きょう「国際看護師の日」 生命守る尊き皆さまに感謝2020年5月12日
近代看護の母・ナイチンゲールの生誕200周年に当たる、きょう5月12日は「国際看護師の日」。ここでは、看護に携わる皆さまへの感謝を込め、池田先生が2000年(平成12年)7月、白樺の友に贈った長編詩「生命の天使 気高き希望の魂!」の抜粋を紹介する。(全文は『池田大作全集第44巻』所収「月光の城」を参照)

北海道研修道場内にある白樺の林(1994年8月、池田先生撮影)。白樺は「パイオニアツリー(先駆樹)」と呼ばれ、伐採後の荒れ地や山火事の後などでも真っ先に育つ、生命力の強い木。その姿は、白樺の友の象徴である
私の手は
多くの人々の
尊い生命を
護る武器である。
私の無音の
落ち着いた行動は
病と戦い続け
苦しみ抜いている
人々のために ありたい。
私の この細い腕は
病苦という悪魔を
断ち切る
長剣の腕である。
◇
有名な『星の王子さま』の作家
サン・テグジュペリは
こう語っている。
「人間は
障害と力を競い合うとき
自分自身を発見する」と。
白衣の天使!
それは
憧れや見栄の名前ではない。
現実は
そんな甘いものではない。
◇
悲嘆の涙を分かちながらの
同苦の激務を
人々は深くは知らない。
ある時は
「だいぶ良くなりましたよ」
「もうすぐですからね」と
爽やかな薫風のように
疲労した旅人を包容する。
ある時は
「たくましく生きなさい」
「雄々しく戦いなさい」と
母の叱咤のごとく
姉の励ましのごとく
回復へのエールを送る。
「生老病死」という
根本の命題を見据えての
貴女の哲学は
いかなる運命に
もてあそばれる不安をも
情熱に変えていく力を与える。
◇
疲れ果てても
天使の両の眼は
目に見えぬ患者の生命と
深く交流する。
そして
精密なる脈拍を取りながら
闇の中から
光の方向へと
導きゆく尊き力よ!
共に勝った時には
病者の微笑みが輝き
胸深く栄光に溢れた
自らの使命に喝采する。

北海道・函館研修道場にある「白樺の碑」。「偉大なる 慈悲の溢るる 使命ある あゝ 白樺の 白衣の天使は」との池田先生の和歌が刻まれている
わが白樺グループの結成は
一九六九年(昭和四十四年)の
六月六日であった。
この日は
牧口初代会長の誕生の
記念日である。
わが身を燃やして
光明を供養した
薬王菩薩のごとく
不惜身命で殉教なされたのが
牧口先生であった。
白樺の薬王の生命は
常に この創価の父と共に
赫々と光彩を放つ。
あの日 あの時の新出発に
私は 妻と共に
深く深く心に念じた。
そして 強く強く祈った。
「大切な大切な
白樺の方々こそ
誰よりも御健康で
誰よりも御長寿で
誰よりも素晴らしき
人生を生き抜かれゆくことを!」
そして 門出を祝して
私は一言 綴り贈った。
「わが使命として
病める人
心の傷ついている人を
どうか 励ましていただきたい。
それは 政治家にも
著名人にも でき得ぬ
根本的な慈愛の
貴女たちの尊い叫びしかない」と。
いま 嬉しくも
幾千 幾万もの
生命の天使たちが活躍する。
女子部は
「白樺グループ」として
婦人部は
「白樺会」として
はつらつと 来る日来る日を
厳粛に戦って
立ち上がっておられる。
貴女の果てなき
動かぬ執念の心は
曖昧な動揺を超克しながら
確実な 平癒の
地平線を見つめつつ
静かな表情に
深い荘厳な姿が映える。
無数の同志が
日々 お世話になり
「白樺の人」と聞くと
誰もが 安心する。
◇
私は詠み捧げた。
「人の世に
希望の世紀を
作らむと
菩薩か 佛か
貴女の姿は」
「諸天らよ
尊き使命の
白樺を
断固と護れや
永遠に誉めゆけ」
人気のない病室。
沈黙のこもる病室。
重苦しい病室。
社会から
取り残されたような病室。
真夜中の疲れた
慌ただしい自身を
再び燃え上がらせゆかんと
貴女は
おごそかな暁に祈り戦う。
複雑な変化に対応しながら
達人のごとく
瞳を そして身体を
動かし始めゆく
その振る舞いは
まさしく健康博士!
文豪サン・テグジュペリは
こうも綴っている。
「自分自身に
徹すれば徹するほど
人間は偉大になる」
最も 心強く
最も 心優しく
最も 心広く
最も 心賢く
最も 心健全なる
貴女よ!
賢明なる才知と
機敏なる動作で
生命を慈しむ
ナイチンゲールの魂は
天使よりも気高き
聖女であると謳った
詩人がいた。
誰言うとなく
寒風の中を
尊く
芯強く 尊く
真っ直ぐに伸びゆく
白樺の木を思い出す――と。
ああ
天女の姿よ!
自らの手柄も
自らの名誉も
自らの誇りも
自らの苦渋の時間も
自らの未来の幸福も
すべて病者のために!
あの顔 この顔を
覗き 見つめ
見守りながら
皆の「健康長寿」という
己の夢の実現の主体者として
明け暮れゆく
慈愛の女王たちよ!
二〇〇〇年七月十二日
世界桂冠詩人
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