第44回「SGIの日」記念提言 上
「平和と軍縮の新しき世紀を」創価学会インタナショナル会長 池田大作
民衆の生命と尊厳を脅かす紛争の根を断ち切る
きょう26日の第44回「SGI(創価学会インタナショナル)の日」に寄せて、SGI会長である池田大作先生は「平和と軍縮の新しき世紀を」と題する記念提言を発表した。
提言ではまず、軍縮を阻んできた背景にあるものを探る手がかりとして、物理学者で哲学者のカール・フォン・ヴァイツゼッカー博士が考察した「平和不在」の病理に言及。“病に対する治癒”のアプローチを重視する仏法の視座を通し、人間の生き方を変革するための鍵を提起しつつ、「平和な社会のビジョン」の骨格を打ち出 した核兵器禁止条約の歴史的意義を強調している。
また、グローバルな脅威や課題に直面する人々の窮状を改善する「人間中心の多国間主義」を推進して、安全保障観の転換を図る重要性を指摘するとともに、軍縮 の分野で「青年による関与」を主流化させるよう訴えている。
続いて、核兵器禁止条約への各国の参加の機運を高めるために、有志国による「核兵器禁止条約フレンズ」の結成を提案。日本がそのグループに加わり、核保有国と非保有国との対話の場の確保に努めることを呼び掛けている。
また、来年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議で、核軍縮の交渉義務に焦点を当てた討議を行った上で、国連の第4回軍縮特別総会を2021年に開催することを提唱。更に、AI兵器と呼ばれる「自律型致死兵器システム(LAWS)」を禁止する条約の交渉会議を早期に立ち上げるよう訴えている。
最後に、国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」に関して、安全な水の確保をグローバルな規模で図るために、国連で「水資源担当の特別代表」を新たに任命することや、世界の大学をSDGsの推進拠点にする流れを強めるための提案を行っている。
世界では今、グローバルな課題が山積する中で、これまで考えられなかったような危機の様相がみられます。
特に顕著なのは気候変動の問題です。世界の平均気温は4年連続で高温となっており、異常気象による被害が相次いでいます。
難民問題も依然として深刻で、紛争などで避難を余儀なくされた人は6850万人にのぼりました。
加えて、暗い影を落としているのが貿易摩擦の問題で、昨年の国連総会の一般討論演説で多くの国の首脳が述べたのも世界経済に及ぼす影響への懸念でした。
これらの課題とともに、国連が早急な対応を呼び掛けているのが軍縮の問題です。 アントニオ・グテーレス事務総長は昨年5月、この問題に焦点を当てた包括的文書である「軍縮アジェンダ」を発表しました。
グテーレス事務総長は発表に際し、世界の軍事支出が1兆7000億ドルを超え、“ベルリンの壁”崩壊以降で最高額に達したことに触れる一方で、次のような警鐘を鳴らしました。
「各国が他の国の安全保障を顧みず、自らの安全保障だけを追求すれば、すべての国を脅かす地球規模の安全保障上の不安を生み出してしまうという矛盾がうま れます」
その上で強調したのは、軍事支出の総額が世界の人道援助に必要な額の約80倍に達したという点です。
このギャップが広がる中、「貧困に終止符を打ち、健康と教育を促進し、気候変動に対処し、地球を保護するための取り組みに必要な支出がされていません」との深い憂慮を示したのです(国連広報センターのウェブサイト)。
現在の状態が続けば、誰も置き去りにしない地球社会の建設を目指す「持続可能な開発目標(SDGs)」の取り組みが停滞することにもなりかねません。
軍縮は国連の創設以来の主要課題であり、私自身にとっても、35年以上にわたる毎年の提言で中核をなすテーマとして何度も論じてきた分野であります。
第2次世界大戦の惨禍を体験した世代の一人として、また、地球上から悲惨の二字をなくしたいとの信念で行動を続けた創価学会の戸田城聖第2代会長の精神を 継ぐ者として、多くの民衆の生命と尊厳を脅かす紛争の根を断ち切るには、軍縮が絶対に欠かせないと痛感してきたからです。
