
【物語の時期】 1972年(昭和47年)1月1日~10月
「入魂」の章

沖縄・那覇市
創価学会は、1972年(昭和47年)を「地域の年」と定め、立正安国を実現する基盤づくりに力を注いでいった。
山本伸一は、今こそ、全同志の胸に、永遠に崩れぬ信心の柱を打ち立てねばならないと決意し、元日の新年勤行会、2日の全国大学会総会に出席。また、最前線組織のブロックを強化し、信心の歓喜をみなぎらせていこうと、ブロック長、ブロック担当員(現在の白ゆり長)との記念撮影等に全力を傾けていく。
1月15日、東京・新宿区の記念撮影会では、学会本部を擁する“本陣”の使命を語る。さらに、一緒に記念撮影した青年部を「一・一五グループ」とし、新成人のメンバーで「新宿成人会」を結成する。
29日、祖国復帰を5月に控えた沖縄へ。3泊4日の訪問であったが、第一線で戦う友を励まし抜く。
さらに彼は、東京の葛飾、荒川の友を激励し、千代田の記念撮影会では、集ったメンバーで「千代田七百五十人会」を結成。また、関東、関西などでも「入魂」の指導を続ける。伸一の心に応えようと、各地で庶民の英雄が立ち上がっていく。
「対話」の章

1972年(昭和47年)4月、山本伸一は欧米訪問へ旅立つ。この旅の最大の目的は、20世紀を代表するイギリスの歴史学者トインビー博士との対談であった。
69年(同44年)秋、博士から伸一に対談を要請する手紙が届く。人類が直面している諸問題を解決する方途を求め、博士は創価学会に注目。伸一をロンドンへと招待したのだ。
72年5月、伸一はパリ本部の開館式等に臨み、5日、トインビー博士の自宅を訪ねる。偉大な碩学と、若き仏法指導者の対談が始まった。
世代も文化的な背景も異なるが、人類の未来を憂える二人の心は共鳴した。生命論、歴史論、芸術論等々、談論は尽きず、博士の強い希望で、翌年5月、伸一は再びロンドンへ。2年越し40時間に及ぶ、この語らいは、その後、対談集『二十一世紀への対話』(邦題)として結実する。
博士は伸一に、対話こそ人類を結ぶものであり、“世界に対話の旋風を”と望んだ。以来、伸一は、世界の知性や指導者をはじめ、「世界との対話」を広げていく。人間を隔てるあらゆる障壁を超え、心を結び、世界を結んでいくのであった。
「羽ばたき」の章

欧米訪問から帰国した山本伸一は、6月には、関西・四国、北海道へ。7月、豪雨で大きな被害が出ていた東北へ向かう。
9日、仙台に到着した伸一は、被害が最も大きい秋田での記念撮影会を中止し、迅速に被災地域への激励の手を打つ。10日には山形を訪問し、記念撮影会に出席。さらに、翌11日には、秋田へ。同志の心に、苦難に負けない勇気の新風を送っていく。
また、中国地方をはじめ、各地に救援本部が置かれる。自らも被災しながら、救援に奮闘する学会員の姿に、感謝と信頼が広がっていった。
10月、総本山に伸一が発願主となって建立寄進した、日蓮大聖人ご遺命の戒壇となる正本堂が完成。民衆が人類の平和と繁栄を祈る、大殿堂である。世界の同志が集い、盛大な式典が挙行された。
しかし、1998年(平成10年)、創価の師弟の分断を企てた“法主”の日顕によって、正本堂は解体。それは、宗門による、800万信徒の赤誠を踏みにじる暴挙であった。
学会は、暴虐の嵐を勝ち越え、人間主義の世界宗教として、21世紀の大空へ羽ばたいていく。
「友よ強く」
友よ強く雄々しく立てよ
僕が信ずる君が心を
苦しき仕事 深夜の勉強
これも修行ぞ 苦は楽し
君が信念 情熱を
仏は じっとみているぞ
友よ負けるな希望を高く
僕が信ずる君が心を
努力 努力 また努力
あの日の誓い忘れるな
君の意気と若さとで
断じて進め あくまでも
友よ忘るな微笑を
僕が信ずる君が心を
清らかに 夢みつつ
進みゆく君が心の美しさ
ああ わが友よ強く
君が友よ
<1972年(昭和47年)2月20日、東京・荒川区の記念撮影会で、伸一が青年時代に作詩した「友よ強く」に曲を付けた歌を、高等部員が合唱する>
神奈川の会員宅を訪問した折のことである。その家の婦人から、家計を助けるために他県に働きに出ている、十代半ばの子息から来た手紙を見せられた。
手紙には、一部屋で数人が共同生活しており、勤行をするにも、大変に苦労していることがつづられていた。
――タオルと石鹼を持って、風呂に行くと言っては裏山に登り、そこで勤行をしているというのである。
手紙を読み終えると、伸一は直ちにペンを執った。(中略)それが、「友よ強く」であった。
(「入魂」の章、105ページ)
【山本伸一の平和旅】 1972.4.29-5.28


※日付(現地時間)は到着の日

イギリス・オックスフォード近郊にあるブレナム宮殿を見学(5月10日)

パリのベルサイユ宮殿を視察(5月13日)
※日付(現地時間)は到着の日

ワシントン会館での記念撮影の折、未来部のメンバーを激励(5月16日)

ロサンゼルス市内で開催された全米総会(5月21日)
トインビー博士との対談

トインビー博士と対談する池田先生(1973年5月、ロンドンで)
池田先生とトインビー博士の対談集は現在、世界29言語で出版されている。世界の識者にも愛読され、同書を教材として使用する海外の学校もある。
「すでに(高い評価の定まった)『古典』の中に入った」(モスクワ大学のサドーヴニチィ総長)、「人類の教科書ともいえる一書」(中国作家協会の孫立川氏)など、高い評価が寄せられている。

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