第7巻 名場面編 2019年04月10日

誓いは果たしてこそ誓い

〈1962年(昭和37年)11月、学会は三百万世帯を達成。その報告を受けた山本伸一は、仏間に向かった〉

唱題の声が、朗々と響いた。彼は、御本尊に向かい、師の顔を思い浮かべながら、心で語りかけた。
「先生! 伸一は、先生にお約束申し上げました三百万世帯を、遂に、遂に達成いたしました。先生にお育ていただいた弟子一同が、力を合わせて成し遂げた、団結の証でございます……」
思えば、戸田が三百万世帯の達成を伸一に託したのは、逝去の約二カ月前にあたる、一九五八年(昭和三十三年)の二月十日のことである。それは、戸田の五十八歳の誕生日の前日であった。
この日の朝、関西の指導から夜行列車で東京に戻った伸一は、その足で戸田の自宅を訪ねた。(中略)
学会は、前年の十二月には、戸田の生涯の願業であった七十五万世帯を達成していた。戸田は、伸一の顔を、まじまじと見つめて、言葉をついだ。
「急がねばならんのだよ。伸一、あと七年で、三百万世帯までやれるか?」
それは、戸田が熟慮の末に練り上げた、壮大な広布の展望であった。しかし、それを成すのは自分自身ではないことを、戸田は悟っていた。(中略)
この時、伸一は、きっぱりと答えた。
「はい、成就いたします。ますます勇気がわきます。私は先生の弟子です。先生のご構想は、必ず実現してまいります。ご安心ください」
戸田は「そうか」と笑みを浮かべた――。
戸田の思いは、そのまま伸一の誓いとなった。師から弟子へ、広宣流布の大願は受け継がれたのである。
伸一は、この時の戸田の言葉を、片時も忘れることはなかった。そして今、一身をなげうっての激闘の末に、その誓いを成就したのである。
誓いは果たしてこそ誓いである。現実に勝利を打ち立ててこそ弟子である。
三百万世帯の達成は、決して、単に、時流がもたらしたものではない。山本伸一という、戸田城聖の真正の弟子の、必死の一念、必死の行動が、波紋となって広がり、広宣流布の渦潮をつくりあげていったのだ。(「文化の華」の章、86~88ページ)

宇宙をも包む大境涯に

〈1963年(昭和38年)1月、伸一はハワイで、アメリカ総支部の副婦人部長で北米女子部の部長・春山栄美子らと懇談する〉

春山栄美子は、山本会長と会った時には、これも報告しよう、あれも相談しようと思っていたが、実際に伸一を前にすると、何も言葉にならなかった。
それを察してか、伸一の方から彼女に語りかけた。
「春山さん、アメリカはどうだい」
しかし、彼女は、何を言えばよいのかわからなかった。次の瞬間、こんな言葉が口をついて出ていた。
「先生、アメリカは広いんです……」
それは、動いても動いても、目に見える結果を出すことができないでいた栄美子の実感でもあった。
伸一は、微笑を浮かべながら言った。
「そんなことは、わかっているよ。でも、私から見れば、アメリカといっても、庭先のようなものだ。大事なことは、自分の境涯の革命だよ。
地表から見ている時には、限りなく高く感じられる石の壁も、飛行機から眺めれば、地にへばりついているような、低い境目にしか見えない。同じように、自分の境涯が変われば、物事の感じ方、とらえ方も変わっていくものだ。逆境も、苦難も、人生のドラマを楽しむように、悠々と乗り越えていくことができる。
その境涯革命の原動力は、強い一念を込めた真剣な唱題だ。題目を唱え抜いて、勇気を奮い起こして行動し、自分の壁を打ち破った時に、境涯を開くことができる。
南無妙法蓮華経は大宇宙に通ずる。御書にも『一身一念法界に遍し』(二四七ページ)とあるじゃないか。宇宙をも包み込む大境涯に、自分を変えていくことができるのが仏法だ」
その言葉を聞くと、彼女は、電撃に打たれた思いがした。
“そうだ。アメリカが広いのではなく、私の境涯が狭く、小さなために、現実の厳しさに負けてしまっているにすぎないのだ。先生は、アメリカを、決して遠い国とは思っていらっしゃらない。離れていたのは、先生と私の心の距離ではなかったのか……”
彼女は、目の前の霧が、すっと晴れていくような気がした。
(「萌芽」の章、114~116ページ)