冷戦時代から現在まで続く「平和不在」の病理の克服を
生存の権利を守る信念に立脚した戸田会長の「原水爆禁止宣言」 環境学者のエルンスト・フォン・ヴァイツゼッカー氏と(2010年3月、創価大学で)。
ローマクラブの共同会長を務めた氏との対談集『地球革命への挑戦』では、環境問題をはじめ、氏の父君 の信念の行動が話題となった
私たち人間には、いかなる困難も乗り越えることができる連帯の力が具わっています。
不可能と言われ続けてきた核兵器禁止条約も2年前に採択が実現し、発効に向けて各国の批准が進んでいます。
闇が深ければ深いほど暁は近いと、眼前にある危機を“新しき歴史創造のチャンス”と受け止めながら、今こそ軍縮の潮流を大きくつくり出していくべきではないでしょうか。
そこで今回は、21世紀の世界の基軸に軍縮を据えるための足場について、1.「平和な社会のビジョン」の共有、2.「人間中心の多国間主義」の推進、3.「青年による関与」の主流化、の三つの角度から論じてみたい。
核軍拡競争が再燃する恐れ
第一の足場として提起したいのは、「平和な社会のビジョン」の共有です。
世界では今、多くの分野にわたって兵器の脅威が増しています。
小型武器をはじめ、戦車やミサイルなどの通常兵器の輸出入を規制する武器貿易条約が2014年に発効しましたが、主要輸出国の参加が進まず、紛争地域で武器 の蔓延を食い止められない状態が続いています。
化学兵器のような非人道的な兵器が、再び使用される事態も起きました。
また兵器の近代化に伴って、深刻な問題が生じています。武装したドローン(無人航空機)による攻撃が行われる中、市民を巻き込む被害が広がり、国際人道法の 遵守を危ぶむ声があがっているのです。
核兵器を巡る緊張も高まっています。
昨年10月、アメリカのトランプ大統領は、ロシアとの中距離核戦力(INF)全廃条約=注1=から離脱する方針を発表しました。
両国の間で条約の遵守に関する対立が続いてきましたが、今後、条約が破棄されることになれば、他の保有国を含めた核軍拡競争が再燃する恐れがあります。
まさにグテーレス事務総長が「軍縮アジェンダ」の序文で述べていた、「冷戦時代の緊張状態が、より複雑さを増した世界に再び出現している」(「軍縮アジェン ダ・私たちの共通の未来を守る」、「世界」2018年11月号所収、岩波書店)との警鐘が、強く胸に迫ってきてなりません。
なぜ、このような事態が21世紀の世界で繰り返されようとしているのか──。
この問題を前にして思い起こされるのは、著名な物理学者で卓越した哲学者でもあったカール・フォン・ヴァイツゼッカー博士が、かつて述べていた慧眼の言葉です。
博士は、私が友誼を結んできたエルンスト・フォン・ヴァイツゼッカー氏(ローマクラブ名誉共同会長)の父君で、世界平和のための行動を貫いた尊い生涯につい ては対談集でも語り合ったところです。
その博士が冷戦の終結後に、“ベルリンの壁”が崩壊した1989年からドイツの統一が実現した90年までの世界の動きを振り返って、こんな言葉を述べていまし た(『自由の条件とは何か 1989~1990』小杉尅次・新垣誠正訳、ミネルヴァ書房)。
「世界情勢はこの1年間全体としてはほんのわずかしか変化を経験しなかった」
もちろん、東西に分断されたドイツで人生の大半を過ごしてきた博士自身、冷戦の終結を巡る一連の動きが、歴史的な一大事件に他ならなかったことを何度も強調 していました。
そのことを承知の上で博士には、ソクラテスの産婆術=注2=にも通じるような言葉の投げ掛けによって伝えたいメッセージがあったのではないでしょうか。
当時の政治・軍事状況を踏まえて、博士は次のように述べていました。
「制度化された戦争の克服は、残念ながら現況ではまだ精神の根源的変革の域に達していません」
つまり、異なる集団の間で覇権を巡って戦闘が繰り広げられる「制度化された戦 争」の克服という根本課題は、冷戦の終結をもってしても、確たる展望を開くことができないままとなっている、と。 そして、こう警告を発していたのです。
