも、社会でも実証を示していく決意です」と語るのは、サムエル・メディナさん(青年部長)。

獣医師として働きながら、友の激励に奔走する。

ラリサ・カルドソさん(副青年部長)は言う。

「多感な時期に両親の離婚などが重なって、悩みの連続でしたが、“日本で待っているよ”との先生の言葉を抱き締めて、懸命に生きてきました」

ラリサ・カルドソさん

カルドソさんは15年9月、同国の女子部長としてSGI青年研修会に参加。

その際、東京・信濃町の総本部で池田先生との出会いを刻んだ。

「先生に新たな誓いを立てました。自らが主体者として、生涯、パラグアイ広布の発展のために生き抜くことです」

現在、パラグアイSGIの職員として、人材育成に全力を注ぐ。

マヌエル・セスペデスさん(男子部長)は決意する。

マヌエル・セスペデスさん

「先生はパラグアイの要人、識者と縦横に語り合い、広布の礎を築いてくださいました。私たちも先生の行動に続き、社会に打って出て、信頼の輪を広げていきます」

セスペデスさんは、通関業界で活躍しながら、社会人枠で大学にも通い、幅広い外交力を磨いている。

アキコ・ヤマモトさん(女子部長)は、この3年間で6世帯の個人折伏を成就。

アキコ・ヤマモトさん

仕事では、日本・パラグアイの外交関係樹立100周年(本年)記念イベントの日本文化普及部門を担っている。

「日本までの距離は遠いですが、先生を求める心は負けません。女子部らしく、伸び伸びと、創価の温かさを語っていきます」

ユウイチ・ハナノさん(副男子部長)は、国立大学病院で泌尿器科の医師を務める。

「あの日の出会いから“将来は先生のもとへ”と祈り続けてきました。先生のおかげで今の自分があります」

ユウイチ・ハナノさん

06年7月、10年3月の研修会で訪日した際には、先生との再びの出会いが。

「先生は全て分かってくださっている。そう思うと、力が湧き上がります。先生のご指導を学び抜き、広布の人生を歩んでいきます」

一人を励ます。
青年を育てる。
未来をつくる。
先生の行動は一貫して変わらない。

先生は、パラグアイの友に和歌を贈った。

天も地も
川の流れも
仏土かと
地涌の菩薩の
君たち忘れじ

雄大なパラグアイ川のように、池田先生が築いた広布の流れは、未来へと続いていく。