聖教編 21年04月17日
燃やせ!「聖教魂」勝利の凱歌高らかに
希望を紡ぎ出す“人間の機関紙”


<1960年(昭和35年)10月、山本伸一は北南米を初訪問する。ニューヨーク・タイムズ社の見学に向かう秋月英介に、伸一は語った>

伸一は、かつて戸田城聖が、しばしば「聖教新聞を日本中、世界中の人に読ませたい」と語っていたことが、心に焼きついていた。

その言葉を、必ず実現せねばならないと誓ってきた。そして、そのために、いかにして、聖教新聞を世界的な新聞に育て上げようかと、常に心を砕いていたのである。(中略)

「聖教は学会の機関紙だが、私は、同時に、人間の機関紙という考え方をしているんだよ」

「人間の機関紙ですか」

「そう。人間の機関紙だよ。一般の新聞は、暗いニュースに満ちている。それは、社会の反映だから仕方がないにしても、そうした社会のなかで、人びとが、どうすれば希望を見いだしていけるのか、歓喜をわき立たせていくことができるのかを考え、編集している新聞はない。また、人生の苦悩に対して、いかに挑み、克服していくかを教えている新聞もない。しかし、社会が最も必要としているのは、そういう新聞だ。

それをやっているのは、聖教新聞だけじゃないか。そう考えていけば、聖教新聞はまさに“人間の機関紙”という以外にないじゃないか」(中略)

「聖教新聞の使命は極めて大きい。学会にあっては、信心の教科書であり、同志と同志の心をつなぐ絆になっていかなくてはならない。また、社会にあっては、不正、邪悪と戦い、仏法の慈光をもって、まことの人間の道を照らし、万人に幸福と平和への道を指し示していく使命がある。軍部政府と命をかけて戦った、牧口先生、戸田先生の精神を受け継ぐ学会の機関紙以外に、本当の平和の道は語れないからね」
(第1巻「慈光」の章、245~246ページ)

師の生命脈打つ“同志への手紙”

<51年(同26年)4月20日、聖教新聞が創刊された。当時、新宿区百人町にあった大東商工の事務所が、創刊号の編集作業室にあてられた>

事務所といっても、戦時中、レンズの製作をしていた町工場の建物であった。部屋はがらんとして、すきま風が吹き抜け、作業にあたるメンバーは、皆、寒さに震えた。

この編集室で戸田は、すさまじい勢いで健筆を振るった。
創刊号では、一面トップの論文「信念とは何ぞや?」を書いた。さらに、妙悟空というペンネームを使って、小説『人間革命』の連載を開始したのをはじめ、コラムの「寸鉄」などを、執筆していった。

創刊から一カ月余りが過ぎたころ、大東商工は市ケ谷駅近くの市ケ谷ビルの二階に移り、聖教新聞の編集室も、同じ建物に移転した。机を二つ並べると、いっぱいという狭い部屋であった。山本伸一も創刊以来、懸命に筆を執った。幹部の人物紹介の記事も書けば、バイロン、べートーベン、ナポレオンなど、歴史上の人物の生き方を論じる原稿も書いた。

(中略)

時には、誤報や悪質なデマを打ち破るために、自ら勇んで正義の論陣を張った。広宣流布は言論戦である。横行する「悪」を見ながら、沈黙し、放置しておけば、「悪」は際限なく増長する。「正義」なれば、断じて「悪」と戦い、勝たねばならない。「正義」が敗北すれば、民衆が深い闇の底に突き落とされることになる。

戸田城聖も、山本伸一も、“聖教新聞は、わが愛する同志への手紙だ”との思いで、生命を刻みつけるように、原稿を書きつづっていった。
(第14巻「大河」の章、362~364ページ)

配達員さんの労苦に敬意と感謝

<78年(同53年)1月25日、伸一は、奈良支部結成17周年記念幹部会に出席。彼は豪雪地帯などで新聞を配ってくださっている方をはじめ、全ての配達員に、深い感謝の思いを抱いていた>

伸一は、(中略)“配達員の皆さんが、どれほど大変な思いをしているか”と、心を痛めながら、真剣に、御本尊に無事故を祈ったのである。奈良の幹部会で彼は、「聖教新聞」の使命についても言及していった。

「『聖教新聞』には、仏法哲理がわかりやすく説かれ、広宣流布の意義、信心の指導、教学の解説等が、掲載されております。それは、人生観、生命観、宇宙観を究め、仏法の法理を人生・生活に具現していくための、まことに重要な手引となる機関紙です。

また、日蓮大聖人の法門を実践しゆく規範であり、大切な人生行路の指針といえます。

その機関紙を、朝早く、寒風の日も、雪の日も、黙々と配達してくださる“無冠の友”に、私は最大の敬意と感謝の念をもって讃嘆したいのであります」

(中略)

「広宣流布のために人一倍苦労されている方々が、幸せになれないわけがありません。必ず、大福運の人、大長者となります。長い目で見てください。仏法の因果の理法には、断じて噓などありません!」

真の仏法者とは、自らが本来、仏であると確信している人である。一切衆生が仏であると信じる人である。仏法で説く、生命の因果の法則を、わが信念としている人である。

それゆえに何ものをも恐れず、それゆえに人を敬い、それゆえに喜々として労苦を担い、信心は即人格となって輝きを放つ。
(第26巻「勇将」の章、311~312ページ)


寸暇を惜しんで原稿用紙にペンを走らせる池田先生(1990年4月、東京・信濃町の旧・聖教新聞本社)

「聖教新聞 師弟凱歌の碑」より
広宣流布とは言論戦である。
仏法の真実と正義を叫ぶ、
雄渾なる言葉の力なくして、
創価の前進はない。