「20世紀最後半の現時点においても停止することなき軍拡競争の結果、新種の武器開発が行なわれ、それがさらに戦争を勃発させる事態へ連動していく可能性と 危険性すら存在する」
今の世界にも当てはまる警告であり、博士の洞察の深さを感じずにはいられません。平和と軍縮の問題は、冷戦時代から現在に至るまで“地続き”となっており、アポリア(難題)として積み残されたままであることが浮き彫りとなるからです。
それでも、希望の曙光はあります。軍縮の分野で、国際政治や安全保障に基づく議論だけでなく、人道的な観点からの問題提起が行われるようになり、対人地雷、 クラスター爆弾、そして核兵器と、非人道的な兵器を禁止する条約が一つまた一つと制定されてきているからです。
国際人道法の形成にみられる歴史の大きな流れとしての人道的アプローチを追い風としながら、軍縮を大きく前進させるための共同作業を、すべての国が協力して開始していかねばなりません。 ヴァイツゼッカー博士の重要な考察 そこで、一つの手がかりとして言及したいのが、ヴァイツゼッカー博士が、軍縮を阻んできた背景にあるものを、「平和不在」という名の病理として掘り下げていた考察です(『心の病としての平和不在』遠山義孝訳、南雲堂)。
私が着目したのは、博士が平和を巡る問題を“病気”に譬えることで、いずれの国にも、また、どんな人にも決して無縁な課題ではないとの前提に立っていた点です。
その考えの基底には、人間は善と悪に分けられるような存在ではなく、「確定されていない生き物」であるとの認識がありました。
ゆえに、「ひとは平和不在を外側から、愚かさとも悪ともみなしてはいけない」のであって、「病気の現象だけを、目の前に置かねばならない」と強調したのです。
また博士は、「平和不在は教化によっても、罰することによっても克服できない。 それは治療と呼ぶべき別のプロセスを必要とする」と指摘し、こう呼び掛けていました。「わたしたちが、病気の症状をわたしたち自身のうちに認識しない限り、ま た他の人達とわたしたち自身を病人として受け入れることを習わない限り、いかにしてわたしたちは病人を助けることができましょうか」と。
そうした博士であればこそ、アメリカとソ連に続いてイギリスが核開発競争に踏み出していた時代に、次のような問題意識を提示していたのではないかと思います。
博士が中心になって起草し、他の学者たちとの連名で57年に発表した「ゲッティンゲン宣言」には、こう記されています。
「自国を守る最善の方法、そして世界平和を促進する最短の道は、明確かつ自発的に、いかなる種類の核兵器の保有も放棄することであるとわれわれは信ずる」(マルティン・ヴァイン『ヴァイツゼッカー家』鈴木直・山本尤・鈴木洋子訳、平凡社)
この言葉は、核開発競争を続ける保有国に向けられたものというよりも、まずもって、“自分の国が核問題にどう臨むべきか”との一点に焦点を当てたものでした。
また、科学者として自分たちの仕事がもたらす結果に対する責任を負うがゆえに、すべての政治問題に対して沈黙することができないと宣言したのです。
三車火宅の譬え
一方、この「ゲッティンゲン宣言」と同じ年に、仏法者としての信念に基づいて「原水爆禁止宣言」を発表したのが、私の師である戸田第2代会長でした。
戸田会長は、当時高まっていた核実験禁止運動の重要性を踏まえつつも、問題の根本的な解決には、核兵器を正当化する安全保障の根にある思想を断ち切る以外に ないとして、「その奥に隠されているところの爪をもぎ取りたい」(『戸田城聖全集』第4巻)と訴えました。
世界の民衆の生存の権利を守るとの一点に立脚して、その権利を脅かすことは誰であろうと許されないと訴え、国家の安全保障という高みに置かれていた核兵器の 問題を、すべての人間に深く関わる“生命尊厳”の地平に引き戻すことに、「原水爆禁止宣言」の眼目はあったのです。
