師との出会いから15年 12人の創価の母
誓いに生きる人は美しい

海を越え、地球の反対側から来日したボリビア婦人部の友を心からたたえる池田先生ご夫妻(2004年5月5日、東京・八王子市の創価大学池田記念講堂で)
2004年5月5日、ボリビア最古の名門サン・フランシスコ・ハビエル・デ・チュキサカ大学から、池田先生に東洋人初となる「名誉博士号」が贈られた。
創価大学で挙行された授与式には、師の栄誉を祝福するため、同国SGIの婦人部員12人も参加した。
式典終了後、先生は12人のもとへ。苦難の峰を越え、広布の道なき道を勝ち開いてきた創価の母一人一人を、抱きかかえるようにして励ました。

「よく来られた。本当によく来られましたね。皆さま方の広宣流布の素晴らしき前進は、いつも、うかがっています。偉大です。崇高です。必ず諸天が守ります。大聖人のおほめは、絶対にまちがいありません。私は栄えある皆さまのお名前を永遠に顕彰して差し上げたいのです」
忘れ得ぬ出会いから15年。師弟の誓いを胸に、同国で広布に励む友の声を紹介する。
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トキコ・タケノさん(副総合婦人部長)
2000年に夫を亡くし、失意に沈みました。しかし、同志の皆さんに励まされ、夫の分も広布に生きようと決意。弘教拡大に挑みました。それまでも折伏を実践してきましたが、心の底から“自身の弱さを打ち破ろう”と挑戦したのは、この時が初めてでした。
そして迎えた池田先生との出会い。あの日が原点となり、その後の苦難も一つ一つ乗り越えてくることができました。また、あの励ましを思い起こせば、これからも何があろうと絶対に負けないという勇気がふつふつと湧いてきます。
弘教はこれまで52世帯。先生の平和の心を、ボリビアの人々に伝えていくことが自らの使命と定め、“生涯青春”の気概で広布に尽くしていきます。
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マチコ・エジマさん(婦人部支部幹事)
池田先生との出会いを刻んだあの時、“信心一筋で生き抜こう”と誓いました。
4歳の時、島根県からサンファンに移住。9歳で入会しました。約30年、支部の「書籍係」を。毎月1回、サンタクルスまで出て、新しい機関誌や学会書籍をサンファンのメンバーに届けています。
4人の子のうち、3人は日本にいます。よく子どもたちと話します。「本当に学会員でよかったね」と。御本尊を受持できた喜びを胸に、これからも地域広布に走ります。
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リエ・コンドウさん(支部婦人部長)
2000年に夫の母国ボリビアへ移住し、サンファンへ。言葉も分からない中、会合に参加し、必死に学会活動に励みました。
池田先生との感動の出会いからしばらくして、夫が仕事のストレスから心の病に。“必ず深い意味がある”と決め、かつてない唱題に挑みました。薄紙をはぐように症状は回復し、題目が2千万遍に達した頃、医師からも「治りました。よく頑張りましたね」と太鼓判をもらいました。
ボリビアの国立大学で学ぶ息子も、創価班として後継の道を歩んでいます。この15年、苦難の連続でしたが、今は「全てが功徳だ!」と言い切れる境涯になれました。
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キョウコ・オグラ・デ・ディアスさん(婦人部地区幹事)
忘れもしない2004年5月、念願だった池田先生との出会いがかないました。“生涯、先生についていこう。大勢の人に仏法を広め、幸福の種を蒔いていこう”と決めました。
1974年、母と一緒に入会。夫は最初は信心に反対でしたが、今ではSGIの良き理解者に。母の一途な信心が私の模範です。
今、出会いを結んだ一人一人に仏法を紹介するカードを配りながら対話しています。あの日の誓いを永遠に貫きます。
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ヒロコ・ササキさん(総合婦人部長)
時が止まったような瞬間でした。“よく来たね。分かってるよ”との池田先生の声が今も耳朶に響いています。
この半年前、ボリビアの婦人部長に就任。「先生のもとへ行こう!」と呼び掛け、無我夢中で弘教拡大に挑み抜いて迎えたSGI研修会でした。感謝を胸に、今日まで奔走してきました。
常に自らに問い掛けてきたことが二つあります。一つは、“先生がボリビアにおられたらどうされるだろう”ということ。もう一つは、“どうすればメンバーが喜び勇んで学会活動に励み、功徳を受けられるか”という点です。先生の大恩に報いるため、団結固くボリビア広布に走り抜いていきます。
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ミスズ・ナカジマさん(方面婦人部長)
