第3巻 御書編 2018年12月19日 |
大聖人の御遺命を学会が実践
月は西より東に向へり月氏の仏法の東へ流るべき相なり、日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり
(御書588ページ、諫暁八幡抄)
【通解】
月は西から出て東へ向かう。それは月氏の仏法が東の方へ流布する相である。日は東から出る。日本の仏法が月氏国に還るという瑞相である。
●小説の場面から
〈1961年1月、山本伸一はアジア歴訪の旅へ。恩師・戸田城聖の悲願である「東洋広布」の第一歩をしるす〉
「諫暁八幡抄」のほか、「顕仏未来記」などにも、同様の趣旨の御文がある。いずれも、日蓮大聖人の仏法の西還を予言され、東洋、世界への広宣流布を示されたものである。
戸田城聖は、その御聖訓の実現を、創価学会の使命として、伸一をはじめとする青年たちに託した。
もしも、創価学会がなければ、この仏法西還の御本仏の御予言も、虚妄となってしまったにちがいない。
その先駆けの歩みを、伸一は会長に就任して迎えた新しき年の初めに、踏みだそうとしていたのである。それは仏法の歴史を画し、東洋に生命の世紀の旭日を告げるものであった。
◇
「大聖人の御予言も、それを成し遂げようとする人がいなければ、観念になってしまいます。広宣流布は、ただ待っていればできると考えるのは誤りであると思います。
御予言の実現は、後世の人間の決意と大確信と必死の行動が根本となります。御予言とは、弟子の自覚としては、そう“なる”のではなく、そう“する”ことではないでしょうか。そうでなければ、人間の戦いはなくなってしまいます。また、そのようにとらえて戦いを起こしたものにとっては、御予言は、最大の確信となり、勇気となり、力となります」(「月氏」の章、102ページ)
一瞬一瞬を“命を削る思い”で
【御文】
一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり(御書790ページ、御義口伝)
【通解】
一念に億劫の辛労を尽くして、自行化他にわたる実践に励んでいくなら、本来わが身に具わっている仏の生命が瞬間瞬間に現れてくる。いわゆる南無妙法蓮華経は精進行である。
●小説の場面から
〈アジアの平和旅の終盤、疲れをにじませる同行の幹部に、山本伸一は御書をひもとき、励ましを送る〉
伸一は、力を込めて語っていった。
「これは、南無妙法蓮華経と唱えるわが一念に、億劫にもわたる辛苦、労苦を尽くし、仏道修行に励んでいくならば、本来、自身のもっている無作三身の仏の生命が、瞬間、瞬間、起こってくるとの御指南です。
そして、南無妙法蓮華経と唱えていくこと自体が、精進行であるとの仰せです。
この御文は、御本仏である大聖人の御境涯を述べられたものですが、私たちに即していえば、広宣流布のために苦労し、祈り抜いていくならば、仏の智慧が、大生命力がわいてこないわけはないということです。
したがって、どんな行き詰まりも打ち破り、大勝利を得ることができる。しかし、それには精進を怠ってはならない。常に人一倍、苦労を重ね、悩み考え、戦い抜いていくことです。
皆、長い旅の疲れが出ているかもしれないが、今回の旅は、東洋広布の夜明けを告げる大切なアジア指導です。一人でもメンバーがいたら、命を削る思いで力の限り励ますことだ。そこから未来が開かれる。
また、各地を視察しながらも、その国の広布のために、何が必要かを真剣に考えていかねばならない。ボーッとしていれば、この旅は終わってしまう。一瞬一瞬が勝負です」(「平和の光」の章、314~315ページ)
ここにフォーカス/仏法の生死観
『新・人間革命』第3巻「仏法西還」の章が始まったのは、1995年1月1日からです。その16日後の1月17日、阪神・淡路大震災が発生し、6434人もの生命が奪われました。
震災後、2月2日付の「仏法西還」の章から、山本伸一が仏法の生死観を語る場面がつづられていきます。
その中で、伸一はこう述べています。「広布のために、仏の使いとして行動し抜いた人は、いかなる状況のなかで亡くなったとしても、恐怖と苦悩の底に沈み、地獄の苦を受けることは絶対にない」「信心を全うし、成仏した人は、死んでも、すぐに御本尊のもとに人間として生まれ、引き続き歓喜のなか、広宣流布に生きることができる」
東に伸び、東に傾いた樹木が、倒れる時には東に倒れるように、信心に励んできた人は、事故等で不慮の死を遂げても、善処に生まれるというのが、仏法の法理なのです。
95年2月2日は、海外での諸行事を終えた池田先生が、関西を訪問した日です。4日の追善勤行法要で、先生は「悪い象に殺された場合は地獄等には堕ちない。悪知識に殺された場合は地獄等に堕ちる」との経文を通し、「震災等で亡くなられた場合も、悪象による場合と同じく、絶対に地獄に堕ちない」と渾身の励ましを送りました。
先生の激励と小説に記された仏法の生死観は、大切な人を失った方々の心に、大きな希望をともしたのです。
私の読後感 識者が語る ![]()
『新・人間革命』第3巻「仏陀」の章で描かれた釈尊は、池田先生の釈尊観ともいえましょう。それは、人生の問題を抱えながら、それらに立ち向かう“人間・仏陀”を、そしてまた、生命の不変の本質を浮かび上がらせています。
釈尊は、自身の教えを、聴衆が理解できる能力に応じて説きました。池田先生は、「価値創造」の人生の素晴らしさを、私たちが納得し、理解できるように訴えておられます。先生は、世界中に人間革命の哲学を広げられた「ヒューマニズムの啓発者」です。
仏陀は人間であり、人類の偉大な教師である――この釈尊に対する先生の視点は、先生ご自身を言い表しているように思えてなりません。
先生の描かれた釈尊の生涯をたどると、釈尊と共に人生を生きているかのように感じます。まさに、先生は釈尊の精神を現代に蘇らせ、その力を読者に送っておられるのです。
仏教は外在的な神ではなく、人間が中心です。また、何より日々の生活を重視し、人生の向上と幸福を強調しています。『新・人間革命』では、その一切の根本である生命の偉大さを語っています。
インドでは、数世紀前に仏教は廃れてしまいました。しかし、仏教の精神性は、インドの未来を豊かにするものです。池田先生が訴える創価の哲学も、インド社会の発展の中核をなす時代精神になりつつあります。
これまでの「革命」の歴史の多くは、暴力によるものでした。そこでは、人間があたかも最大の敵のように扱われてきました。それに対して、『新・人間革命』は、朝の清新な大気のように、私たちの精神を健やかにし、新たなビジョンを示しています。
すなわち、私たち一人一人が人生という作品を完成させる「人生の彫刻家」であり、皆が社会という全体において、欠かすことができない存在であることを明らかにしているのです。
『新・人間革命』は、「価値創造の人生」へ、魂の翼を広げることを促す「目覚めの一書」です。池田先生は人類の精神に、生命の讃歌を呼び起こしているのです。
心地よき 穏やかな森へ
想像が天空に浮かび上がる庭園へ
あなたは人類を
英知輝く崇高なステージへと誘い
宇宙文明の地平の遥か彼方へと導く
Lokesh Chandra インド文化国際アカデミー理事長。仏教文化研究の世界的権威の一人。池田先生とは、対談集『東洋の哲学を語る』(第三文明社)を発刊している。
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