第1巻 名場面編 2018年10月17日 |
「旭日」の章 皆の幸せのために ![]() ヒロト・ヒラタは、瞳を輝かせ、真剣に耳を傾けていた。伸一は、確かな手応えを感じながら、幹部としての信心の姿勢を話していった。 海には、丸い月がほの白い影を映し、浜辺には、波の音が静かに響いていた。 「これからの人生は、地区部長として、私とともに、みんなの幸せのために生きてください。 社会の人は、自分や家族の幸せを考えて生きるだけで精いっぱいです。そのなかで、自ら多くの悩みを抱えながら、友のため、法のため、広布のために生きることは、確かに大変なことといえます。 しかし、実は、みんなのために悩み、祈り、戦っていること自体が、既に自分の境涯を乗り越え、偉大なる人間革命の突破口を開いている証拠なんです。 また、組織というのは、中心者の一念で、どのようにも変わっていきます。常にみんなにために戦うリーダーには、人は付いてきます。しかし、目的が自分の名聞名利であれば、いつか人びとはその本質を見抜き、付いてこなくなります」 ヒラタには、乾いた砂が水を吸い込むような、純粋な求道の息吹があった。伸一は、彼の手を握りながら言った。 「あなたを地区部長に任命したのは私です。あなたが敗れれば、私が敗れたことです。責任は、すべて私が取ります。力の限り、存分に戦ってください」 「はい!戦います!」 ヒラタは伸一の手を固く握り返した。月明かりのなかで二人の目と目が光った。 (「旭日」の章、76~77ページ) 「新世界」の章 異体同心の団結で ![]() 市街を抜け、サンフランシスコ湾を右手に見ながら進んでいくと、行く手にゴールデン・ゲート・ブリッジ(金門橋)の赤い鉄柱が見えた。それは、近づくにつれて、頭上にのしかかってくる かのようにそびえ立っていた。 一行は、橋の近くの広場で車を降り、休憩することにした。 広場には、橋を吊り上げているケーブルの一部が展示されていた。その直径は92.4センチメートルで、2万7,572本のワイヤを束ねて作ったものだという。 一行は、展示されたケーブルを、取り囲むようにして立った。 「ケーブルは太いけれど、中の一本一本のワイヤは意外に細いものなのね。これで、よくあの橋を吊り上げることができるわね」 清原かつが、驚きの声をあげた。 伸一は清原の言葉に頷きながら、前日、地区部長と地区担当員に任命になったユキ子・ギルモアとチヨコ・テーラーに向かって語り始めた。 「確かに、一本一本は決して太いものではない。しかし、それが、束ねられると、大変に大きな力を発揮する。これは異体同心の団結の姿だよ。 学会も、一人ひとりは小さな力であっても、力を合わせ、結束していけば、考えられないような大きな力を出せる。団結は力なんだ。これからは、あなたたちが中心になって、みんなで力を合わせ、サンフランシスコの人びとの幸せと広布を支えていくことです」 「はい!」 二人が同時に答えた。彼女たちは、自分たちが途方もなく大きな、崇高な使命を担っていることを強く感じ、身の引き締まる思いがした。 「新世界」の章、134~135ページ) 「錦秋」の章 会長就任「五月三日」の夜 ![]() 伸一は、第三代会長として、一閻浮提広布への旅立ちをした、この年(1960年=編集部注)の5月3日の夜、妻の峯子と語り合ったことを思い出した。 ――その日、夜更けて自宅に帰ると峯子は食事のしたくをして待っていた。普段と変わらぬ質素な食卓であった。 「今日は、会長就任のお祝いのお赤飯かと思ったら、いつもと同じだね」 伸一が言うと、峯子は笑みを浮かべながらも、キッパリとした口調で語った。 「今日から、わが家には主人はいなくなったと思っています。今日は山本家のお葬式ですから、お赤飯は炊いておりません」 「確かにそうだね……」 伸一も微笑んだ。妻の健気な言葉を聞き、彼は一瞬、不憫に思ったが、その気概が嬉しかった。それが、どれほど彼を勇気づけたか計り知れない。 これからは子どもたちと遊んでやることも、一家の団欒も、ほとんどないにちがいない。妻にとっては、たまらなく寂しいことであるはずだ。だが、峯子は、決然として、広宣流布に生涯をささげた会長・山本伸一の妻としての決意を披瀝して見せたのである。 伸一は、人並みの幸福など欲しなかった。ある意味で広布の犠牲となることを喜んで選んだのである。今、妻もまた、同じ思いでいることを知って、ありがたかった。 「錦秋」の章、156~158ページ) 「慈光」の章 師弟貫く不屈の闘魂 ![]() 伸一は、背広のポケットにしまった恩師・戸田城聖の写真を取り出すと、ベッドで体を休めながら、その写真をじっと見つめた。 彼の頭には、戸田の逝去の5カ月前の11月19日のことが、まざまざと蘇った。それは恩師が病に倒れる前日であった。伸一はその日、広島に赴こうとする戸田を、叱責を覚悟で止めようとし た。 恩師の衰弱は極限に達して、体はめっきりとやつれていた。更に無理を重ねれば、命にかかわることは明らかだった。 学会本部の応接室のソファに横になっている戸田に向かい、彼は床に座って頭を下げた。 「先生、広島行きは、この際、中止なさってください。お願いいたします。どうか、しばらくの間、ご休養なさってください」 彼は必至で懇願した。しかし、戸田は毅然としていった。 「そんなことができるものか。……そうじゃないか。仏のお使いとして、一度決めたことがやめられるか。俺は死んでも行くぞ。 伸一、それが真の信心ではないか。何を勘違いしているのだ!」 その烈々たる師の声は、今も彼の耳に響いていた。” あの叫びこそ、戸田先生が身をもって私に教えてくれた、広宣流布の大指導者の生き方であった” ブラジルは、日本とちょうど地球の反対にあり、最も遠く離れた国である。そこで、多くの同志が待っていることを考えると、伸一は、何としても行かねばならないと思った。そして、皆を励まし、命ある限り戦おうと心を定めた。胸中には、戸田の弟子としての闘魂が燃え盛っていた。 (「慈光」の章、265~266ページ) 「開拓者」の章 肉体が限界を超えても ![]() 打ち合わせが終わったのは深夜だった。伸一の肉体の疲れは既に限界を超え、目まいさえ覚えた。 しかし、バッグから便箋を取り出すと、机に向かい、ペンを走らせた。日本の同志への激励の便りであった。手紙は何通にも及んだ。 彼は憔悴の極みにあったが、心には、恩師・戸田城聖に代わってブラジルの大地を踏み、広布の開拓のクワを振るう喜びが脈動していた。その歓喜と闘魂が、広宣流布を呼びかける、熱情の叫びとなってあふれ、ペンは便箋の上を走った。 ある支部長には、こうつづっている。 「今、私の心は、わが身を捨てても、戸田先生の遺志を受け継ぎ、広布の総仕上げをなそうとの思いでいっぱいです。そのために大事なのは人です、大人材です。どうか、大兄も、私とともに、最後まで勇敢に、使命の道を歩まれんことを切望いたします。 そして、なにとぞ、私に代わって支部の全同志を心から愛し、幸福に導きゆかれんことを願うものです」 日本の同志は、この時、伸一が、いかなる状況のなかで手紙を記していたかを、知る由もなかった。しかし、後日、それを知った友は、感涙にむせび、拳を振るわせ、共戦の誓いを新たにするのであった。人間の心を打つものは、誠実なる行動以外にない。 (「開拓者の章」290~291ページ |