第3巻 解説編 20181226

紙上講座 池田主任副会長

〈ポイント〉

①「仏法西還」の意味

②広宣流布の「時」を創る

③仏法者への迫害の構図


インドの首都ニューデリー(1992年2月、池田先生撮影)。先生の訪印は5回。第3巻では、初訪問の様子がつづられている

「東洋広布」――それは、日蓮大聖人の「仏法西還(=末法には、太陽が東から西に向かうように、大聖人の仏法が日本からインドに還り、全世界へと流布していく)」の原理を踏まえ、戸田城聖先生が山本伸一をはじめ、後継の青年たちに託した願業でした。

『新・人間革命』第3巻を学ぶにあたって、まず仏法西還の意味について確認していきたい。

1951年(昭和26年)7月11日、男子部結成式の折、戸田先生はこう語られました。「広宣流布は、私の絶対にやり遂げねばならぬ使命であります。(中略)日蓮大聖人は、朝鮮、中国、遠くインドにとどまることなく、全世界の果てまで、この大白法を伝えよ、との御命令であります」(42ページ)

この戸田先生の東洋広布の決意を詠んだのが、「雲の井に 月こそ見んと 願いてし アジアの民に 日をぞ送らん」との和歌でした。

師の決意は、山本伸一の誓願となりました。男子部結成式から10年後の61年(同36年)1月、伸一はアジア初訪問の旅に出発します。その意義こそ、「大聖人の御予言である、“仏法西還”の第一歩を印し、東洋の幸福と恒久平和への道を開くこと」(29ページ)にありました。

同年2月4日、インドのブッダガヤに「東洋広布」と刻まれた石碑などを埋納する儀式が行われました。この時、伸一の胸にこだましたのが、先の戸田先生が詠んだ和歌でした。

東洋広布の第一歩を踏み出した伸一は、心の中で叫びます。「私はやる。断じてやる。私が道半ばに倒れるならば、わが分身たる青年に託す。出でよ! 幾万、幾十万の山本伸一よ」(162ページ)と。

つまり、「仏法西還」の章には、①大聖人の御予言②戸田先生が東洋広布を誓う③師の誓いを弟子・伸一が受け継ぐ④分身たる“幾万、幾十万の山本伸一”に託していく、との方程式が記されています。私たちは、池田先生から新時代の広布を託された深き使命があることを心に刻みたいと思います。

地涌の使命の自覚

第3巻では、広宣流布における「時」の捉え方が示されています。

「月氏」の章で、伸一は「御予言の実現は、後世の人間の決意と大確信と必死の行動が根本となります。御予言とは、弟子の自覚としては、そう“なる”のではなく、そう“する”ことではないでしょうか」(102ページ)と述べています。広宣流布の「時」とは、ただ待っているだけでは決して来ない。地涌の使命に立った弟子の決意と行動によって「時」は創られるのです。

また、第3巻には、広布推進の方法についてもつづられています。

「平和の光」の章に、タイで迎えてくれた2人の日本人メンバーの壮年との語らいを通して、「学会の広宣流布は、国力をバックにしての布教でもなければ、宣教師を送り込んでの布教でもない。その地に生きる人が信仰に目覚め、使命を自覚するところから始まる、民衆の内発性に基づいている」(313ページ)とあります。

皆が使命に奮い立つように、伸一は全力を注ぎました。その象徴的な場面の一つが、香港の岡郁代への励ましです。彼女は①夫が未入会②子どもが3人いる、という状況の中で信心に励んでいました。

伸一は彼女に、「自分の家族の折伏は、理論ではなく、実証がことのほか大切になる。特に人間的な成長が肝要です」(78ページ)と励ましを送ります。

彼女の子どもには、「あなたが、香港に来たのは、お父さんの仕事の関係で、たまたま来たのではない。その広宣流布の使命を果たすために来たんです」(72ページ)と、未来を見据え、使命の自覚を促しています。

伸一がアジアの平和旅で最初に訪問した香港は、20世紀最後の海外訪問地でもあります(2000年12月)。

『新・人間革命』第30巻(下巻)の「誓願」の章に、香港初訪問の思い出をたどり、21世紀の東洋広布の道が洋々と開かれていることが記されています。

伸一の心をわが心とする同志の奮闘によって、わずか40年ほどで香港広布は飛躍的に発展したのです。

学会の根本目的

「月氏」の章の中では、インドのアショーカ大王の政治について触れられています。そこでは、大王が仏教を国教化しなかった理由として、「思想や信教の『自由』を守ろうとしたからではないか」「宗教戦争を避けようと考えたからではないだろうか」(130ページ)と考察しています。

ここで「創価学会は、永遠に『信教の自由』を守り抜かねばなりません」(131ページ)とあるように、「信教の自由」をはじめ、基本的人権を抑圧する暴挙とは、徹底して言論で戦い抜く。それが、学会の社会的使命です。

また「仏陀」の章では、釈尊の迫害の人生が詳細に描かれています。釈尊は、六師外道からの迫害、提婆達多の反逆にも屈せず、最期まで人々に法を説いていきます。

その中で「信仰によって結ばれた人間の絆は、利害によるものではなく、『信頼』を基本にした良心の結合である」(211ページ)とあります。この「信頼」を破壊するための常套手段がスキャンダルです。釈尊が受けた「九横の大難」にも、スキャンダルがありました。下劣なデマを捏造し、人々に不信をいだかせるという手法はいつの世も変わりません。

この「仏陀」の章の連載が聖教新聞で始まったのは1995年4月からでしたが、直前の3月、オウム真理教による地下鉄サリン事件が起きています。この事件をきっかけに、宗教に対する統制を強めようとする社会的な動きが出てきます。それは後に、宗教法人法改変へとつながっていきました。

「仏陀」の章は、当時、卑劣なデマ・中傷にさらされていた学会員への励ましであったと同時に、迫害の構図を後世にとどめようとされたのだと思えてなりません。

「平和の光」の章では、仏法者の使命について、こうつづられています。

「本来、仏法者の宗教的使命は、人間としての社会的使命を成し遂げていくことで完結される。それができてこそ、生きた宗教です。仏法は観念ではない。現実のなかで、人間の勝利の旗を打ち立てていくのが、まことの信仰です」(318ページ)

創価学会の根本目的は立正安国、すなわち社会の繁栄と人類の平和の実現にあります。私たちは、友好の語らいを朗らかに広げ、地域に幸福のスクラムを築いていきましょう。

名言集

●まことの功労者

一人の人が成長し、人材に育っていく陰には、親身になって、育成してくれた先輩が必ずいるものだ。たとえ、光があたることはなくとも、その先輩こそが、まことの功労者であり、三世にわたる無量の功徳、福運を積んでいることは間違いない。(「仏法西還」の章、55ページ)

●正しい認識を促す直道

地味なようでも、一対一の深き誠実な語らいこそが、詮ずるところ、学会への正しい認識と評価をもたらす直道だ。(「月氏」の章、129ページ)

●真の戒律

真の戒律とは、「自分の外」に設けられるものではなく、「自分の内」に育まれるものでなければならない。仏教の精神は、外からの強制による「他律」ではなく、「自律」にこそあるからだ。(「仏陀」の章、229ページ)

●師の生命の脈動

師を求め、師とともに戦おうとする時、広宣流布に生きる、師の生命の脈動が流れ通うといってよい。(「平和の光」の章、325~326ページ)