第44回「SGIの日」記念提言 上 (2)
安心感と未来への 希望を育む「人間中心の多国間主義」を
仏法に脈打つ「同苦」の精神がSGIの平和運動の源流
生命尊厳の思想に基づく共生の世界を!──環境運動家のワンガリ・マータイ博士との対話では、人類に新しい希望の光を送るアフリカの使命などについて語り合われた(2005年2月、東京・信濃町の聖教新聞本社で)
またヒンケル氏は別の講演で、極度の貧困に陥った人々の窮状について、こう述べていました。
「一日一日の生存さえ──まさしく『一日一日』であって、『一時間一時間』とさえいいうるのだが──保証されないとしたら、人はいかにして生活に喜びや意味 を見い出したり、人間的尊厳を維持しながら生活を送ることができるだろうか。明日を迎えるのが精一杯というような生活が主たる関心事であるとしたら、人はいか にして未来に懸け、他者との絆を築くことができるだろうか」(「疎外、人間の尊厳、責任」、「日本国際問題研究所創立40周年記念シンポジウム報告書」所収)と。
私はそこに、従来の安全保障では見過ごされてきた人々の苦しみの深刻さを、痛切に感じるのです。
その辛い思いは、貧困や格差に苦しむ人々だけでなく、紛争のために難民生活を強いられた人々や、災害によって避難生活を余儀なくされた人々をはじめ、世界の 多くの人々が抱えているものではないでしょうか。
アフリカで広がる画期的な難民支援
その意味で私は、同じ地球に生きる一人一人が「意味のある安心感」を抱くことができ、未来への希望を共に育んでいける世界を築くことこそ、「人間中心の多国 間主義」の基盤にあらねばならないと訴えたい。
とはいっても、この挑戦はゼロからの出発ではありません。多くの深刻な問題に直面してきたアフリカで、意欲的な取り組みが始まっているアプローチだからです。
その契機となったのが、2002年のアフリカ連合(AU)の発足でした。
人道危機に対応するための協力が模索される中、7年前には「AU国内避難民条約」が発効しています。
これは他の地域には見られない先駆的な条約で、国内避難民の保護を地域全体で支えることを目指したものです。
また、難民支援の面でも特筆すべき動きがみられます。 例えばウガンダでは、南スーダンなどの紛争国から逃れた110万人もの難民を受け入れてきましたが、難民の人々は移動の自由と労働の機会が認められているほ か、土地の提供を受け、医療や教育も受けられるようになっています。
ウガンダの多くの国民が紛争の被害に苦しみ、難民生活を送った経験を持ち、その時の思いが、難民の人々を支える政策の基盤となっているのです。
このほか、タンザニアでも注目すべき取り組みがありました。
タンザニアでは、周辺の国々から避難した30万人以上の難民の人々が生活していますが、その難民の人々と地域の住民が協力して、苗木を栽培する活動が行われてきたのです。
この活動は、薪を得るために森林伐採が進み、自然環境の悪化が懸念される中で始まったもので、難民キャンプとそのキャンプがある地域に約200万本の木々が 植えられてきました。
アフリカの大地に新たに植えられた、たくさんの緑の木々──。その光景を思い浮かべる時、私の大切な友人で、アフリカに植樹運動の輪を広げたワンガリ・マー タイ博士が述べていた言葉が胸に迫ってきます。
「木々は土地を癒し、貧困と飢えのサイクルを断ち切る一助になります」
「そして、木々は素晴らしい平和のシンボルです。木々は生き、私たちに希望を与えてくれます」(アンゲリーカ・U・ロイッター/アンネ・リュッファー『ピー ス ウーマン』松野泰子・上浦倫人訳、英治出版)
難民の人々にとって、新しく生活を始めた場所で栽培を手伝った木々の存在は生きる希望の象徴となり、「意味のある安心感」につながるものとなっているのでは ないでしょうか。