私が核廃絶の運動に取り組む中で、「核時代に終止符を打つために戦うべき相手は、核兵器でも保有国でも核開発国でもありません。真に対決し克服すべきは、自 己の欲望のためには相手の殲滅も辞さないという『核兵器を容認する思想』です」と訴えてきたのも、その師の信念を継いだものに他なりません。 思い返せば、「原水爆禁止宣言」の発表から1年が経った時(58年9月)、私は戸田会長の師子吼を反芻しながら、「火宅を出ずる道」と題する一文を綴ったことがあります。
火宅とは、法華経の「三車火宅の譬え」から用いた言葉で、そこには、こんな話が説かれています。
ある長者の家が、突然、火事に見舞われた。しかし屋敷が広大なこともあり、子どもたちは一向に危険に気づかず、驚きも恐れもしていない。そこで長者は、「外 に出よう」という気持ちを子どもたちが自ら起こせるように働きかけて、全員を火宅から無事に救出することができた──という話です。
私は、その説話に触れた一文の中で、「原水爆の使用は、地球の自殺であり、人類の自殺を意味する」と強調しました。核兵器はまさに、すべての国の人々に深く 関わる脅威であり、その未曽有の脅威に覆われた“火宅”から抜け出す道を共に進まねばならないとの思いを込めて、その言葉を綴ったのです。
この説話が象徴するように、何よりも重要なのは、すべての人々を救うことにあります。
その意味で、グテーレス事務総長が主導した「軍縮アジェンダ」で、長らく論議の中核を占めてきた“安全を守る”という観点だけでなく、「人類を救うための軍縮」 命を救う軍縮」「将来の世代のための軍縮」との三つの立脚点が新たに打ち出されたことに、深く共感するものです。
害心を取り払い“命を救う存在”へ
釈尊が促した生き方の転換戦争の悲劇を繰り返させない SGIとICANが共同制作した「核兵器なき世界への連帯」展。2012年に広島でスタートした同展は、これまで世界の90都市で開催されてきた(17年9月、タイのソンクラナカリン大学で)
アングリマーラを変えた二つの転機
では、いかなる手段も厭わず、どんな犠牲が生じても構わないといった思想に横たわる「平和不在」の病理を乗り越えて、すべての人々の命を救うための軍縮を世 界の潮流に押し上げていくためには、何が必要となるのか──。
この難題と向き合うにあたり、“病に対する治癒”のアプローチを重視する仏法の視座を示すものとして紹介したいのは、釈尊が在世の時代の古代インドで、多くの 人命を奪い、人々から恐れられていたアングリマーラを巡る説話です。
──ある時、釈尊の姿を見かけたアングリマーラは、釈尊の命を奪おうとして、後を追いかけた。
しかし、どれだけ足を速めても、釈尊のそばにはたどりつけない。
業を煮やした彼が立ち止まり、釈尊に「止まれ」と叫んだ。すると釈尊から返ってきたのは、「アングリマーラ、わたしは止まっている。おん身が止まれ」との答 えだった。
自分は足を止めているのに、なぜ、そんなことを言うのかとたずねるアングリマーラに対し、釈尊はさらにこう答えた。
「止まれ」と言ったのは足のことではない。次々と命を奪うことに何の痛痒も感じない、その行動の奥底にある害心に対し、自らを制して止まるように言ったので ある、と(長尾雅人責任編集『世界の名著1 バラモン教典 原始仏典』中央公論社を引用・参照)。
この言葉に胸を打たれたアングリマーラは、害心を取り払って悪を断つことを決意し、手にしていた武器を投げ捨てた。そして釈尊に、弟子に加えてほしいと願い 出たのです。
以来、彼は釈尊に帰依し、自らが犯した罪を深く反省しながら、贖罪の思いを込めた仏道修行にひたすら励みました。
そんなアングリマーラに、もう一つの重要な転機が訪れました。
──アングリマーラが托鉢をしながら街を歩いていると、難産で苦しんでいる一人の女性を見かけた。何もできずに立ち去ったものの、女性の苦しむ姿が胸に残り、 釈尊のもとに赴いてそのことを伝えた。
釈尊はアングリマーラに対し、女性のもとに引き返して、次の言葉をかけるように促した。「わたしは生まれてからこのかた、故意に生物の命を奪った記憶がない。 このことの真実によっておん身に安らかさあらんことを、胎児に安らかさあらんことを」と。