学会は人間宗でいくんだ

〈1月22日、伸一は、キリスト教とイスラム教が二大宗教として並び立つ、中東のレバノンを視察した〉

伸一は言った。(中略)
「この中東にしても、ヨーロッパにしても、宗教の社会的な影響力や存在感は、日本と違って格段に重い。その宗教、宗派のうえに、政治的、社会的な利害が絡めば、問題はますますこじれてしまう。だから、対話といっても、宗派を超えた人間対人間の対話が必要だと、私は思う。つまり、同じ国民として、あるいは同じ人間として、まず、共通の課題について、忌憚なく語り合うことだ。そして、“共感”の土壌をつくっていくことが、最も大切ではないだろうか。それには、宗教や宗派で一律に人間を割り切ってしまうという発想を、転換していくことだ。
私は、人を一個の具体的な人間としてではなく、民族や宗教、国籍、階級などの抽象的な集団としてとらえ、判別していくことは間違いであると思っている。そうした発想は人間を“分断”していくだけで、そこからは本当の対話も、真の友情も生まれることはない。
レバノンの場合も、大前提、大原則は、同じ権利をもった国民、同じ尊厳と生存の権利をもった人間という視座に立っての、対話を始めることだ。“宗派”ではなく、“人間”を見つめ、宗派間の対話以上に、人間間の対話をしていく以外にない。(中略)
そうした視点に立って、話し合いを進めていこうとしなければ、事態はますます紛糾していくだろう。
実は、私がこれから、生涯をかけて行おうとしていることも、この“人間対人間”の対話を、世界に広げていくことです。仏教も本来、宗派などなかった。また、特定の民族や階級のためでもない。人間のために、一切衆生のために説かれたものです。大聖人の御心もまた、“一切衆生をどうすれば幸福にできるか”という、この一点に尽くされている。
戸田先生は『学会は人間宗でいくんだ』と言われたことがあるが、どこまでも、人間が根本です。我々は、こういう大きな心でいこうよ」
(「早春」の章、264~265ページ)

冬は必ず春となる!

〈4月9日の夜、台湾の台北支部長・朱千尋の自宅で、警察の立ち会いのもと、支部の解散を通達する会合が開かれた〉

朱は、静かに語り始めた。
「本日、四月九日、創価学会台北支部は、人民団体として許可が得られないため、政府より解散を命じられました。ここに解散を宣言いたします」(中略)
この瞬間、彼の脳裏に、二カ月余り前の一月二十七日、あの松山空港で山本会長が語った言葉が鮮やかに蘇った。
――「何があっても、どんなに辛くとも、台湾の人びとの幸福のために、絶対に仏法の火を消してはならない。本当の勝負は、三十年、四十年先です。最後は必ず勝ちます」(中略)
彼は唇をかみしめ、拳で涙を拭うと、力を込めて言った。
「支部は解散しますが、中華民国の憲法で、信教の自由は保障されています。誰憚ることなく、信心をしていくことはできます。私たちが幸福になる道は、決して閉ざされたわけではないのです。私たちに信心ある限り、冬は必ず、必ず、春になるのです」(中略)
以来、警察は、一人ひとりに監視の目を光らせ、取り締まりを強化していった。突然、家に踏み込まれ、御本尊を持っていかれた人もいた。御書をはじめ、学会の出版物やバッジなども没収された。「信心をするなら牢獄にぶち込むぞ!」と、脅された人もいた。(中略)
いかなる状況下でも、信心はできる。広宣流布に生きることはできる――それが朱の信念であり、決意でもあった。朱千尋は、時間を見つけては、個人的に同志を励ました。(中略)この“冬の時代”にあっても、正法は、自然のうちに、深く社会に根差していったのである。(中略)
一九八七年(昭和六十二年)には戒厳令も解除され、九〇年(平成二年)には台湾の組織として「仏学会」が、晴れて団体登録されることになる。(中略)その後、文化祭などの諸活動による社会貢献の業績が高く評価され、内政部から“優良社会団体”として、何度も表彰されるようになるのである――。(「操舵」の章、386~391ページ)