私は、“最も苦しんだ人こそが最も幸せになる権利がある”との信念に基づき、21世紀は必ず「アフリカの世紀」になると、半世紀以上にわたって訴え続けてきました。
世界で求められている「人間中心の多国間主義」のアプローチの旭日は、今まさにアフリカから昇ろうとしているのです。
無関心と無慈悲が苦しみを強める
現在、国連難民高等弁務官事務所が支援する難民の3割以上が、アフリカの国々で生活をしています。
国連で先月採択された、難民に関するグローバル・コンパクト=注3=でも呼び掛けられたように、大勢の難民の人々を受け入れ国だけで支えるのは容易ではなく、 国際社会をあげて難民への支援とともに、受け入れ国に対する支援を強化することが欠かせません。
ともすれば、難民問題や貧困の問題にしても、その悲惨さに直面していない場合、“自分たちの国には関係がない”とか“自分たちの国の責任ではない”と考えてしまう傾向がみられます。「人間中心の多国間主義」は、こうした国の違いという垣根を超えて、深刻な脅威や課題に苦しんでいる人々を救うことを目指すアプローチなの です。
仏法の出発点となった釈尊の「四門出遊」の説話には、この意識転換を考える上で示唆を与えるメッセージがあると、私は考えます(以下、『ゴータマ・ブッダI』、『中村元選集[決定版]』第11巻所収、春秋社を引用・参照)。
古代インドの時代に、王族として生まれた釈尊は、政治的な地位と物質的な豊かさに恵まれる中で、寒さや暑さに悩まされることも、塵や草や夜露によって衣服が汚れることもない生活を送り、多くの人が王族に仕えてくれる環境の下で青年時代を送りました。
しかしある日、城門から出た釈尊が目にしたのは、病気や老いを抱えて苦しむ人々や、道端で亡くなっている人の姿でした。
その姿に激しく心を動かされた釈尊は、自分も含め、人間であるならば誰しも生老病死の苦しみは逃れがたいものであることを、まざまざと感じたのです。
釈尊が胸を痛めたのは、生老病死の悩みもさることながら、多くの人がそれを“今の自分とは関係のないもの”と考えて、苦しんでいる人々を忌み嫌ったり、厭う気持ちを抱いてしまっていることでした。
後に釈尊は当時を回想し、そうした人間心理について次のように述べました。
「自分が老いゆくものであって、また、老いるのを免れないのに、他人が老衰したのを見ると、考えこんで、悩み、恥じ、嫌悪している──自分のことを看過して」
こうした言葉を通し、釈尊は「老い」だけでなく、「病」や「死」に対しても同じ心理が働きやすいことを喝破しました。他者の苦しみを自分とは無縁のものと思い、嫌悪の念すら抱く──この人間心理を、釈尊は「若さの驕り」「健康の驕り」「いのちの驕り」として戒めたのです。
それらの驕りを、“人間と人間との心の結びつき”の観点から見つめ直してみるならば、驕りから生じる無関心や無慈悲が、人々の苦しみをより深刻なものにしてし まうという問題が、浮かび上がってくるのではないでしょうか。論をはじめ、“人々に苦しい思いをさせたとしても、自分の知るところではない”といった道徳否定論が横行しやすい面があります。
こうした考えに対して釈尊は、人間が生きる上でさまざまな苦しみに遭うことは避けられないとしても、自身の内なる可能性を開花させることで、人生を大きく切り開いていくことができると強調しました。
そしてまた、困難を抱える人々に対し、同苦して寄り添い、励まし支えていく縁を紡ぎ合う中で、安心と希望の輪を広げることができると強調したのです。
この仏法の眼差しは、生老病死の悩みにとどまらず、社会でさまざまな困難に直面している人々にも向けられたものでした。
例えば、ある大乗仏教の経典(優婆塞戒経)には次のような一節が説かれています。
「乾燥した場所には、井戸をつくり、果樹林を植え、水路を整備しよう」
「年配の人や子どもや体の弱い人が困っていれば、彼らの手をとって助けよう」
「住んでいた土地を失ってしまった人を見かけたら、親身な言葉をかけて寄り添おう」