自分が重ねてきた悪行を知るがゆえに、アングリマーラは真意がつかめなかった。 そこで釈尊は、アングリマーラが害心を自ら取り払い、深く反省して修行を重ねていることに思いを至らせるかのように、改めて彼に対し、女性にこう告げるように 呼び掛けた。
「わたしはとうとい道に志す者として生まれ変わってからこのかた、故意に生物の命を奪った記憶がない。このことの真実によっておん身に安らかさあらんことを、 胎児に安らかさあらんことを」と。
釈尊の深い思いを知ったアングリマーラは、街に戻って女性に言葉を捧げた。すると苦しんでいた女性は穏やかな表情を取り戻し、無事に子どもを出産することができたのだった──(前掲『世界の名著1 バラモン教典 原始仏典』を引用・参照)。
この二つの出来事を通して、釈尊がアングリマーラに促したことは何であったか。
それは、彼を長らく突き動かしてきた害心に目を向けさせて、悪行を食い止めたことにとどまりませんでした。母子の命を助けるための道を照らし出し、アングリ マーラが自らの誓いをもって“命を救う存在”になっていく方向へと、心を向けさせたのです。
もちろんこの説話は、一人の人間の生き方の変革のドラマを描いたものであって、現代とは時代も違えば、状況も違います。
しかし、行為の禁止を強調するだけでなく、その行為とは正反対の“命を救う存在”へと踏み出すことを促すベクトル(方向性)は、社会の変革にまで通じる治癒の底 流となり得るのではないかと、私は提起したいのです。
ジュネーブ諸条約に込められた決意
今から70年前(1949年)に締結され、国際人道法の重要な原則を定めたジュネーブ諸条約には、このベクトルに相通じるような条約制定への思いが込められていたと感じます。
ジュネーブ諸条約は、妊婦をはじめ、子どもや女性、高齢者や病人を保護する安全地帯の設置などを求めて、第2次世界大戦の末期に赤十字国際委員会が準備作業 に着手していたものでした。
戦後、交渉会議に参加した国々は、条約の採択に際し次の表明を行いました。
「各国政府は将来にわたり、戦争犠牲者の保護のジュネーブ諸条約を適用しなければならないことのないよう、また各国は強大国であろうと弱小国であろうと常に 諸国間の相互理解と協力により紛争を友好的に解決することを希望する」(井上忠男『戦争と国際人道法』東信堂)
つまり、条約に対する違反行為を共に戒めるといった次元にとどまらず、条約の適用が問われるような、多くの人命が奪われる事態を未然に防ぐとの一点に、条約 の制定を導いた思いが凝縮していたのです。
多くの人々が目の当たりにした戦争の残酷さと悲惨さが、交渉会議の参加者の間にも皮膚感覚として残
っていたからこそ、国際人道法の基盤となる条約は、強い決 意をもって採択されたのではないでしょうか。
私は、この条約の原点を常に顧みることがなければ、条文に抵触しない限り、いかなる行為も許されるといった正当化の議論が繰り返されることになると、強く警 告を発したい。
まして現在、AI兵器と呼ばれる「自律型致死兵器システム(LAWS)」の開発が進む中で、“人間が直接介在せずに戦闘が行われる紛争”の到来さえ、現実味を 帯びようとしています。このままではジュネーブ諸条約に結実した国際人道法の精神が十全に発揮されなくなる恐れがあり、私たちは今こそ、「平和不在」の病理を 克服する挑戦を大きく前に進めねばならないと思うのです。
そのために重要な足場となるのが、「平和不在」の病理に対する認識を互いに持ちながら、治癒のあり方を共に探ること──すなわち、「平和な社会のビジョン」 を共有していくことではないでしょうか。
核兵器禁止条約が持つ歴史的な意義
私は、このビジョンの骨格となるものを打ち出した軍縮国際法の嚆矢こそ、核兵器禁止条約に他ならないと訴えたい。
核兵器禁止条約は、軍縮や人道の範疇だけに収まる国際法ではありません。
国際人道法の名づけ親と言われる赤十字国際委員会のジャン・ピクテ元副委員長は、国際人道法の規則を構成する条文は「人道的な関心を国際法へ転換したもの」 (前掲『戦争と国際人道法』)であると強調していました。