看護師としてボリビアで国際協力事業に従事していましたが、不条理に人が亡くなっていく状況に憤りを覚えていました。その時に現在の夫から、仏法の生命観を聞き、感動。92年に入会しました。
2004年の出会い以来、“自分が広布のためにできることは何か”と考えて積極的に行動するように。仏法対話のために本格的にスペイン語を覚え、現在は主に通訳として働いています。
新しく出会った人たちとの縁を大切にし、弘教を実らせてくることができました。ラパスの素晴らしい同志と共に、希望の連帯を広げていきます。
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ヒロコ・コンドウさん(地区婦人部長)
貧乏のどん底の中、父が苦労に苦労を重ねて育ててくれました。
結婚後、医師からは“お子さんは望めません”と宣告されましたが、学会活動に励む中で、念願の子宝にも恵まれました。
現在は海外からバイクを輸入し、販売する会社を経営。子どもたちも大学を卒業し、広布の人材に成長しています。
信心のおかげで、人生が180度変わりました。今、本当に幸せです! 池田先生の指導を人生の指標とし、後継の青年たちに伝えていきます。
ジャネ・エルゲロさん(婦人部方面幹事)
私は当時、支部婦人部長でした。シングルマザーとして4人の子を育てながら、仕事に学会活動に駆け回っていました。
“もっと題目を!”を合言葉に、懇談・激励や折伏・弘教に挑み抜き、池田先生のもとに集いました。
“一生涯、大切な同志を守り、広布のために生きよう”――あの時の誓いは今も赤々と燃えています!
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ドローレス・ヤマシロさん(婦人部方面幹事)
池田先生はあの時、私たち全員に、じっと視線を注いでくださいました。私も先生と目が合いました。“この先、何があっても、わが使命を果たしていこう”と決意しました。
昨年、夫が亡くなりましたが、使命を果たし切ったのだと実感します。子どもたちは、婦人部の合唱団、音楽隊、鼓笛隊と、創価の庭で育っています。
創価学会の一員で本当によかった! 先生・奥さま、同志への感謝は尽きません。
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ソノミ・タナカさん(婦人部方面幹事)
私の人生は、10年ごとに大きな節目を刻んできました。
1984年、ペルーで初めて池田先生とお会いしました。その10年後、娘が誕生。そして10年後、日本での先生との出会い。さらに2014年には広宣流布大誓堂を初訪問することができました。
04年の先生との出会いの前、子育てに母の病が重なり、自身も心身のバランスを崩してしまいました。
“もう一度、ゼロから信心に取り組もう”と立ち上がった時、先生との出会いが実現したのです。感動とともに帰国。学会活動に奔走する中で、気付けば体調が回復していました。今では自分のこと以上に、周囲の人々の幸せを心から祈れる境涯へと成長することができました。
昨年、2世帯の弘教が実りました。師の心を身に体し、友に尽くし抜いていきます。
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ロサルバ・バスケスさん(白ゆり長)
当時、私の孫が大病を患い、夫もがんで闘病中でした。研修会でボリビアを離れるかどうか迷いましたが、夫が背中を押してくれ、“一家の宿命転換のために行こう”と腹が決まりました。食費を切り詰め、なんとか旅費を工面できました。
創価大学で、私たちを優しく見つめ、励ましてくださった池田先生。“全部分かってくださっている”と、それまでの苦労が全て報われた思いでした。
孫は寿命を1年以上延ばし、霊山へ。夫は病から立ち直り、一家は経済革命を果たしました。8年前、夫は亡くなりましたが、使命の人生を生き抜いたと思います。
昨年、入会20年を迎えました。これからがスタートです。師匠への感謝を胸に、対話拡大に一段と力を入れていきます。
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ソレダ・アンテサーナさん(婦人部方面幹事)
2004年、私は8カ月の幼子を連れて、スクレの町で学会活動に奔走していました。
同志を励まし、対話を広げながら、時には各界の識者のもとを訪ねて、池田先生の偉大さを訴えていったのです。そうした中で、スクレの名門学府から、先生に栄誉が贈られると聞き、喜びがあふれました。
授与式当日の、先生の温かな振る舞いを忘れることはできません。“これが人間主義のリーダーの姿だ”と命に刻みました。
現在、薬品輸入販売の会社を経営しています。今再び、師弟共戦の心で広布にまい進していきます。同志と共に! 先生と共に!
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