これらの言葉は、自分も同じ苦しみに直面するかもしれない一人の人間として、“自分だけの幸福もなければ、他人だけの不幸もない”との心で「自他共の幸福」を目指していく、仏法の精神の一つの表れといえるものです。
私どもがFBO(信仰を基盤とした団体)として、平和や人権、環境や人道などの地球的な課題に取り組む上での思想的源流となってきたのも、こうした他者の苦 悩に「同苦」する精神に他なりませんでした。
釈尊が洞察した、老いや病や死を自分に関係がないものとして厭い、苦しみを抱える人に冷たく接してしまう心理──。それはまた、貧困や飢餓や紛争で苦しんで いる人々を、自分が直面する問題ではないからと意識の外に置いてしまう心理と、底流において結びついているのではないかと思えてなりません。
環境問題が促す安全保障観の転換
この問題を考える時、先に触れた国連広報局/NGO会議の成果文書の中にも、「私たち民衆は、ナショナリズムかグローバリズムか、いずれかしかないといった誤った選択を拒否する」との言葉があったことが想起されます。
自国第一主義に象徴されるようなナショナリズムを追求すればするほど、「排他」の動きが強まることになり、経済的な利益を至上視するグローバリズムを進めれば進めるほど、「弱肉強食」的な世界の傾向が強まってしまいます。
そうではなく、深刻な脅威や課題に直面する人々を守ることに主眼を置いた「人間中心の多国間主義」のアプローチを、すべての国々が選び取って共に行動を起こ していく時代が来ていると思うのです。
安全を守る防衛の歴史には、“城壁を堅固に築けば、自分たちは安全である”との思想がみられますが、そうした考えは現代においても、“軍事力で防御された国境の内側にいる限り、自分たちの安全は確保できる”といった形で受け継がれてきたといえましょう。
しかし一方で、気候変動をはじめとする地球的な課題の多くは、国境を越える形で被害が及ぶものであり、新しいアプローチでの対応が欠かせないのではないでしょうか。
こうした中、ラテンアメリカとカリブ海諸国が、昨年3月、環境に関する権利を地域全体で守ることを目指す、「エスカス条約」という画期的な枠組みを採択しました。
この地域では、ハリケーンによる災害や、海洋の酸性化などの問題を抱えてきました。そこで、条約を通じて地域間の協力を強化するとともに、環境問題に取り組 む人々を共に守り、重要な決定をする場合には多様な意見に耳を傾けることを義務づけるという、「人間中心」の方針が打ち出されたのです。
変革の波を世界に巻き起こす「青年による関与」を主流化
自分にしかできない行動が厳しい現実を突き破る力に
南米・コロンビアで開催された、東京富士美術館所蔵の「日本美術の名宝」展。相次ぐ テロ事件で緊迫する中、同国を訪問した池田SGI会長は、東京富士美術館の創立者として開幕式に出席した(1993年2月、ボゴタ市の国立博物館で)
加えて、グローバルな規模でも注目すべき動きが始まっています。
国連環境計画が2年前に開始した「クリーン・シー・キャンペーン」で、海洋汚染を引き起こしてきたプラスチックごみの削減を目指す運動です。
現在までに50カ国以上が参加し、対象となる海岸線は世界全体の6割を超えるまでになりました。
これまで“海岸線を守る”というと防衛的な観点が前面にあったといえますが、今やそこに、“国の違いを超えて海洋を保護し、生態系を共に守る”というまったく新しい意味合いが生じつつあるのです。
歴史を振り返れば、現代にもつながる排他的なナショナリズムと、利益至上主義のグローバリズムの端緒となったのが、19世紀後半から世界に台頭した帝国主義 でした。
創価学会の牧口常三郎初代会長は、その嵐が吹き荒れた20世紀の初頭(1903年)に、他国の民衆を犠牲にして自国の安全と繁栄を追い求める生存競争から脱して、各国が人道的競争に踏み出すべきであると訴えていました。
