第30巻㊤ 御書編 21年06月16日


宗門に潜む信徒支配の体質
【御文】
外道・悪人は如来の正法を破りがたし仏弟子等・必ず仏法を破るべし師子身中の虫の師子を食等云云(御書957ページ、佐渡御書)
【通解】
外道や悪人によって、如来の正法が破られることはない。仏弟子らによって必ず仏法は破られるのである。師子身中の虫が師子を食むとはこのことである。

【小説の場面から】
伸一は、僧たちの信徒支配の意識に潜む、恐るべき魔性を感じていた。

初代会長・牧口常三郎と、第二代会長・戸田城聖は、戦時中、思想統制が進み、宗門が神札を容認した時、正法正義を貫き、軍部政府の弾圧によって投獄され、遂に牧口は殉教した。その学会に、僧たちは登山禁止など、卑劣な仕打ちを重ねた。だが、それでもなお、戦後、学会は広宣流布の実現のためにと、宗門を外護して、赤誠を尽くしてきた。

日蓮大聖人の末弟を名乗る僧たちが、宗祖の御遺命通りに死身弘法の実践を重ねてきた学会を迫害する。およそ考えがたい事態が、創価教育学会の時代から続いてきたのだ。しかし、それも仏法の眼を開けば、すべては明らかである。大聖人は、誰が仏法を破壊していくかに言及されている。(中略)

仏法を誹謗する外道や悪人ではなく、仏弟子が仏法を破る働きをなすというのだ。それは、経文に「悪鬼入其身」とあるように、第六天の魔王が僧の身に入って、人びとを攪乱するゆえである。僧の姿をした者が、大聖人の御精神を踏みにじって、広宣流布を妨げるのだ。戸田城聖の時代にも、学会は僧たちの理不尽な圧迫に苦しめられた。

伸一は、かつて戸田が厳しく語っていたことを思い起こしていた。

“学会の存在なくして、広宣流布の伸展は断じてない。和合僧たる学会を破ろうとすることは、要するに、広宣流布を妨害することではないか!”
(「大山」の章、24~25ページ)

「行」「学」は仏道修行の両輪
【御文】
行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし(御書1361ページ、諸法実相抄)
【通解】
行学の二道を励んでいきなさい。行学が絶えてしまえば仏法はない。自分も行い、人をも教化していきなさい。行学は信心から起こる。力があるならば一文一句であっても人に語っていきなさい。

【小説の場面から】
〈1981年(昭和56年)1月、山本伸一はハワイを訪問。第1回世界教学最高会議で、御書を拝して指導した〉

「『行』とは、自行化他にわたる実践であり、唱題と折伏のことです。『学』とは教学の研鑽です。『行学』に励む人こそが、真の日蓮大聖人の門下です。そして、この二道の絶えざる実践がなければ、それは、もはや仏法ではないと、大聖人は仰せなんです。このお言葉通りに実践し、さまざまな難を受けながら、広宣流布を進めてきたのは学会しかありません。この厳たる事実は、誰人も否定することはできない。

『行学』の二道は、信心から起こる。『行学』を怠っているということは、信心を失っていることにほかならない。信心とは、いかなる脅し、迫害、誘惑にも絶対に屈せず、不退を貫き、ひたぶるに御本尊を信受し、広宣流布に邁進していくことです。

『行』と『学』は、信心を機軸にした車の両輪といえます。したがって、いくら知識としての教学に精通していったとしても、『行』という実践がなければ、片方の輪だけで進もうとするようなものであり、正しい信心の軌道から外れていかざるを得ない。

(中略)

私たちは、いわゆる職業的仏教学者になるために教学を研鑽するのではない。自身の信心を深め、一生成仏をめざすためであり、広宣流布推進のための教学であることを、あらためて確認しておきたいのであります」
(「雄飛」の章、320~321ページ)

東京の新たな“凱歌の行進”
1979年(昭和54年)、反逆者や宗門僧らによる師弟分断の謀略の嵐が吹き荒れます。池田先生が会長を辞任すると、会合で指導することや、その指導を聖教新聞で掲載することができない状況がつくられていきました。

しかし、先生は個人指導に力を注ぎ、揮毫を認め、和歌を詠み、ピアノを弾いて同志に励ましを送ります。いかに行動を制約されようとも、先生の広宣流布の戦いは決してとどまることはありませんでした。

同年11月16日、先生は、豊島区の東京戸田記念講堂で開催された本部幹部会に途中から入場します。そこで、会長辞任後、初めての学会歌の指揮を執ります。「威風堂々の歌」の勇壮な調べが流れる中、心で叫びます――“大東京よ、立ち上がれ! 全同志よ、立ち上がれ!”。師匠の力強い指揮と、参加者の歌声はピタリと合い、会場は一つになりました。この日、東京の新たな“凱歌の行進”が開始されたのです。

「雌伏」の章には、「戦いは智慧である。工夫である。創造である。どんなに動きを封じられようが、広宣流布への不屈の一念があれば、前進の道が断たれることはない」とあります。どのような状況にあっても、以信代慧の智慧を湧き上がらせ、全国・全世界に勝利の凱歌を轟かせていくのが、世界広布の本陣・東京の使命です。