47回SGIの日記念提言-① 22年01月

時代の混迷を打ち破る
「正視眼」に基づく行動を

新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的大流行)が宣言されてから、まもなく2年を迎えようとしています。
しかし、ウイルスの変異株による感染の再拡大が起こるなど、多くの国で依然として厳しい状況が続いています。
愛する家族や友人を亡くした悲しみ、また、仕事や生きがいを失った傷を抱えて、寄る辺もなく立ちすくんでいる人々は今も各国で後を絶たず、胸が痛んでなりません。

先の見えない日々が続く中、その影響は一過性では終わらず、「コロナ以前」と「コロナ後」で歴史の一線が引かれることになるのではないかと予測する見方もあります。
確かに、今回のパンデミックは未曽有の脅威であることは間違いないかもしれない。
しかし将来、歴史を分かつものが何だったのかを顧みた時に、それを物語るものを“甚大な被害の記録”だけで終わらせてはならないと言えましょう。

歴史の行方を根底で決定づけるのはウイルスの存在ではなく、あくまで私たち人間にほかならないと信じるからです。
想像もしなかった事態の連続で戸惑い、ネガティブな出来事に目が向きがちになりますが、危機の打開を目指すポジティブな動きを希望の光明として捉え、その輪を皆で広げていくことが大切になります。

いかなる試練も共に乗り越え、希望の世紀を切り開く!――世界192カ国・地域で時代変革の波動を広げるSGIの友(2019年8月、東京・新宿区の創価文化センターで)

脅威の様相は異なりますが、今から80年前(1942年11月)、第2次世界大戦という「危機の時代」に、創価学会の牧口常三郎初代会長は、混迷の闇を払うための鍵について論じていました(『牧口常三郎全集』第10巻、第三文明社を参照)。
目先のことにとらわれて他の存在を顧みない「近視眼」的な生き方でも、スローガンが先行して現実変革の行動が伴わない「遠視眼」的な生き方でもない。“何のため”“誰のため”との目的観を明確にして足元から行動を起こす「正視眼」的な生き方を、社会の基軸に据えるよう訴えたのです。

この「正視眼」について、牧口会長は日常生活でも必要になると論じているように、それは本来、特別な識見や能力がなければ発揮できないものではありません。
現代でも、パンデミックという世界全体を巻き込んだ嵐にさらされる経験を通し、次のような実感が胸に迫った人は少なくないのではないでしょうか。

「自分たちの生活は多くの人々の支えと社会の営みがなければ成り立たず、人々とのつながりの中で人生の喜びは深まること」
「離れた場所を襲った脅威が、時を置かずして自分の地域にも及ぶように、世界の問題は相互に深くつながっていること」
「国は違っても、家族を突然亡くす悲しみや、生きがいを奪われる辛さは同じであり、悲劇の本質において変わりはないこと」

その意味で重要なのは、未曽有の脅威の中で深くかみしめた実感を、共に嵐を抜け出るための連帯の“紐帯”としていく点にあると言えましょう。
牧口会長が心肝に染めていた仏法の箴言に、「天晴れぬれば地明らかなり」(御書新版146ページ・御書全集254ページ)とあるように、世界を覆う暗雲を打ち破って、希望の未来への地平を照らす力が人間には具わっているはずです。

そこで今回は、コロナ危機をはじめ、世界を取り巻く多くの課題を乗り越え、人類の歴史の新章節を切り開くための要諦について、三つの角度から論じていきたい。