そしてその要諦を、「他のためにし、他を益しつつ自己も益する方法を選ぶにあり。共同生活を意識的に行うにあり」(『牧口常三郎全集』第2巻、第三文明社、 現代表記に改めた)と強調したのです。
この軸足の転換は、現代の世界で切実に求められているものだと思えてなりません。
人道危機や環境協力の分野で助け合う経験を重ねることは、「平和不在」の病理がつくりだした対立と
緊張の荒れ地に、信頼と安心の緑野を広げるための処方箋となるはずです。その先には、対抗的な軍拡競争から抜け出す道も開けてくるのではないでしょうか。
今年の9月には、国連で「気候サミット」が開催されます。
世界全体が「人間中心の多国間主義」へと大きく踏み出すための絶好の機会であり、“同じ地球で生きる人間の生命と尊厳にとって重要な協力とは何か”に焦点を当 て、温暖化防止の取り組みの強化を図るとともに、安全保障観の転換を促す機運を高める出発点にしていくことを、私は強く呼び掛けたいのです。
国連事務総長の学生への呼び掛け
最後に、軍縮を進めるための第三の足場として提起したいのは、「青年による関与」を主流化させることです。
国連では今、多くの分野で青年がキーワードになっています。
その中核となるのが、昨年9月に始まった「ユース2030」の戦略です。世界18億人の青年のエンパワーメント(内発的な力の開花)を進めながら、若い世代 が主役となってSDGsの取り組みを加速させることが目指されています。
人権の分野でも新しい動きがありました。
来年からスタートする「人権教育のための世界プログラム」の第4段階で、青年を重点対象にすることが決まったのです。
私も昨年の提言で、その方向性を呼び掛けていただけに、第4段階の活動が多くの国で軌道に乗ることを願ってやみません。
青年の重要性が叫ばれているのは、軍縮の分野も例外ではなく、グテーレス事務総長が主導した「軍縮
アジェンダ」で明確に打ち出されています。何より事務総長の思いは、その発表の場として国連本部のような外交官の集まる場所ではなく、若い世代が学ぶジュネーブ大学を選んだことにも表れていました。
グテーレス事務総長は、こう呼び掛けました。
「この会場におられる学生の皆さんのような若者は、世界に変革をもたらす最も重要な力です」
「私は、皆さんが自分の力とつながりを利用し、核兵器のない世界、兵器が管理、規制され、資源がす
べての人に機会と繁栄をもたらすように使われる世界を求める ことを希望しています」(国連広報センターのウェブサイト)
その強い期待を胸に事務総長は、長年にわたり未解決となってきた核兵器の問題だけでなく、若者たちの未来に深刻な脅威を及ぼす課題として、新しい技術が引き起こす紛争の危険性を学生たちに訴えたのです。
なかでも事務総長が深い憂慮を示していたのが、サイバー攻撃の脅威でした。サイバー攻撃は、軍事的な打撃を与えるものにとどまらず、重要インフラへの侵入で 社会的な機能を麻痺させることを目的にした攻撃など、多くの市民を巻き込み、甚大な被害を及ぼす危険性を持つものです。
このように現代の軍拡競争は、戦闘の有無にかかわらず、日常生活にまで及ぶ脅威を招いています。
しかも、その深刻さは、平和や人道に対する脅威だけにとどまりません。 人間の生き方、特に青年に及ぼす影響の観点から見つめ直してみるならば、軍拡の問題があまりにも複
雑で巨大になってしまったがゆえに、現実を変えることはで きないといった“あきらめ”を蔓延させる点に、根源的な深刻さがあるのではないでしょうか。
社会の土壌を蝕む“あきらめ”の蔓延
「平和不在」の病理の克服を訴えたヴァイツゼッカー博士が、何より懸念していたのもこの問題でした(前掲『心の病としての平和不在』)。
博士は、制度的に保障された平和の必要性を訴える自分の主張に対し、寄せられる非難として二つの類型を挙げました。
