
【物語の時期】 1973年(昭和48年)1月1日~6月27日
「本陣」の章

1973年(昭和48年)「教学の年」が明けた。「広布第2章」に入って初めての新春である。山本伸一は、仏法を基調とした本格的な社会建設を開始するため、その源泉となる教学に力を注ぐ。
この73年は別名「青年の年」とされていた。伸一は、青年たちが仏法の多角的な展開を担う上で原動力となる、広布に生き抜く“師弟の道”の大切さを訴える。
この年、彼は、「本陣」東京の再構築を最大のテーマとしていた。
1月の新宿区、練馬区にはじまり、さらに、中野区、港区、渋谷区、世田谷区、千代田区、杉並区、目黒区のメンバーと記念撮影するなど、激励を重ねる。そして、「中野兄弟会」をはじめ、各区で人材育成のためのグループを結成していく。さらに多摩方面の第2東京本部の幹部会にも出席する。
2月18日、男子部は第21回総会で「生存の権利を守る青年部アピール」を発表。生命尊厳の立場から核兵器廃絶のための署名運動などへの取り組みを開始する。伸一は、社会建設に本格的に立ち上がった青年たちに大きな期待を寄せる。
「希望」の章

4月11日、山本伸一は、大阪・交野市に誕生した、創価女子中学・高校(当時)の入学式へ。「他人の不幸のうえに自分の幸福を築くことはしない」という信条を培うよう語る。
また、共に卓球やテニスに興じ、励ましの対話を交わし、21世紀の「希望」である学園生を温かく育む。生徒たちは、彼の心に応えようと、通学途中に行き交う人々へのあいさつの励行や、最寄りの駅に花瓶と花を贈るなど、よき伝統をつくるために努力を重ね、地域に信頼と共感が広がっていく。
伸一は多忙な行事の合間を縫っては学園を訪れ、時には、校長と共に校門に立ち、登校してきた生徒たちを迎え、寮にも足を運ぶ。そして、1976年(昭和51年)、創価女子高校の第1回卒業式で、「互いに生涯の友として、美しき信義を貫き通していただきたい」との言葉を贈った。また、「何かあったら、会いにいらっしゃい。いつまでも一緒だよ」と何度も声をかける。
82年(同57年)、創価女子学園は、男子生徒を受け入れ、関西創価中学・高校として新スタート。日本を代表する人間教育の城となっていく。
「民衆城」の章

1973年(昭和48年)4月下旬、山本伸一は、聖教新聞社を訪れた東京・荒川区の同志と語らい、57年(同32年)8月の荒川区での夏季ブロック指導を思い起こす。その前月、選挙違反という無実の罪で大阪府警に不当逮捕された彼は、庶民の縮図ともいうべき荒川区から、民衆勝利の波を起こそうと、弘教の指揮を執り、1週間で荒川区の会員世帯の1割を超える拡大を成し遂げる。
73年4月22日、墨田区両国の日大講堂で本部幹部会が行われる。墨田もまた、53年(同28年)、伸一が男子部の第1部隊長を務め、恩師・戸田城聖の願業である会員75万世帯の達成を誓い、奔走した地だ。彼は、墨田の青年たちに、広布大願に生きる師子たれと訴える。さらに、渋谷区、大田区、豊島区の同志へ全魂の指導を重ね、東京各区で、新出発の原点が築かれていった。
5月8日からは欧州へ。フランスでは、欧州各国のメンバーの連携と協力体制を確立するために、「ヨーロッパ会議」が発足。英国では、前年に引き続きトインビー博士と対談。帰国の途次には、経由地のオランダでメンバーと座談会を開く。
「緑野」の章

欧州訪問から帰国した山本伸一は、6月5日、福井県へ。福井は空襲、地震、台風など、幾度も大災害に見舞われてきた。県幹部会に出席した伸一は、郷土の蘇生は、皆の勇気と活動にかかっているとし、“福井のルネサンスを!”と力説。彼は、学会員こそ地域繁栄の主役であるとの深い自覚を促していく。
7日、伸一は岐阜県を訪問する。県幹部会に先立ち、文化祭が行われる。彼は、「郡上一揆」を題材にした創作劇の、“命ある限り戦う”との叫びを聞き、出演者に、これが学会精神だと伝言。岐阜本部では、聖教新聞の支局員、通信員を激励する。
10日、彼は、群馬県の伊香保でのスポーツ大会に出席し、皆と記念撮影。地元の群馬交響楽団で活躍する友などを次々と励ます。そして、群馬が“地方の時代”の先駆を切り、広布のモデル県になるよう期待を寄せる。
さらに、17日、茨城県を訪れ、25日には、北海道へ。代表幹部との懇談会を開き、「広宣流布は北海道から」との指針を贈る。
伸一の間断なき奮闘によって、広布の「緑野」は広がっていく。
【山本伸一の東京各地での激励行】
1973年(昭和48年)、「広布第2章」の本格的な開幕を迎え、山本伸一がまず力を注いだのが、堅固な本陣・東京の建設である。伸一は東京への入魂の激励を続けていった。
※写真は第17巻に記された行事から。

【新宿】「1・15グループ」「新宿成人会」の集い(1月7日、旧・聖教新聞本社で)

【練馬】練馬区の記念撮影会(1月21日、静水会体育館<当時>で)

【中野】「中野・青少年スポーツの集い」に出席(2月4日、中野体育館で)

【港】港区の友と記念撮影(2月11日、創価文化会館<当時>で)

【渋谷】渋谷区の青年部と記念撮影(2月20日、創価文化会館<当時>で)

【世田谷】世田谷区の東京農業大学で開催された「現代農業展」に足を運ぶ(3月4日)

【杉並】「杉並区・青年スポーツの集い」に参加(3月18日、杉並区内で)

【目黒】目黒区のメンバーと記念撮影(3月29日、創価文化会館<当時>で)

【第2東京本部】第2総東京の前身「第2東京本部」の幹部会(3月31日、創価大学で)

【墨田】本部幹部会で学会歌の指揮を執る(4月22日、墨田区の日大講堂で)

【大田】記念撮影会の終了後、未来部のメンバーと卓球のひと時(4月29日、大田区体育館で)

【豊島】豊島区の記念撮影会後の運動会で、未来部員に声を掛ける(5月5日、文京区内で)

関西創価学園の軌跡
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