被爆者をはじめとする多くの民衆の“核兵器による惨劇を繰り返してはならない”との思いを凝縮した核兵器禁止条約は、まさにその系譜に連なるものだといえましょう。
さらに、核兵器禁止条約は、新しい国際法のあり方として注目されている、「ハイブリッド型国際法」の性格も帯びています。
これは気候変動の分野で提起されてきたもので、人権や強制移住の問題と連動させる形での問題解決を志向した、思考の枠組みの転換を促す条約のアプローチです。
そうした地球的な課題の連関性をより幅広く包摂したのが、核兵器禁止条約であると思うのです。
国家の主権に深く関わる安全保障であっても、「環境」「社会経済開発」「世界経済」「食糧安全保障
」「現在及び将来の世代の健康」、そして「人権」と「男女双方の平等」のすべての重みを踏まえたものでなければならないとの方向性を明確に打ち出しているからです。
いずれの課題に対する配慮を欠いても、真の安全保障を確保することはできない ──その意識の共有が土台になければ、核軍縮の交渉といっても、保有数のバランスばかりに目が向いて、軍備管理的な意味合いから抜け出すことは難しいのではな いでしょうか。
その意味で、核兵器禁止条約は、長年にわたる核軍縮の停滞を打ち破るための基盤を提供するだけではありません。
核兵器禁止条約を支持する連帯の輪を広げる中で、1.すべての人々の尊厳を守り合う「人権」の世界、2.自他共の幸福と安全を追求する「人道」の世界、3.地球環 境と未来の世代に対する責任を分かち合う「共生」の世界への道を力強く開いていくことに、最大の歴史的な意義があると訴えたいのです。
不十分な状態続く人道危機への対応
次に、軍縮を進めるための第二の足場として提起したいのは、「人間中心の多国間主義」を共に育むことです。
「人間中心の多国間主義」は、深刻な脅威や課題に直面している人々を守ることに主眼を置くアプローチで、昨年8月に行われた国連広報局/NGO(非政府組織) 会議の成果文書でも、その重要性が強調されていたものです。
SDGsの取り組みを前進させるために欠かせないアプローチですが、私は、この追求がそのまま、軍拡の流れを軍縮へと大きく転換する原動力となっていくに違 いないと考えます。
国連のグテーレス事務総長が「軍縮アジェンダ」の発表にあたって警鐘を鳴らしていたように、世界全体の軍事支出が増加する一方で、人道危機への対応のために必要な支援が不十分となる状態が続いています。
災害だけをみても、毎年、2億人以上の人々が被災しているといわれます。
飢餓の問題も深刻です。8億2100万人が飢餓に見舞われ、栄養不良で発育が阻害されている5歳未満の子どもは約1億5100万人に及んでいます。
この問題を考えるにつけ、“そもそも安全保障は何のためにあるのか”との原点に立ち返る必要があると思えてなりません。
そこで言及したいのは、国連大学のハンス・ファン・ヒンケル元学長が「人間の安全保障」に関する論考で述べていた言葉です。
ヒンケル氏は、安全保障はさまざまな要因が関係するために複雑にみえるものの、一人一人の目線に立てば、何が脅威で、何を不安に感じるのかは明白に浮かび上が ってくるとし、次のように指摘しました。 「世界の大多数の人々にとって、従来の安全保障が、個人レベルにおいて意味のある安心感を提供できなかったことは明白である」
「国際関係と外交政策の決定過程には、疾病や飢餓や非識字よりも、ハイ・ポリティクスを優先する態度や制度が埋め込まれている。私たちは、このようなあり方 にあまりにも慣れてしまっており、多くの人にとって『安全』は国家の安全保障と同義になっている」
「ハイ・ポリティクス」とは政治上の最優先事項を意味する言葉ですが、国家の安全保障の比重に比べて、一人一人の生命と生活を脅かす諸課題への対応が遅れが ちになる中で、世界の多くの人々が「意味のある安心感」を得られていない状況が生じているのではないかと、ヒンケル氏は問題提起したのです。(2に続く)
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