一つは、「われわれは平和の中で暮らしているではないか。大規模な兵器こそが平和をまもっているのだ」との非難です。
もう一つは、「戦争はいつの時代にもあったし、またこれからもあるだろう。人間の自然とはそういうものだ」との非難でした。
奇妙なことに二つの非難は、しばしば同じ人間が発する言葉でもあったといいます。つまり、「同じ人が、一方では平和の中で暮らしていると考え、他方では、平 和は単なる聞き届けられない願望であるといっている」と。
そこで博士は、本人でも気づかない矛盾がなぜ起こるのかについて考察を進めました。
注視し続けることが困難な問題を前にした時、人間にはそれを頭の中から押しのけようとする心理が働く。その心の動きは、ある場合には精神の均衡を保つために必要かもしれないが、「生存に必要な判断」が求められる時に、果たしてそれで良いのだろうか。
それは、「わたしたち人間が、平和をつくり出すようになるためにはなにがなされねばならないか。なにを実行しなければならないか」について、真摯に考えようとする取り組みを足止めしてしまうのではないか──というのが、博士の問題提起だったのです。
この考察から半世紀が経った今なお、核抑止を積極的に支持しないまでも、安全保障のためにはやむを得ないと考える人々は、核保有国や核依存国の中に少なくあ りません。
核戦争が実際に起こらない限り、「大規模な兵器こそが平和をまもっているのだ」と考え、核の脅威から目を背けていても、一見、何の問題もないようにみえるかも しれない。
しかし、核問題に対する“あきらめ”が蔓延していること自体が、社会の土壌と青年たちの未来を蝕みかねないことに目を向ける必要があります。
核抑止に基づく安全保障は、ひとたび戦端が開かれれば、他国と自国の大勢の人々の命を奪い去る大惨事を招くだけではない。核兵器が使用される事態が起きな くても、核の脅威の下で生きることを強いられる不条理は続き、核兵器の防護や軍事機密の保護が優先されるため、国家の安全保障の名の下に自由や人権を制限する 動きが正当化される余地も常に残ります。
そこに“あきらめ”の蔓延が加われば、自分たちの身に自由や人権の侵害が降りかからない限り、必要悪として見過ごしてしまう風潮が社会で強まる恐れがあるから です。
ヴァイツゼッカー博士が懸念していた「平和不在」の病理がもたらす悪影響が、このような形で今後も強まっていくことになれば、次代を担う青年たちが健全で豊かな人間性を育む環境は損なわれてしまうのではないでしょうか。
立正安国論の精神
釈尊の教えの精髄である法華経に基づき、13世紀の日本で仏法を展開した日蓮大聖人が、「立正安国論」において、社会の混迷を深める要因として剔抉していた のも、“あきらめ”の蔓延でありました。
当時は、災害や戦乱が相次ぐ中で、多くの民衆が生きる気力をなくしていました。 その上、自分の力で困難を乗り越えることをあきらめてしまう厭世観に満ちた思想や、自己の心の平穏だけを保つことに専念するような風潮が社会を覆っていました。
その思想と風潮は、法華経に脈打つ教えとは対極にあるものに他なりませんでした。法華経では、すべての人間に内在する可能性をどこまでも信じ、その薫発と開 花を通じて、万人の尊厳が輝く社会を築くことを説いていたからです。
度重なる災害で打ちひしがれている人々の心に希望を灯すには何が必要なのか。 紛争や内戦を引き起こさないためには、どのような社会の変革が求められるのか──。
大聖人はその課題と徹底して向き合いながら、「如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには」(御書24ページ)と訴え、“あきらめ”の心を生じさせる 社会の土壌に巣くう病根を取り除く重要性を強調しました。
