北米編 2020年08月28日
信仰とは 何ものにも勝ち乗り越えていく 人生行路のエンジンだ

“信仰とは 何ものにも勝ち乗り越えていく 痛快なる人生行路のエンジンだ”――池田先生は長編詩「我が愛するアメリカの地涌の若人に贈る」に詠んだ。北米の地には今、師の心を継ぐ青年が陸続と誕生している(2018年9月、ニュージャージー州ニューアーク市)

布教は友の幸福願う慈悲の行為

<1963年(昭和38年)1月、山本伸一は、ハワイ・ホノルルでのハワイ支部の結成式を兼ねた大会で、自身の若き日の広布の闘争を通して指導する>

「私が入会した時、青年部員は、実質七人しかおりませんでした。私は、そのメンバーを見ながら、“いつの日か、日本一の最高最大の青年の集いにしていこう。誰がやらなくても私はやろう”と決意し、戸田先生に誓いました。

そして、今、学会は、男子部だけでも五十六万人となり、実際に、日本最大の青年集団となっています。使命を自覚した、真剣な一人がいれば、本物の師子がいれば、そこから、すべては広がっていきます。

さて、布教は、友の幸福を念じ、自分の信ずる最高の教えを、最高の生き方を教えていく、崇高な慈悲の行為です。ゆえに、布教をしていけば、真の友情と信頼が生まれます。さらに布教のなかにこそ、真実の仏道修行があり、人間革命がある。なぜならば布教は、自分の臆病な心や生命の弱さを打ち破るという、自己自身との戦いから始まるからです。

懸命に、わが友に仏法を語り抜いていくならば、歓喜がみなぎり、自身の境涯が開かれていきます。その時に、地涌の菩薩の大生命が、わが胸中に脈打っていくからです。この弘教のなかにこそ、自らの人間革命があり、自身の、さらに社会の宿命を転換し、永遠の幸福と平和を築きゆく直道があります。ゆえに、私は、ハワイに弘教の大法旗よ翻れと、訴えたいんです」
(第7巻「萌芽」の章、125~126ページ)

唱題は無限の可能性開く原動力

<1月、伸一は、アメリカ・ニューヨークでのニューヨーク支部の結成大会となる総会に出席し、訴える>

「アメリカは自由の国であり、民主主義の国です。(中略)

しかし、自由であればあるほど、また、民主の理想に生きるならば、自分で自分を律して、自らの心を鍛え上げていかなければならない。そうでなければ、欲望の奴隷となり、見せかけの華やかさや、目先の利益だけを追い求め、真実の幸福とはほど遠い、人生となってしまう。

そうした弱い自分の心を、生命を鍛えて、人格を磨いていくことが人間革命であり、それなくしては、真実の幸福の軌道を邁進していくことはできません。そして、その人間革命を可能にする大哲理が、日蓮大聖人の仏法です。

ゆえに、人間の幸福につながる、自由の模範を築くうえからも、アメリカに、このニューヨークに、仏法を流布していく意義は、極めて大きいといえます。

一方、国際政治のうえでも、アメリカは西側陣営のリーダーです。それだけにアメリカの対応のいかんによって、昨年秋の“キューバ危機”のように、いつ、核戦争に発展するかわからないという、厳しい現実があります。そのアメリカに仏法を流布することは、核を廃絶する根本の哲学が広まることであり、世界平和の大潮流をつくることになります。(中略)

ケネディ大統領は、“ニューフロンティア”(新開拓)を訴えてきましたが、学会の精神も開拓にある。信心とは、自分自身の生命の開拓であり、無限の可能性の開拓であり、広宣流布の開拓です。

その原動力は唱題であり、強盛な祈りです。そして、果敢に、粘り強く、挑戦を重ねていくことです」
(第7巻「萌芽」の章、180~182ページ)

差別撤廃のカギは「心の改革」に

<65年(同40年)8月、アメリカのロサンゼルスで、人種差別に端を発する暴動が勃発。これを受け、理事長の十条潔は、ロサンゼルスを訪問予定だった伸一に、渡航の延期を促す>

伸一は、きっぱりと言った。

「そういうわけにはいかないんだ。みんなの気遣いはありがたいし、気持ちもよくわかるが、私は、今こそ、ロスに行き、メンバーを全力で励まさなければならない。今こそ、アメリカの同志に、立ち上がってもらいたいんだ。

こうした騒ぎが、なぜ起こったのか。その原因は、不当な人種差別にあることは明白だ。

差別をなくすことは、黒人(アフリカ系アメリカ人)の悲願であった。また、心ある政治家も、差別の撤廃に取り組んできた。そして、黒人の公民権を保障する法律も、ようやく整ってきた。

しかし、法のうえで平等が定められても、依然として差別はなくならないのはなぜか。

差別は、人間の心のなかにあるからだ。法の改革から、人間の心の改革へ――アメリカ社会を、真実の自由と民主の国にしていくには、そこに向かって、進んでいかざるをえない」(中略)

「その人間の心の改革を、生命の改革を可能にするものは、断じて仏法しかない。

アメリカの野外文化祭が行われる八月十五日は、日本と時差はあるが、終戦二十周年の記念日だ。私は、この日を、民衆の本当の幸福と平和の哲学である仏法の旗を、アメリカの大地に、高らかに打ち立てる日にしたい」
(第10巻「幸風」の章、100~101ページ)

広布の実践こそ世界平和の基盤

<81年(同56年)6月、伸一はカナダを訪問。トロントでのカナダ広布20周年記念総会の席上、各国で政府要人や有識者と会談を重ねてきた意義を語る>

「そこでは、人類にとって平和こそが最も大切であることを訴え続けてきました。

万人が等しく『仏』の生命を具えていると説く仏法こそ、生命尊厳を裏づける哲理であり、平和思想の根幹をなすものです。また、そこには、他者への寛容と慈悲の精神が脈動しています。(中略)

私は、政治家でも、外交官でも、また、経済人でもありません。しかし、平凡な一市民として、一個の人間として、仏法を根底に、平和実現のために対話を続けています。

それは、人間は等しく尊厳無比なる存在であると説く仏法の精神を、あらゆる国の人びとが共有し合い、国境を超えた友情の連帯を強めていくことこそ、最も確実なる平和への道であると確信するからです」

根が深く、しっかりしていてこそ、枝は伸び葉も茂る。平和運動も同じである。多くの人が平和を願い、平和を叫びはする。しかし、根となる哲理なき運動ははかない。私たち創価学会の平和運動には、生命の尊厳を説き明かした、仏法という偉大なる哲理の根がある。人間一人ひとりを「仏」ととらえる仏法の法理に立てば、絶対に人の生命を、生存の権利を奪うことなどできない。(中略)

この生命尊厳の法理を、つまり、妙法という平和の種子を、人びとの心田に植え続けていくことこそが広宣流布の実践であり、それが、そのまま世界平和の基盤になることを、伸一は強く確信し、実感していた。
(第30巻<下>「暁鐘」の章、34~35ページ)