何があろうが誇り高く
「華陽」の二字には、「華のように美しく、太陽のように誇り高くあれ」との祈りが込められている。ゆえに何があろうが、不安に震えたり、一喜一憂したりすることはない。胸を張って、自信満々と華陽の生命で進めばよいのだ。
戸田先生は言われた。
「百の説法も、百冊の本も、妙法を持った『一人の女性』の生き生きとした姿にはかなわない」
(『随筆 輝く民衆の大城』、167ページ)
善き友情を結びながら
仏道修行といっても、特別なことではありません。善き友と語らい、善き友情を結び広げながら、皆で励まし合って、善き人生を勝ち開いていくことなのです。
これが、創価学会です。これが、華陽姉妹です。
(2013年9月5日、「世界池田華陽会大会」へのメッセージ)
麗しい「励ましの絆」を
人間は、たとえ、自分より年下の人であっても、“いつも自分のことを思ってくれ、一生懸命に励ましてくれる”“信頼し、尊敬してくれている”という人がいれば、嬉しく、力強いものです。
人間は、人との絆のなかで、勇気を得るし、希望を得ていきます。その麗しい励ましの絆を、社会の隅々にまで広げていくのが、広宣流布ともいえます。
(小説『新・人間革命』第25巻「人材城」の章、320ページ)
「真剣」「誠実」が道開く
“あなたがいると会社がどんどん発展する”――そう言われる存在になっていただきたい。また、真剣に信心をし、誠実に努力を重ねていけば、必ずそうなっていけるのである。
(『華陽の誓い』、42ページ)
一輪の華で春が広がる
太陽が昇れば、あらゆる闇は消え去る。一輪の華が咲き薫れば、そこから春が広がる。それが「華陽」の皆さまです。
私と妻は、広宣流布の希望の未来を全部、池田華陽会に託してまいります。
(2009年10月26日、「世界池田華陽会大会」へのメッセージ)
待つのでなく自分から
希望も、喜びも、人から与えられるのを、待つものではない。自分でつくり出し、皆に広げていくものだ。そう決めた青春は強い。苦労している父母にも、自分から親孝行するのだ。悩んでいる友人にも、自分から励ましてあげるのだ。
(『華陽の誓い』、25ページ)
弱い心に囚われないで
難があるから仏になれる。悩みがあるから成長できるという原理を、釈尊も、大聖人も仰せである。弱い自分自身に囚われた感傷的な女性は、不幸の入り口へ来てしまう。センチメンタルは、青春の落とし穴である。
(『池田大作全集』第137巻、413ページ)
最高の形になるように
焦る必要はない。早く結婚したから幸福かといえば、そうとも限らない。素晴らしい相手と出会えるように、また、自分にとって、最高の形で結婚できるように、祈っていけばいいのである。
そして、信心でわが生命を磨きながら、自分らしく輝いていっていただきたい。
(『華陽の誓い』、45ページ)
失敗恐れず伸び伸びと
地道にして堅実な青春の一歩ほど、強いものはありません。背伸びをして焦る必要などない。ましてや、人と比べて自信をなくし、最も尊貴な仏の生命を持った自分を卑下しては、断じてなりません。
今いるその場所で、題目を朗々と唱え、ありのままの自分自身を妙法蓮華の当体と光らせながら、失敗を恐れず伸び伸びと、前へ前へ進んでいけばよい。
(2013年9月5日、「世界池田華陽会大会」へのメッセージ)

“大切な大切な我が娘に”――2009年6月4日の創価女子会館(当時)訪問を記念して、贈られたハスの写真(池田先生撮影。2007年8月、長野で)
教学は確固たる羅針盤
現実は厳しい。人生は長い。
だからこそ、哲学が大事だ。信心が大事だ。
青春時代の今この時に、教学という確固たる生命の羅針盤を持つならば、正しい人生の軌道を歩み、真の幸福を必ずつかんで、勝利の花を咲かせることができるのである。(『勝利の人間学』、39ページ)
私たちには力がある!
私たちには、世界を新しくする力が、世界を活気づける希望の力がある! ゆえに、前へ! また断固として、前へ進むのだ! 今再び、眼前の現実に勇敢に挑みゆくのだ!
その人が、最高の勝利の人間なのである。尊き女性なのである。
誰がなんと言おうが、誰人がなんと思おうが!
(『池田大作全集』第136巻、28ページ)
語れば語るほど福運が
語った分だけ、永遠の幸福の仏縁が結ばれる。語った分だけ、わが生命に、永遠の福運の歴史が刻まれる。
「須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき」(全467・新519)と説かれている通りである。(『華陽の誓い』、50ページ)
命の限りに燃えて咲け
自分らしく! これが仏法の「桜梅桃李」の法理である。桜は桜、梅は梅……自らの命の限りに燃えて咲く花は、なんと美しいことか。
早く咲く人もいれば、ゆっくり咲く人もいる。
君は君らしく咲け! 遠慮などいらない。
(『勝利の人間学』、101ページ)
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