社会の混迷が深いからといって、あきらめるのではない。人間の内なる力を引き出して、時代変革の波を共に起こすことを呼び掛けたのが、大聖人の「立正安国論」 だったのです。
私どもは、この大聖人の精神を受け継ぎ、牧口初代会長と戸田第2代会長の時代から今日に至るまで、地球上から悲惨の二字をなくすために行動する民衆の連帯を 築くことを社会的使命としてきました。
こうした仏法の源流にある釈尊の苦に関する洞察について、「厭世的な気分というものはない」(『佛陀と龍樹』峰島旭雄訳、理想社)と評したのは、哲学者のカール・ヤスパースでした。
ヤスパースの著作の中に、“あきらめ”を克服するための方途を論じた考察があります(『実存開明』草薙正夫・信太正三訳、創文社)。
一人一人の人間が直面する逃れられない現実を「限界状況」と名づけたヤスパースは、「現存在としてわれわれは、限界状況の前に眼を閉ざすことによってのみ、それらを回避することができる」が、それは自身の内なる可能性を閉ざすことになると指摘しました。
私が重要だと感じたのは、ヤスパースが、限界状況といっても一人一人の人間にとって個別具体的なものであるからこそ、そこに打開の糸口を見いだせると洞察していた点です。
つまり、人間はそれぞれ、生まれや環境といった異なる人生を背負っており、その制約によって生きる条件が狭められるものの、限界状況を自覚して正面から向き合うことを決断すると、他の誰かとは代替できない個別の境遇という「狭さ」を、本来の自分に生きゆく生の「深さ」へと転換することができる、と。 その上でヤスパースは、「このような限界状況にあっては、客観的な解決などというものは永久にあるわけでなく、あるものは、その都度の解決だけである」と訴え、だからこそ自分自身でなければ起こすことのできない一回一回の行動の重みが増してくると強調したのです。
共存の道を開く
このヤスパースの呼び掛けは、冷戦時代から平和と共存の道を開くために行動してきた私自身の思いとも重なるものです。
冷戦対立が激化した1974年に、中国とソ連を初訪問した私に浴びせかけられたのは、「宗教者が、何のために宗教否定の国へ行くのか」との批判でした。
しかし私の思いは、平和を強く願う宗教者だからこそ、中日友好協会やモスクワ大学から受けた中国やソ連への招聘という機縁を無にすることなく、何としても友好交流の基盤を築きたいとの一点にありました。
“このようにすれば必ず成功する”といった万能な解決策など、どこにもなかった。 まさに、それぞれが「一回限りの状況」というほかない出会いと対話を誠実に重ねながら、教育交流や文化交流の機会を一つまた一つと手探りで積み上げてきたのです。
冷戦終結後も、どの国の人々も孤立することがあってはならないと考え、アメリカとの厳しい対立関係にあったキューバや、テロ問題に直面していたコロンビアなどを訪問してきました。自分は何もできることはないとあきらめるのではなく、“宗教者や民間人だからこそできることは必ずあるはずだ”との信念で各国に足を運んできたのです。
また、35年以上にわたって平和と軍縮のための提言を続け、市民社会の連帯を広げるための行動を重ねてきました。その大きな目標であった核兵器禁止条約が実現をみた今、私は自らの経験を踏まえて、世界の青年たちに呼び掛けたい。
一人一人が皆、尊極の生命と限りない可能性を持った存在に他ならず、国際社会の厳しい現実を、動かし難いものとして甘受し続けなければならない理由はどこにもない!──と。
エスキベル博士と共同で出した声明
昨年6月、世界の青年に向けて発表した、人権活動家のアドルフォ・ペレス=エスキベル博士との共同声明でテーマに掲げたのも、「もう一つの世界は可能である」 との信念であり、私たちはこう訴えました。
「幾百万、幾千万もの人々が、戦争や武力衝突の暴力、飢えの暴力、社会的暴力、構造的な暴力によって、生命と尊厳を脅かされている。困窮している人々に連帯し、その窮状を打開するために、我々は両手だけでなく、考え方と心を大きく広げなければならない」
共同声明で言及したように、そのモデルとなる挑戦こそ、若い世代の情熱と豊かな発想力によって核兵器禁止条約の採択を後押しし、ノーベル平和賞を受賞したI CAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)の取り組みでした。
ICANの発足以来、国際パートナーとして共に行動してきたSGIでも、中核を担ってきたのは青年部のメンバーです。
SGIでは2007年から「核兵器廃絶への民衆行動の10年」の活動を立ち上げ、日本の青年部を中心に核兵器廃絶を求める512万人の署名を集めました。 イタリアでも、青年部を中心に「センツァトミカ(核兵器はいらない)」キャンペーンに協力し、同国の70都市以上で意識啓発のための展示を開催してきました。 またアメリカでは学生部が、2030年までに核兵器廃絶を目指す「私たちの新たな明るい未来」と題する対話運動を、全米各地の大学などを舞台に活発に行ってきました。
これらの活動の一部は、国連に昨年提出した報告書でも紹介したところです。
安全保障理事会が2015年に採択した「2250決議」では、青年が平和構築と安全保障に貢献している事例を調査し、安保理と加盟国に報告するよう定めており、私どもの青年部の活動は、その「2250決議」に関する進捗研究でも言及されています。
青年部がまとめた報告書では、SGIの「核兵器廃絶への民衆行動の10年」の取り組みを総括して、次のように記しています。
「青年たちが運動に加わることで、核兵器の問題を意識していない人々にも裾野が広がり、すでに運動に参加している人々に更なる活力を与える波及効果がある」
人々の心に時代変革の思いを呼び起こし、共に強め合う──私は、その「共鳴力」の発揮に、青年の真骨頂があると訴えたい。
核兵器禁止条約の早期発効はもとより、その発効の先にある大きな課題、すなわち、核保有国や核依存国の参加を促し、核兵器の廃棄を前に進めるには、世界的な関心と支持を喚起し、維持し続けることが欠かせず、青年たちによる力強い関与がその生命線となるのではないでしょうか。
以上、私は軍縮を進めるための三つの足場をそれぞれ提起してきましたが、この青年たちが発揮する「共鳴力」こそ、他の二つの足場をも堅固に鍛え上げていく、 すべての足場の要となるものであると強調したいのです。(下に続く)
語句の解説
注1 中距離核戦力(INF)全廃条約
アメリカのレーガン大統領とソ連のゴルバチョフ書記長が1987年12月に署名した条約。
射程500~5500キロの地上配備の弾道ミサイルと巡航ミサイルの生産・実験・保有を禁止した。冷戦終結後はロシアが条約の義務を継承し、91年5月に対象兵器の全廃が完了したが、近年、新たなINFの配備を禁止した条約の規定などを巡って対立が続いてきた。
注2 ソクラテスの産婆術
古代ギリシャの哲学者ソクラテスが用いた問答法で、言葉の投げ掛けや対話を重ねる中で、通念や常識に対する疑問を相手に呼び起こし、正しい認識や真理に導くアプローチ。弟子のプラトンがまとめた対話篇『テアイテトス』では、ソクラテスが、助産師だった彼の母の仕事になぞらえて、真理を産み出す過程を陣痛や分娩などに譬えている箇所がでてくる。
注3 難民に関するグローバル・コンパクト
2018年12月の国連総会で採択された、難民支援の連携を進めるための国際的な指針。難民の教育機会の確保や受け入れ国でのインフラ整備など、難民と受け入れ国の双方が恩恵を受けられる包括的な支援を進めるための国際協力の強化を目指す。各国の取り組みの進捗状況を報告する「グローバル難民フォーラム」を4年ごとに開催することも盛り込まれた。
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